気が抜ける時や、やらなきゃって思っているのに、
再び始めることがなかなかできない時って、ありませんか?
理由なく訪れることもありますが、
今回は、近しい人を亡くしたことがきっかけで、
ポカンとした気分と、
気を紛らわすために忙しくしている中で、
Yahoo!関連のホームページとブログの提供サービスが
終了するというメールが届いたことが追い打ちをかけ、
3か月余りの空白ができてしまいました。
ご心配をおかけして申し訳ありません。
さて、もう3月です。
木々も芽吹き出し、早い花は蕾を開き始めました。
先日、中区にある「本牧(ほんもく)神社」に行ってきました。
<本牧神社本殿>
文献にあらわれた永禄9(1566)年から数えて、
450回以上続いているという伝統行事「お馬流し」のお話を宮司からお伺いました。
詳しくは、本牧神社のホームページ(ここをクリック!)でご覧いただくこととして、
あの有名な葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」に
描かれた「押送船(おしおくりぶね・おしょくりぶね)」という、
手漕ぎの高速和船をオーバーラップさせるような祭事で、毎年夏に催されます。
北斎のいう「神奈川沖」は「本牧沖」のことと、
横浜市八聖殿の相澤館長さんがタウンニュース(ここをクリック!)で述べられています。
本牧神社には、お馬流し展示館が設けられ、
お馬流しについて理解しやすいよう、現物や写真資料で説明されています。
茅でつくられた「お馬さま」が展示されています。
これに村の厄災を載せて、沖に持って行って海に流すため、
「馬首亀体」といって、頭が馬で、体が亀という姿になっています。
沖へ流すと、一目散に先を争って船を返します。
厄災を満載した「お馬さま」が村へ戻ってくるのを恐れたからです。
ただ1度だけ、本牧6か村の「お馬さま」が、
流されずに全部戻ってきたことがあるそうで、
それは、大正12(1923)年のこと、噂し合っているところへ大きな地震が起こります。
関東大震災でした。
都市伝説や迷信のようなものとはいえ、
「ひな流し」のように人形を形代として、
川や海に流す風習が未だに残っているのは何故でしょうか?
そして、なぜそれが本牧では「馬」なのか、その由来はなんなのでしょう?
横浜のことを調べると、千葉との深いつながりを知ることがままあります。
宮彫師「伊八」のことや、浜方の本牧原の鎮守が「吾妻神社」であったり、
総代さんに「忍足」姓の人がいることなど、その関連性は不思議ですね。
現在のように、電車やマイカー利用で千葉に行くことに慣れると、
船が重要な役割を担っていたことを忘れてしまいがちです。
ということで、ボチボチとブログを再開することにしました。
また、ホームページのサービス終了に伴って、
「散歩の閑人」という名称も、このブログに継承させることにしましたので、
ご了解くださいね。では・・・
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