大龍飯店まで来たので、県立公文書館に寄ってみた。
マニアックなところだけど、ときどき無料の企画展を開催していて、テーマごとの古文書の展示をしている。
8月17日まで、「検証・過去の震災記録」をテーマに、県内にあった巨大地震の企画展を開催していた。
1498年の明応地震、1703年の元禄地震、1853年の嘉永地震、1923年の関東地震、1930年の北伊豆地震。
見出しの古文書は、明応地震の際に、津波により鎌倉の大仏が流されたという高徳院文書。
この文書には、明応4(1498)年8月15日に東日本で大地震が発生し、その時の津波で大仏殿をはじめとしてすべての建物が流されたと記されている。
これまで、明応7年8月25日の地震の誤りだとされていたらしい。
東日本大震災以来、小さな地震の速報まで、テレビやインターネットで情報が流されるたび、有感無感の地震がこれほどまでに多いことに驚かされるし、震源地の多様なことにも認識を新たにさせられる。
茨城・千葉を震源とすることが多いことから、なぜ、鹿島と香取に地震を起こすとされる大鯰の頭を押さえる要石が存在するのか納得したりもする。
過去の地震が、文書に記されたものでしか、記録として認識されないとすると、それ自体データが少ない訳だから、予測を前提としている防災から、予測不能な減災へと方針転換せざるをえないのも納得するしかない。
レーダーや気象衛星から送られてくるデータをもとにしても、天気予報がはずれることがあるのだから、地中の動きで地震の発生を的中させる確率を期待するのは無理がある。
今回の展示を見ていると、災害がいつ自分の身の周りに起きても不思議ではないような気がしてくる。
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