徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

カーニヴァル:ローゼンモンタークのパレード、ドイツ事情

2016年02月08日 | 歴史・文化

今日はカーニヴァルの頂点と言えるローゼンモンターク(Rosenmontag)です。この日は伝統的に各地で仮装パレードが行われますが、今年は残念ながら強風警報が出ており、カーニヴァルの牙城であるマインツやデュッセルドルフをはじめとするいくつかの都市でパレードが中止となりました。しかしながら、街頭カーニヴァル復活の元祖ともいえるケルンのカーニヴァル委員会はパレードを強行。さすがというかなんというか。中止にしたらそれこそ暴動が起きそうな勢いです

まずはローゼンモンタークそのものについて。直訳すれば「バラの月曜日」ですが、その由来はドイツ語版Wikipediaによると少なくとも二つ説があります。

ナポレオン占領下でライン川沿岸の地域のカーニヴァルは厳しく取り締まられていました。1815年のウィーン会談により占領が終了し、カーニヴァルも改革されることになりました。それを受けて1822年11月6日にケルンで「パレード整列する委員会(Festordnenden Comites)」が結成され、毎年レターレ(Laetare)と呼ばれる4番目の断食日曜日の後の月曜日、つまり本来のカーニヴァルの4週間後に総会が開かれました。レターレの日曜日は11世紀以降ローゼンゾンターク(Rosensonntag、バラの日曜日)とも呼ばれていました。なぜならこの日教皇が金のバラを祝福し、それを表彰に値する人物に贈ったからです。パレード整列する委員会はローゼンモンターク会とも呼ばれていました。つまり、この説によれば、ローゼンモンタークは本来カーニヴァルの4週間後の月曜日を指していたことになります。

もう一つの説は、グリム兄弟編纂のドイツ語辞典に掲載されているもので、中期高地ドイツ語のRasenmontag(ラーゼンモンターク)、つまり、”rasenden Montag” (バカ騒ぎする月曜日)から派生しているとします。同辞典によれば、rasen (ラーゼン:狂う、失踪する、我を失う)のケルン方言はrose(ローゼ)であり、”tollen”(トレン:大騒ぎで走り回る)の意味だとのことです。

私見ですが、グリム兄弟の説の方が説得力あると思います。なぜなら、4週間後の月曜日を指す名称がなぜカーニヴァルの月曜日の名称になったのか説明できませんから。グリム説をとるなら「バラの月曜日」ではなく、「大騒ぎの月曜日」ですね。その方が実情に合ってると思いませんか?

南の方ではファスネットやファッシング、あるいはルツェルンではグューディス・メンティク(Güdis-Mäntig)と言います。

さて、本来の意味はともかくとして、ローゼンモンタークのパレードは政治(批判)色が濃いのが特徴的です。パレードに登場する張りぼて(モットー・ヴァーゲン、Mottowagen:モットーを表現する「山車」のようなもの)は必ず最新の政治的テーマをモチーフにしており、悪趣味なものもあれば秀逸なものもあります。

今年の最大のテーマはやはり【難民問題】でしょう。このブログでも難民問題の記事が意図せず一番多くなってしまっているのも、 そのためです。

ケルンでは本行列の前座として反グローバル化団体Attacによる行進がありました。モットーは「茶色の悪党に対するカラフルな火花(Bunte Funken gegen braune Halunken)」。「茶色」は通常ナチのシンボルカラーです。ここでは難民排斥運動を推し進めているペギーダを指しています。Funken(フンケン:火花)とHalunken(ハルンケン:悪党)で脚韻も踏んでいます。

© Udo Slawiczek
(http://www.attac.de/startseite/detailansicht/news/bunte-funken-gegen-braune-halunken-beim-rosenmontagszug-in-koeln-1/)

反対に物議を醸しだしているのがバイエルン州のライヒャーツハウゼンに登場した厚紙製の戦車。イルムタール難民防衛(Ilmtaler Asylabwehr)と銘打ってあります。

© Florian Simbeck/ dpa

この写真の引用元であるツァイト・オンラインの本日付の記事によれば、この張りぼて作成者に対して民衆扇動の疑いで捜査されるとのことです。

また、チューリンゲン州ヴァーズンゲンでも「バルカン・エクスプレス」と銘打った機関車の張りぼてで、車体に「災厄が来る(Die Ploach kömmt)」と書かれています。そして、バッタに扮した人たちに囲まれていたので、メッセージとしては≪バルカンルートでバッタの大群(難民たち)が押し寄せて災厄をもたらす≫と言ったところでしょう。

写真の引用元であるMDRチューリンゲンの本日付の記事によれば、こちらも民衆扇動の疑いで捜査されるそうです。悪ふざけにしろ、難民をバッタの大群に例えるのはかなりレイシズム的で、ナチスがユダヤ人をネズミの大群に例えたことを彷彿とさせます。

デュッセルドルフではパレード自体は強風警報のため中止になりましたが、パレード参加予定だった作品は市役所前に展示されています。難民の波に難破しそうになるメルケル首相やEU国境の遮断棒にぶら下がるゼーホーファー・バイエルン州首相など。

ケルンのカーニヴァルパレードはドイツ最大規模と言われていますが、デュッセルドルフはこれをライバル視して対抗してきたのですが、今年はかなり悔しい思いをしているようです。ライバルのケルンではパレードが開催されたのに、デュッセルドルフは中止。うーん、悔しいでしょうねー。カーニヴァルの積極的な参加者たちはそれこそ一年中この日を目指して準備を頑張っているので、折角の楽しみが。。。

カーニヴァルに関してもう一つ物議を醸しだしているのがアマゾン・ファッションで販売されているカーニヴァル用コスチュームで、第1次、第2次世界大戦をテーマにしたものです。ゲシュタポの制服や当時の難民の(子供の)扮装、というのもあります。

 

アドルフ・ヒトラーのマスクも!

 

んー、悪趣味ですねー。

ドイツのカーニヴァルのパレードは草の根民主主義の発露でもあるのですが、日頃の欝憤を晴らす場でもあり、普段は表に出せないことも表現できる場でもあり、かなり羽目を外してもお祭りの一過性の中で許されてしまう風潮があります。そのため、部外者の私はなんとなく見たくもないのに、他人の脳内を見せられてしまったような妙な苦々しさを感じずにはいられません。まあ、見なければいいだけの話なのですが、一応ドイツ文化の紹介も兼ねているブログですので、今日は色々とカーニヴァル関係資料を集めてみました。


カーニバルシーズン開始

女たちのカーニヴァル

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ドイツ緑の党、オリンピック2020の決断について「日本は福島の問題をごまかした」

2016年02月08日 | 社会

2013年9月9日のハンデルスブラットの記事ですが、備忘録としてここに日本語訳しておきます。現在のドイツは数年先のオリンピックどころではなく、難民問題にかかりきりですので、恐らく2019年あたりにならないと遠い日本で開催されるオリンピックのことが話題に上ることはないのではないかと思われます。

以下は拙訳です。

福島問題にもかかわらず2020年夏のオリンピックを東京で開催させるのはどれだけのリスクを伴うのだろうか? ベルリンでは最初の疑念が持ち上がっている。SPD(社会民主党)と緑の党は真の危険性についてはっきりさせたがっている。

SPDと緑の党によれば、2020年夏のオリンピック開催地として東京が選ばれたことは日本政府による問題原発フクシマの取り扱いにも相応の対応が求められることになる。「日本政府はオリンピックのプレゼンにおいて本当の危険についてごまかし、状況は完全にコントロールされていると言い張った。こうした隠蔽戦略はこれ以上容認されてはならない」と緑の党代表のクラウディア・ロート氏はハンデルスブラット・オンラインに語った。

日本は今、過去に比べて「かなりハイレベルな透明性」を構築しなければいけない。また日本はいい加減福島の問題の解決及び損害の抑制のために国際的な支援を受け入れるべきだ、とロート氏は要求した。「2020年オリンピックを鑑みても、またそれ以上に福島周辺地域及び太平洋の島々に住む数百万人の人たちを守るためにも。」

同様のことをSPD連邦議員団代表代理のウルリヒ・ケルバー氏も言っている。ロート氏同様ケルバー氏も国際オリンピック委員会(IOC)だけでなく、日本政府にも過酷事故を起こした原発に関して明瞭かつ徹底的な対応をする責任があるとみている。「日本は今から自国の福島における対策の国際的審査を受容し、その工程を調整しなければならない」とケルバー氏はハンデルスブラット・オンラインに語った。「日本は国際的信頼に値することを証明しなければならない。」

IOCは、イスタンブール・マドリッド・東京の三つ巴の戦いにおいて東京を開催地として選択したことを安全、伝統及び安定性による決断としてPRしたが、実際には彼らの運命及び選手たちの運命を重度に損傷した原子炉と結びつけたのだ。2011年3月11日の地震・津波惨劇以来、フクシマから来る悪い知らせは留まることを知らない。先週にはそこで放射線の記録的な数値が計測された。それは防護服を着ていない人間なら4時間以内に死に至るレベルのものだ。放射能汚染された水は完全密閉でないタンクから太平洋へと漏れていき、更なる水漏れ箇所も心配されている。

250㎞南に離れた東京では生活は普通で、「全てアンダーコントロールだ」とサンクトペテルブルクのG20サミットから16時間かけて危機管理者としての任務をこなした日本首相安倍晋三氏は保証した。福島の汚染は原発後の前の港周囲300m以内に収まっているという。またその範囲は囲われているとも。「私たちは復興を進めるために夢と希望が必要だ」と安倍氏は説明した。「喜びは私自身の選挙での勝利よりも大きい。」
猪瀬直樹東京都知事によればオリンピックの松明行進は問題の地域を通るようだ。 

責任感があると誤認されていたIOC委員たちにとっては原発事故はスペインの経済危機や失業率26.3%などのマドリッドの三回目の立候補を不利にしていた要因よりも脅威が少ないということらしい。イスタンブールもトルコの不安な内政状況やシリアに隣接していることでハンディを負っていたため候補地に選ばれることはなかった。マドリッドは決選投票でボスポルスの競合相手(トルコ)を相手に―両者とも26票ずつ持っていた―意外にも1回戦で負けてしまった。

「東京におめでとう。私たちは私たちの友人たちが素晴らしい大会を催してくれることに期待しています」とジャック・ロジュIOC代表は彼の任期終了3日前の開催契約調印の際に言った。問題が多いとされている2014年のソチと2016年のリオの後、東京が「安全な大会」を開催できるだろうことが(決断に)大きな影響を与えた、とクライグ・リーディICO代表代理は認めた。

「明日を見つける」が日本人のスローガンだった。彼らは2度目の立候補の際、2ゾーンでのコンパクトなコンセプトに重きを置いた。競技場の85%がオリンピック村からたったの8㎞以内にある。「東京は適材適所だ」と日本のIOCメンバーである竹田恒和氏はアルジェリアのICOメンバーに語った。

18,400㎞離れた東京では現地時間で日曜日早朝5時20分に届いたこのいい知らせは危機に慣らされた市民たちにとって勇気づけのような効果を発揮した。渋谷の歓楽街では数千人が「ニッポン!ニッポン!」とリズミカルに唱えた。大衆紙『朝日新聞』はこの喜ばしい機会を特別号で祝った。

以上翻訳。