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関東大震災のガレキを埋め立ててできた公園というのは有名だ。
もともと幕末の横浜開港とともに発展するにつれて、人や物を運ぶことで賃銭がいただけることに気づいた漁師が、漁業から海運業に業態を変えていく。
そうなると、横浜湾が漁場としての位置づけから、ミナトとして大きく展開していくことになる。
一方では、ゴミやガレキを計画的に湿地や海に捨て、結果的に埋立地を作り出した江戸幕府のやり方が当たり前だと思っていたから、震災で大量に発生したガレキで海を埋め立てることに誰も疑問に思わなかっただろう。
まして横浜は、当時、世界に対する日本の玄関口という性格を持っていた以上、国家的な事業として、復興を最優先した。
昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックが、世界の玄関口・横浜の立場を一変させる。
羽田空港が飛行機による世界への玄関口として、いっきに国際線の就航が増えただけでなく、昭和40年代に入り、東京港が開港して船舶による人や物資の流れも徐々にシフトしていく。
横浜市の施策上、港湾設備の充実、高速道路網の整備を最優先にしたものの、各国領事館は、東京の大使館へ吸収されるか、廃止されるにつれ、多くあった本社機能のある企業が東京へと向かうようになる。
存続か廃止かで揉めたマリンタワーがそれを象徴するかのように、建っているのが印象的だ。
山下公園のローズガーデンへ行くと、海のにおいの中にも、香り立つバラが競い合って咲いている。
「お茶しよう!」ということで、イセザキモールまで行くと、ゲートにオレンジリボンがされていた。
もちろん、イセブラといえば不二家で、母親と甘いものを食べるのが、我々世代の思い出でもあり、習慣だ。
イセブラの要・松阪屋デパートがなくなって久しいが、跡地にまた、あのデパートの外観を模した建物がオープンするという。
オープンすれば、イセブラ世代は必ず行くに違いない。
そのとき、どれだけの人の心を掴めるかに、将来がかかってくる。
ところで、この前、山崎製パン発祥の地、千葉県市川に行ったとき、不二家がヤマザキグループの傘下に入ったことを耳にした。
松阪屋にしても、不二家にしても、世襲による一族経営だった。
企業は、経営者のものでもあり、株主のものでもあるかもしれないが、何かが違う・・・オリンパスを見ていて思った。
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