先日、JAZZを歌うのをお仕事にされている玉川健一郎さんが函館で歌うというので、pianoハウスまで行ってきた。
初めて入るその場所は「大人の世界」というか・・・
あまり私には縁のない場所。そう感じた。
でもグランドピアノがあって、その周りに座っているお客様や、ボックスがいくつかあって、流れている音楽は知っているのもが多く、そこになじむにはそんなに時間がかからなかった。
だれがうまいとか、そんなことは関係なくそれぞれが音を楽しんでいた。
なかには尺八でJAZZを演奏する年配の方がいて、フルート並みの指の動きにびっくりした。
私の周りにはどなり声や、罵る声、物が倒れる音、叫ぶ声そんなものばかりだったように思っていたけれど、昨日その尺八を聴いて思い出した。
小さなころ、おじいちゃんは尺八を吹いていた。
それを私はリコーダーで音を探して、一緒に吹いた。
おばあちゃんは、三味線で「一つとせぇ~~~」と同じところばかりだったけれど、弾いていた。
鍵盤楽器を習い始めたころは自分の家には楽器はなかった。
だから保育園に学校の帰りに練習に寄った。
家に楽器はなかった。
だからリコーダーで音を探した。
いまでいう鍵盤ハーモニカは私の友達だった。
リコーダーがうまかった。私はほかの生徒の見本になるくらいうまかった。
毎日、おじいちゃんと音で遊んでいたからなんだと、思い出した。
私の家にはおもちゃは存在していない。
テレビも、ない。
突然現れた黒いpianoには圧倒された。
練習をしないと叩かれた。
自由に弾けなくなった。
だからつまらなくなった。
家の中にpianoがなくて、外で練習していた時は楽しかったのに・・・・。
練習して間違うたびに、何かを言われた。
褒められたことってない。
それで悲しかった。
そして、私はpianoは遊んじゃいけないものとして、とらえ始めた。
きちんと、しっかり、上手に先生に見てもらうために練習をするのではなく、親に怒られないようにするための練習だったんだな。
pianoの練習も怖いものの一つだったんだ。
昨日も怖かった。
大丈夫、大丈夫って言われて座ったpianoの前の椅子。
ここと、こことずっと同じく弾いててね・・・とAのスケールの音を4拍子で、私が弾く。
そして、マスターがAのスケールの音を自由にのせてくれた。そしてドラムが入る。
こうやって自由に弾くんだよって一つ一つ、
次にその逆を。
そして、ストーリーを作って、最初は知らない人同士の会話見たく、次は仲間と出逢ったみたいに、そして、一日が終わる…見たな気持で自由に弾いてごらんと、いわれて、できるかどうかわからないけれど、弾いてみた。
そして、どんな音を出しても間違いではないし、正解もない。
でも、聴いている人の心に届くようなpianoとのおしゃべりをあなたが楽しくすれば、きっといい音が奏でられるはずだと話してくれた。
そして、楽譜を読める人は多いけれどコードを読めるpianoを弾く人は少ないから、頑張って弾けるようなったらいいねって背中を押してくれた。
すごく暖かかった。