散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

天使と悪魔

2009年05月24日 | ☆たまに娯楽
宗教象徴学の権威・ラングドン教授。原作を読んでいないから、その正体は映画の中でしか知らない。前作の「ダ・ビンチ・コード」では、さまざまなサインを解き明かしていくが、なかなか真実にたどり着けないもどかしさがあったのに対して、今作では、バチカンが頼ってくるほどの推理力を持って、ズバズバと事件の真相に肉薄するものの、組織の壁や暗殺者の抵抗に、偶然とが交錯することにより、あと一歩というところで間に合わない展開となる。壊滅したはずのガリレオを中心とする科学者集団=秘密結社イルミナティが400年の時を超えて復活し、迫害を受けたことへの報復が、教皇の死から始まるコンクラーベ(教皇選挙)を背景に展開される。息をもつかせぬ場面転換が、虚構と真実とを見分けようとする時間を与えないまま、最後のどんでん返しへと突き進む。せめて、ガリレオの地動説が異端とされ宗教裁判にかけられたことや、ローマ・カトリックの総本山・バチカンの成り立ちなどを知らないと、それこそ、おいてけ堀状態になる。
それにしても、例の如く、秘密結社の存在、芸術家が残した作品や科学者のメッセージに秘められた暗号を縦横にからませ、それに最先端の科学技術が盗まれるという事件を発端に描かれたストーリーには、世界的なベストセラーになった訳が理解できる。それを、精巧かつ巨大なセットとCG技術を駆使して作品に仕上げているのには、心底、感心させられる。例えば、サンタマリアデルポポロ教会にあるベルニーニ作品・ハバククと天使像の場合、実物は天使の指が欠けているそうだが、映画の中での天使には指があって次の現場を指し示しているといった具合だ。日本でも、さまざまな伝承や建造物、仏像、絵画などミステリーにできる要素がたくさんあるのに、壮大なミステリー作品が現れないのは残念でならない。まあ、それだけ平和ってことかもしれないけど。

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