散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

タマサ・宮醤油店

2012年10月27日 | ☆千葉県

横浜の我が家から海ほたるまで60分、海ほたるから勝浦・館山までが90分、を千葉へドライブに行く目安にしている。
もし、家を朝9時に出発するとして、休まずにマイカーを走らせると、昼前には到着することになる。
たいがいホテルや旅館のチェックイン時刻は、午後3時だから、どこかで時間調整しなければならない。
子どもの頃から知っている千葉だから、有名どころはチェック済みと思っている。
必然、地図にポツンと表記されているところや、道路を走っていて、ふと目に入ったところに立ち寄ることになる。

今回は、東京湾アクアラインを木更津金田ICで下りて、木更津市街を通り、富津岬で「らんちう品評会」「展望台」に行ってみた。
そうこうしているうちに、ほぼ時間調整は完了したので、館山自動車道・富津中央ICに向かって走り出す。

すると、Y字交差点に取り残されたように、元ボウリング場の看板だっただろうピンらしきものの変身したお雛さまが立っている。


しばらく進んで、田んぼがひらけると、見落としがちな分岐点を右折して、国道127号線・内房なぎさラインに出る。

今度は、大きな木の樽が2個並んで目に飛び込んできた。
これが、食通の間では有名な「タマサ・宮醤油店」だ。


どっしりした建物が歴史を感じさせる。建物は、文化財に登録されているという。
暖簾に染め抜かれたマークは、ヤマサではなく、タマサ。
江戸時代・天保5(1834)年創業以来の商標だという。
屋号は、伊勢屋。もちろん、伊勢商人の系譜をひくらしい。
江戸に多いものの例えに『火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞』という言葉がある。
なぜ、伊勢屋が多いのか、きっと何かの論文が出ていると思うけれど、単純に考えれば、お陰詣りとか抜け詣りとか称される伊勢詣りが関連しているのではなかろうか?
外出すること、特に遠出することなどは、余程の理由がなければ許されることがなかった江戸時代に、主人や親の承諾を得ることなく、伊勢詣りをしてくるといえば、とめることができなかった。
今でいう「東京へ行って来る」といって家出するのと同じく、ひと旗揚げなければ戻れない心理が働いていたから、旅先で奉公してノウハウを身につけ、伊勢帰りの商人として「伊勢屋」を名乗ったのかもしれない。
しかし、徹底した身分制度があったから、それなりのお墨付きが必要だ。
聞いてみると、佐貫の殿様にくっついてきた商人で、タマサ(玉にサの字)の屋号や商標も殿様が与えたものだと言うし、「上」の字も、最上級品を扱う店だという表示をしても良いというお墨付きが出た証だという。


店内に入ると、昔の商家らしい佇まいで、ところせましと商品が並べられている。
正面には、矩(カネ)に正のマークを大きくえがき、いせやと染め抜いた垂れ幕が下がっている。


創業時の当主が「伊勢屋庄七」を名乗り、略した「伊勢庄」が、のちに「伊勢正」という屋号になったという。
えてして、お墨付きというものは、殿様自ら書くことは稀で、ほとんどは専門の書記が書く。
おまけに、上申があった達筆の書き付けに、奥書きしたのち、裁可を得たもので、お墨付きをあらためて出すとなれば、場合によっては、庄も正も玉も混同されたんではないかと思う。
これは、素人考えにすぎないが、同じような文言の古文書をいくつか眺めている内に、当て字の多いことに気づいたからだ。
もちろん、身分制度の厳しさ故、「庄七」なのに「正七」と書かれたお墨付きが出れば、お上に対して「殿様、字が違います」などとはいえないから、今後は「正七」を使わざるを得ない。
商標の「玉」の字も、謎だ。

天然醸造の醤油は、さすがに美味い!



日本大通りと富士山を被写体として、定点観測中です。


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