散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

240年の祈り

2023年10月01日 | ★メタ坊徒然草

いつの時代もそうであるように、災害は忘れたころにやってきます。

中学校の修学旅行で、ほとんど京都・奈良に行っていたにもかかわらず、なぜかメタ坊の中学校は、この年、行先を「信州」に変更しました。
1泊目に軽井沢にあった、いかにも歴史がありそうな星野温泉ホテルに泊まり、翌日に「鬼押出し園」見学となりました。
見渡す限りの溶岩原は、天明3年(1983)8月5日(旧暦7月6日)に起きた浅間山大噴火で噴出した溶岩流が凝固したもので、長さ5km・幅1〜2km・厚さ約30mにもおよぶものでした。まるで鬼が暴れて岩を押し出したように見えたことからこの名が付きました。
中学生ですから、ほとんどやんちゃざかりのころで、歴史好きのメタ坊以外は関心を持って見ているヤツなどいないに等しい状態でした。
そこの展示された「一瞬で埋まった鎌原村」のことが気になりました。

家庭を持ち、家族で旅行しようということになり、行先は万座温泉から鹿教湯温泉などの名湯めぐりプランを計画。
その途中、心に長く引っかかっていた「鎌原観音堂」に立ち寄ったのです。

ここでのさまざまなできごとは、ぜひ現地に行ってご覧になることをおすすめしますが、なんといっても、生死を別けた50段の石段の話です。
浅間山は、今も昔も活火山。
数百年に一度と言われる大噴火が起こります。
そのとき、遠くの高台まで逃げることができないと、近くの観音堂に避難した者がたまたま生き残りました。
それでも石段は50段(現在は、その上部15段が露出しています)。
母を背負い駆け登ろうとした娘とともに、あと少しのところで熱泥流に飲み込まれてしまいます。
そして、発掘調査によりその姿が明らかになりました。

立ち寄った当時、観音堂は鎌原地区の子孫の方々により、地下に埋まった多くの祖先を思いながら、厚く信奉され守られています。

残された15段の石段を登り、観音堂で平穏な日々が続きますよう祈りをささげました。
その観音堂内を数枚写真に納めた瞬間、右上から矢のような光がファインダーを右上から左下に突き抜けました。

「いま何か、光りましたよね!」
とまわりの人に確かめても、だれも「そんな光ありませんよ」と答えが返ってくるばかりでした。
音は聞こえても見える能力を持たないメタ坊も、まわりはセミの鳴く声ばかり、デジカメだけがその一瞬を捕えていました。

関東大震災から百年。
一定周期で発生する大地震の発生確率も高いまま、無理なことと知りながら無事であることを祈りつつ、合掌。

NHKアーカイブス…鎌原観音堂(ここをクリック!)
WITHNEWS…妻なき人の妻となり(ここをクリック!)

【メタ坊実録・ほん怖ばなし】バックナンバーは、気になる『』をクリック!
はじまり・・・『避暑って、何?』
第1話・・・・『松林のキャンプ』
第2話・・・・『お伊勢まいり』
第3話・・・・『デジカメを忘れた!』
お休み・・・・肩が痛くて手が上がらない『夏休み』
第4話・・・・『スキー天国』
第5話・・・・『スキー天国 その2』
第6話・・・・『スキー天国 その3』
第7話・・・・『穴は、撮るもの』
第8話・・・・『ラグビーしようぜ!』
第9話・・・・『雑踏』
第10話・・・・このページ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 定点かたびら川2023.09.30(... | トップ | 空いててよかったサイゼリヤ »

コメントを投稿

★メタ坊徒然草」カテゴリの最新記事