千葉に行けばいくらでも竹林を目にするけれど、
さすが横浜では希少植物になってしまいました。
とにかく手入れを怠れば「雨後の筍」と例えられるほど、
密林のようなありさまになり、縦横無尽に根を伸ばすので、
庭を通り越して道路を横切るばかりではなく、
床下から床板・畳を持ち上げるなんてこともありました。
「よく京都・嵯峨野の竹林の道を使って時代劇を撮影しているが、
あの孟宗竹は徳川吉宗の頃に日本に持ち込まれたものだから、
それ以前の時代だと、背景としてふさわしくない。」
と、何かで読んだか、聞いた記憶があります。
念のため調べてみると、レファレンス協同データベース(ここをクリック!)に、
「京都・宇治にある黄檗宗寺院の僧が中国から持ち帰ったものが各地に広まった説と、
元文元(1736)年に琉球(現在の沖縄)から島津藩主に献上されて各地に広まった説がある」
とあり、わざわざ献上説を否定するものもあるようです。
竹屋さんといって、竹材を専門に扱うお店の方から聞いたのですが、
国産の竹は高級品で、もっぱら中国から輸入されることが多いのだそうです。
ただ、病害虫予防のために、農薬や防除剤を大量に使うので、
食品関係には使えないほか、日持ちも悪く、しなりもよくないと言っていました。
生簀や海苔ヒビばかりか、建築の足場に雨どい、竹垣など、
いろいろな用途に使われていましたが、時代とともに衰退してしまいました。
南房総の田舎では、ウチワやカゴを、よく祖父が作っていたのを見ていたものです。
そのため、遊びに行くときには、腰にビクを巻いて出かけるのが習慣でした。
また、孟宗竹ばかりではなく、真竹や雌竹、笹などを使い分けるのですが、
遊びや行事に使う時は別として、道具として使う時には、
11月から1月ごろに切り取って、火か湯か「竹を殺しておけ」といわれました。
さて、タケノコ。
ゴールデンウィークに千葉の田舎へ行くと、
タケノコを掘るように祖母から言われました。
それ用の道具を持って竹林に行く訳ですが、
手入れされた竹林ではないので、実に厄介でした。
タケノコの穂の先が、ちょこっと出たやつを見つけるのに一苦労、
それも粘土質の土を掘り下げていくのですから、5本も取れば汗だくです。
持ち帰ると、今度は、米のとぎ汁を入れた釜を薪で煮立たせたところに、
二つに割ったタケノコを投げ入れ、湯だったらできあがりです。
なので、見出し写真のようなものは、タケノコではなく、すでに竹です。
こんなものを採って来たら、祖母から大目玉をくらいます。
ショッピングセンターのテナントの店に、こんな缶バッジが売られていました。
「花粉症」とか「ぜんそく」とかを表示したものです。
電車やバスで、咳やくしゃみ、鼻水をかんだりすると、
新型コロナ感染を疑われて、厳しい視線でにらみつけられるのを
防ぐためなのだそうです。
効果はともかく、魔女狩りはやむをえないのかなぁ?
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