徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ドイツ:憲法裁判所で脱原発公判開始

2016年03月16日 | 社会

メルケル政権がフクシマ原発事故後、2010年10月に決定したばかりの原発稼働期間延長を反故にし、原発8基の即時停止、及び2022年までの脱原発を決定した(詳しくは拙ブログ「ドイツの脱原発~その真実と虚構、現状(1)」)ことについて、原発事業者RWE、エー・オン、ヴァッテンファルの3社が所有権、職業及び事業の自由を侵害されたとして、憲法裁判所に訴え、3月15日から公判が開始されました。公判は2日間続きます。3社とも脱原発に異議はないとした上で、適切な損害賠償(約200億ユーロ)を求めています。

争点となっているのは、2011年の原発8基の即時停止及び、2022年までの稼働期間制限が国家による収用に相当するか否かです。それが「収容」であるという根拠は、原発事業者によれば2002年に締結された脱原発契約における脱原発までに生産可能な「残留電力量」が、憲法の保証するところの所有権にあたるということですが、政府側の法律専門家クリストフ・ミョラーは、「残留電力量」は当時の政府の予想電力量であり、事業者に生産の権利を保証したものではないという見解です。つまり、「所有権」ではなく「業績予想」に過ぎないので、それが減ったからと言って損害賠償を求める根拠にはならないということです。

バーバラ・ヘントリックス連邦環境相(SPD)は、2002年に想定された残留電力量は2011年の脱原発法においても事業者にそのまま一任されている、と強調しました。

8人の憲法裁判所判事たちは、後半最終日の今日、原発事業者側の言い分である「所有権」の根拠に疑念を抱いていることを匂わせました。判事の一人であるラインハルト・ガイアーは【収用】の条件として、国家が物資を統治権に基づいて調達し、自らそれを使用した場合又は使用する意図を持っていた場合を挙げ、原発による発電量の制限はこれに当たらない、という見解を明らかにしました。ガイアーはそのことは分かり易くコカインを例にとって説明:「国が薬物ディーラーからコカインを押収する際、確かに他人の所有権を激しく侵害することになるが、国がコカインを自ら所有することを意図したとは言えない。その反対で、国はそれを事情が許せば燃やしてしまいたいくらいだ。原発事業者の言い分は国がコカインディーラーに高額の損害賠償を払えというようなものと理解している。」

それに対してエー・オンの弁護士は「コカインの所有及び販売は違法だが、原発による発電は違法ではないのでその譬えは不適切」と反論しましたが、原発事業者側が勝訴する見込みはまずないと専門家らは見ています。脱原発法は合憲という見解が主流を占めています。

正式な判決は数か月後に出る予定だそうです。合憲判決が出ることを願うばかりです。そうでないと、結局のところ納税者が私企業の損失補填をする羽目になってしまいますから。

 

参照記事:
ハンデルスブラット、2016.03.16付けの記事「コカインの例は適用できない」 
フランクフルター・アルゲマイネ、2016.03.16付けの記事「判事らはコンツェルンの言い分を疑問視」 
南ドイツ新聞、2016.03.15付けの記事「脱原発:何十億ユーロの裁判」 


書評:孫崎享著、『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)

2016年03月16日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

外務省入省後、米・英・ソ連・イラク・カナダ駐在、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任した孫崎氏による本書「日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土」(ちくま新書)は非常に客観的に、資料をふんだんに使って日本の領土問題に切り込み、領土問題が日米関係強化の理由にならないことを暴きます。

以下が目次です:

第1章 血で血を洗う領土問題

第2章 尖閣諸島をめぐる日中の駆け引き

第3章 北方領土と米ロの思惑

第4章 日米同盟は役に立つのか

第5章 領土問題の平和的解決

第6章 感情論を超えた国家戦略とは

 

日本の領土問題の出発点は、ポツダム宣言・サンフランシスコ講和条約:「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」にあります。それ以前の領土が歴史的にどうだったかは問題ではないのです。この観点から尖閣・竹島・北方領土を見ると、どれも日本が主権を主張できるものでないことが分かります。特に竹島(独島)に関する日本の領有権獲得のチャンスは皆無です。なぜなら、アメリカの地名委員会のデータベースで竹島が韓国領になっており、2008年7月に一時的に「どの国にも属さない地域」と訂正されたものの、その後ブッシュ大統領(当時)の指示により、ライス国務長官がこれを韓国領に戻したためです。サンフランシスコ講和条約により、日本の主権は本州、北海道、九州及び四国を除く全ての島々に関して、アメリカをはじめとする連合国によって決定するため、そのアメリカが竹島を韓国領と定めたならば、それが有効になります。

北方領土に関してはアメリカの解釈に揺れがあり、そこに日ロ関係を阻害する意図が見え隠れしています。1946年1月の連合軍最高司令部訓令では日本の範囲に含まれる地域として「四主要島と対馬諸島、北緯30度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」とあり、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島等を除く」とされています。また、サンフランシスコ講和条約における「クリル・アイランド」の範囲は北千島・南千島(国後、択捉)を含むとされており、その旨はサンフランシスコ会議議事録に記録されているので、本来日本には国後、択捉を主張する立場にはありません。にもかかわらず、日ソ国交回復交渉の際、北方4島の返還を要求するようにアメリカから圧力がかかり、日本はその通りにソ連に要求したので、問題が複雑化したといえます。

尖閣諸島もサンフランシスコ講和条約では日本領に含まれない、とされていますが、米軍が実質尖閣諸島を管理し、沖縄返還の際に尖閣の統治権も一緒に日本へ引き渡したのが問題の発端とか。歴史的に見れば、尖閣は海流の関係もあって、一度も琉球王国に属したことはなく、台湾に属する小島と見られていたので、その意味では日本が尖閣の主権を主張する歴史的根拠はないことになります。このこととサンフランシスコ講和条約の規定を鑑みれば、尖閣を不当に占拠しているのは実は日本の方です。日中国交回復・日中平和友好条約締結の際に、尖閣問題は〈棚上げ〉するという合意がありましたが、これは実は日本に有利な合意。なぜなら、白黒はっきりさせようとすれば、日本の方が分が悪いからです。しかし、ここでもアメリカの思惑が働き、日中関係に緊張をもたらすためにこの棚上げ合意がなかったことにされ、2000年に締結された日中漁業協定(それぞれ自国の漁船のみを管理し、相手国の漁船に関しては外交ルートを通す)が2010年、菅直人政権下で破られ、中国漁船を日本側が直接囲い込んで退去に追いやろうとしたことで歴史的な転換をマークする【事件】に発展し、現在に至っています。もとはどっちが悪いかといえば、残念ながら日本です。

以上のように、日ロ・日中関係に口出しをしているアメリカですが、では日米関係の強化が領土問題の解決に役立つかといえば、全く役に立たないと孫崎氏は断じています。重要なポイントは日米安保条約第5条「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動する」がアメリカに軍事介入を義務付けるものではないことです。まず、北方領土及び竹島は日本の施政下にないので、安保条約の対象外。唯一対象となるのは尖閣ですが、ひとたびそこに中国の国旗が掲揚されれば、日本の施政下ではなくなるので、安保条約の対象からも外れてしまいます。そうでなくても、安保条約第5条は「自国の憲法上の規定に従って行動する」ということしか定めていないので、アメリカの交戦権をもつ議会の決定に米軍が従う、ということしか意味していないのです。しかも、アメリカの尖閣に関する立場は「主権は係争中。米国は主権問題に中立」ということで一貫しているので、日中の紛争にアメリカ議会が軍事介入を決議する可能性はほとんど皆無といえます。

中国は今や経済力でも軍事力でも日本を凌駕しているので、日本単独で武力で中国に勝てる可能性はゼロ。結局、どんなに政治家や右翼が猛ろうとも、日本には平和的解決以外の方法は残されていません。孫崎氏の提案は領土問題の棚上げと段階的な協力関係の強化です。独仏が第二次世界大戦後、一切の領土問題を横に置いて(主にドイツが)、まずは紛争の種だった石炭・鉄鋼を共同管理下に置く石炭鉄鋼連合から始め、現在の欧州連合に至っているように、日中も関係改善をしていくべきでしょう。ナショナリズムではなく実利を。

「私たちは、政治家が領土問題で強硬発言をする時、彼はこれで何を達成しようとしているかを見極める必要がある」という言葉で本書が〆られています。231ページ。大変勉強になりました。

政治家が領土問題で(あるいはその他の問題である国に対して)強硬発言をする時、歴史上大抵の場合は内政の不満を外に逸らしたいという意図があります。メディアがそれを煽らなければ国内世論はそのような政治家に対して冷静でいられるのでしょうが、その点日本のメディアはダメダメですね。「寸土といえども争うべし」という態度を貫けば、本当に寸土のために何十万人の犠牲者が出ることになります。そして得るものは恐らく何もないのです。そうならないように、平和的解決を切に願います。