フェルディナント・フォン・シーラッハの「Strafe(刑罰)」は邦訳もされているのですでにご存じの方も多いでしょう。
Inhalt 目次
- Die Schöffin 参審員
- Die falsche Seite 反対側
- Ein hellblauer Tag 快晴のある日
- Lydia リュディア
- Nachbarn 隣人
- Der kleine Mann 小男
- Der Taucher ダイバー
- Stinkefisch 臭い魚
- Das Seehaus 湖畔邸
- Subotnik スボートニク(無償奉仕活動)
- Tennis テニス
- Der Freund 友人
全編を貫くモチーフは「孤独」と言えます。
著者が刑事弁護人(Strafverteidiger)であるため、どの話も何らかの形で刑事犯罪が関わっているのですが、特に適切に罰せられないまま埋もれてしまう犯罪が本書ではメインになっています。
しかし、それぞれのケースも切り口もバリエーションに富んでいて飽きが来ません。
「参審員」では、カタリーナという女性の空虚な人生が淡々と語られた後に彼女が参審員として選ばれ、否応なくある暴力犯罪の法廷審議に関わってしまうのですが、その犯罪の被害者であり、証人である女性に自分自身を見てしまい参審員を失格になってしまうエピソードです。参審員制度自体への批判とも取れるオチで、なんともやるせない後味の悪い読後感です。
「反対側」ではある弁護士の成功と凋落が語られ、アル中の末に犯罪者になってしまうのかと思いきや、そうではなく、殺人事件の被疑者女性の国選弁護人となります。女性は犯行を否認しているものの揃えられた証拠は全て彼女の犯行を裏付けるようにみえます。
ある日彼を訪れた男がその裁判資料を見て「反対側だ」と謎の言葉を残していきます。
このエピソードは Indizien 間接的な状況証拠によって、本来行わなければならない別方向の捜査を怠り、下手すると冤罪を生み出す危険を孕んでいる事件捜査の難しさを示唆しています。
「快晴のある日」では、子殺しの罪で起訴され、刑罰を受けた母親が無事に刑期を終えて出所してくるところまで話がどこに行くのか見えないのですが、彼女が帰宅してから夫とのやり取りで実は子殺しの実行犯は夫の方だったのに、前科のない彼女が犯人として裁かれた方が刑が軽くなるということで彼の罪をかぶったという事情が明らかになります。その後に続く夫婦のやり取りが何とも殺伐としていて、オチはむしろ少し胸のすく思いがするのですが、そもそもなぜ母親が夫の罪の刑罰を受けることが可能になったのか、家庭内犯罪に対する司法の不備を考えさせるエピソードです。
「リュディア」は妻に逃げられた孤独な男性がセックスドールに並々ならぬ愛情を抱くようになる話です。「彼女」を隣人が壊したので、その復讐にその隣人に重傷を負わせて刑罰を受けることになりますが、裁判中に発せられた彼の人形に対する愛情についての評価が彼を満足させるという少し不思議な感じのするエピソードです。
「隣人」では妻を亡くしたやもめ男が主人公で、隣の家に引っ越してきた若い夫婦の妻と親しくなり、彼女に対して恋情を抱いてしまう話ですが、結果的に完全犯罪(?)が成立してしまい、「え、それでいいの?」という腑に落ちない驚きが残ります。
「小男」はタイトルの通り背の低い男の話です。女性にまともに相手にされないというコンプレックスを抱きつつも仕事ではそれなりに成功している男がある夜近所の食堂で男たちが大量のコカインらしきものが入ったスポーツバッグを彼のマンションに隠しに行くところを目撃し、実際に隠し場所を見つけて中を確認してから、何を思ったかそれを横領・転売することにします。
彼が何を考えて行動したかは詳しくは描写されていないのですが、何か大きなことをして注目を浴びたかったのに、刑法の意外な穴というか手続き上の間違いで結局「小さい」ことで終わってしまうというオチが皮肉で、短編として非常に完成されていると思いました。
「ダイバー」は妻の出産に立ち会ってから精神が少しずつ病んでいき、まともなセックスができなくなった男の末路が描かれています。妻の立場としてはやるせない話ですね。
「臭い魚」では少年犯罪がテーマになっています。警察の啓蒙と少年たちの無反応。このちぐはぐさがなんとも苦い味わいになっています。実際に起こったこととは違った調書が残ってしまっても、誰も文句を言わないので放置されたままになるというのも何とも皮肉です。
「湖畔邸」は祖父との思い出深い湖畔邸で静かに老後を過ごしたい男が、村の経済活性化のために後からできた湖畔の別荘群とそこに来る観光客たちに苛立ちを覚え、ついに「キレて」しまう話です。
何を「証拠」として認められるのか。盗聴器が仕掛けられた中での独り言は「自白」なのか。こうした法律上の難しい問いがテーマとなっています。
「スボートニク(無償奉仕活動)」はトルコ移民の父に厳しく教育された娘が父親の支配に反発して家を出て法学を学び弁護士になって最初にかかわる大きな刑事裁判の話です。東欧女性を騙して自由を奪い、ドイツで強制的に売春をさせたかどで起訴された男を国選弁護人として弁護することになった彼女は、想像以上の現実の厳しさ・理不尽さを味わうことになります。
クライアントの無罪を勝ち取ることが倫理にも社会正義にも反してしまうことがある。
「テニス」はカメラマンとして忙しくて家を空けることが多い妻が夫の浮気に気づくところから始まります。よその女が残していったらしい真珠のネックレス。彼女はそのネックレスを階段の上に見えるように置いて、また取材旅行に出かけますが、それが実に皮肉な結果を招くことになります。
刑事事件とはかかわりがないのですが、罪に対する罰は下されていると取れる唯一のエピソードです。
「友人」はどうやら著者がなぜストーリーを書くようになったのか、そのきっかけとなった友人の話のようです。
しかし、仕事を変えたからと言って人生が楽になるわけではなく、疎外感や孤独その他諸々は変わらずにあるという独白で終わっています。
以上、ネタバレにならない程度に概要と感想を書いてみました。
決して楽しくなるような物語たちではありません。
ふと立ち止まって深く考えるきっかけとなるような短編集です。
ドイツ語原文はシーラッハ・スタイルと言っていいのか分かりませんが、淡々としており、簡潔な文体なので、読みやすいです。
短編なので、ドイツ語小説を読みなれていない方でも挑戦しやすいのではないでしょうか。
邦訳はこちら。