上野山みどりのシャンソン日記

シンガーみどりの歌声日記です。随時更新中!

関東ライブの珍道中その4…♪

2014-06-01 23:48:55 | 日記
夢のようなコンサートも終わり、同級生たちとの飲み会後、みんなで鵠沼海岸駅から藤沢駅まで一緒に帰った。
JRに乗り換え品川まで行き、京急線に乗り換え鮫洲駅で降りた。普通しか止まらない駅だと聞いて一瞬不安になった私は、一つ前の駅で確認の為に降りたら、ドアがすぐに閉まりかけたので急いでまた飛び乗った。(良い子はマネしてはいけません!)

その時だわ、きっと。戻った時に同じ場所に座らなかったので、たぶん最初の座席に置いたままにしたのか、鮫洲駅で降りた私は改札駅でなんぼ探しても切符が見当たらない。お酒に酔った勢いで駅員に必死になって状況説明を始めた。駅員は黙って頷きながら、クールに最後まで話を聞き、「お話は分かりましたが、今回だけですよ。」と通してくれた。考えたら140円の切符。コンサートの疲れと酔いのせいも多少あっただろうが、私もすっかり関西のオバチャンになってしもた…と実感。

従兄弟のきよみに迎えに来てもらい、いざ彼のマンションへ。よく泊りに行ったのは小学生の頃だ。同じ犬山在住で徒歩30分位かかっただろうか。
親兄弟に日頃遊んでもらえなかった私は、唯一学校が休みの土日や夏休みなどを利用して、しょっちゅう畑のあぜ道を延々と歩きながら従兄弟の家に遊びに行ったものだ。
一番の魅力はピアノ。うちにはオルガンしかなかった。彼は大きな手で私の目の前で『乙女の祈り』を何も見ずに見事に披露してくれた。

それからだ。私が音楽に興味を持ったのは。

彼の横に張り付いて、私が『乙女の祈り』を弾けるようになるまで指導してもらった。

お互い中学~高校~大学と全く会わなくなり、約30年ぶりの再会となったわけだ。鵠沼のコンサートも駆け付けるつもりだったそうだが、当日撮影の仕事が入って止む無くキャンセル。夜のポールのコンサートもダメになり、2つとも行かれずガッカリだったようだ。

マンションに着くとコンサートに来てくれた叔母さんが料理を作って出迎えてくれた。家族団らんに私も混ぜてもらい、久しぶりに家庭の空気を味わった。


翌日、かねてから約束していた先輩たちとの再会♪

高校時代、レイニーという名のグループが一の宮、岩倉界隈で活動しており、そこに私はリードボーカルとして迎えられた。入ってすぐ、まだ輸入盤しかなかった頃のマンハッタン・トランスファーのコーラスコピーを始め、毎日学校が終わるその足で犬山と反対方向の岩倉まで行き、先輩たちの家に集まりコーラス練習に明け暮れたものだった。レコードからコードを耳コピーしギター伴奏をしながら歌う岩田先輩は、当時雑誌ロッキン・オンのテープ審査でオリジナル曲が最終審査まで残り、東京からコロンビアやトリオレコードのディレクターがこぞって練習風景を見に、愛知の田んぼの中の一軒家にやってきていたのだから、今にして思えば凄いことだったんや…。
その先輩も今では東京で有名歌手のCDの編曲やNHKのみんなの歌の作曲、ポンキッキの音楽担当などを手掛けているのだが、なんせ30年会ってないのだから、どんな話が聞けるやら、ドキドキワクワク。もう一人の先輩も名古屋でジャズシンガーとして名を成し、今は有名なベーシストと結婚して東京などでライブやカルチャー教室の講師としても活躍している。本当はもう一人先輩がいたのだが、仕事で抜けられず残念ながら会えなかった。彼女も東京の音楽学校で歌を教えているらしい。
私だけ関西で一匹狼やってんな~、と思いきや、先輩たちも東京にいながら何十年も合わずじまいだったそうだ。


岩田先輩お勧めの新宿の台湾料理店にて♪先輩撮影やけど、ボケてるやん…^^;


すっかり遅くなってしまい叔母さんに心配をかけてしまったが、無事従兄弟の家にたどり着けた。
翌朝、従兄弟と叔母さんに品川駅の新幹線のホームまで見送られ、とても幸せな気分やった~♪^^(従兄弟のフェイスブックから画像を取ったらこんなに小さくなってしまった。)

そして品川から名古屋へと続く~♪

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