「コロナ下でも、あなたの「自由」を手放さないために」
コロナを哲学する。
そういう印象を受けたのが本書、丸山俊一著『マルクス・ガブリエル 新時代に生きる「道徳哲学」』です。
日本で数年前から注目され、ブームにすらなった(らしい)マルクス・ガブリエルに丸山俊一氏とNHK制作班が取材し、2020年12月にまとめられて今年2月に上梓された本書は、インタビュー形式であること、その質問の多くが具体的な生活感を持っていること、そしてガブリエルの平易に説明するセンスによって普段は哲学に興味を持たないまたは難しいとしか感じない人たちにとっても親近感が持てるものなのではないかと思います。NHKの「コロナ時代の精神ワクチン」という番組の書籍化ということですから「一般向け」として構想されているのも納得です。
私はマルクス・ガブリエルのブームのことなどまったく知らず、たまたま今年4月~7月にズーム開催されていたボン・ケルン両大学の日独学術協力の一環としてのリレー講義のうちの一つで、6月23日にボン大学哲学科教授であるマルクス・ガブリエルによる「Wirklichkeit und Fiktion im transkulturellen Kontext(超文化的文脈における現実とフィクション)」というタイトルの講義を受講したのが彼を知るきっかけでした。
『なぜ世界は存在しないのか Warum es die Welt nicht gibt』や『「私」は脳ではない Ich ist nicht Gehirn』を始めとする彼の著作は「ブーム」と言われるだけあって邦訳されており、未邦訳なのは最新刊(2020年8月)の『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での倫理的進歩』くらいではないでしょうか。もちろんこの最新刊も私の積読本の中に入ってます(笑)
それはともかく、本書の魅力は知識としての哲学(特にマルクス・ガブリエルの新実在論・新ドイツ観念論などの思想)ではなく実践としての哲学に比重が置かれている点です。全世界をショック状態に陥れた新型コロナパンデミックをどう捉え、どう生きて行くのか、人類の向かうべき道はどこにあるのか、それを見つけるためには自分たち一人一人が何をしたらいいのかといったことを考えるきっかけを提供するエッセイです。
重要なのはあくまでも「きっかけ」と「提案」を提示していることで、「こうあるべきだ」という決めつけがないことです。
本書の中でもズームの講義の中でも繰り返し言及されている「他者が正しい可能性はある Der andere könnte recht haben (The other could be right.)」という違う意見や考え方を持つ者に対する敬意と「自分だけが正しい」というエゴの錯覚・誤謬を自戒する姿勢が特にすばらしいと思いました。
違いを認め、かつその違いにこだわらない対話をすることで新たな組み合わせが生まれる可能性があり、そこに倫理的進歩があると見るところに人類に対する希望というかある種の楽観主義に癒されるような気がします。
誰も排他や侮蔑の対象にならない。それがこの差別主義のはびこる昨今のご時勢でどれだけ輝いて見えることか。巷には何でもかんでも「差別だ!」と騒ぎ立てて、差別したとされる人をこれでもかと糾弾する人たちがいますが、この人たちは他者の発言や態度などを差別と決めつけて強く糾弾している時点で「差別している側」との同列に並んでるように思えます。他人を強く糾弾することは自分の考えだけが正しいと確信していなければできるものではありません。その意味で傲慢と言えます。
賢者は常に謙虚です。「私は何も知らないことを知っている」というソクラテスの言は有名ですが、それに通ずる彼の発言として「賢者はあらゆるものとあらゆる人から学び、凡人は経験から学ぶ。愚者は何でも他者よりもよく知っている(と思っている)」というのもあります。「他者が正しい可能性はある Der andere könnte recht haben. 」という姿勢はこのソクラテスの系譜に連なるものだと言えるでしょう。
マルクス・ガブリエルのそうした他者を尊重する姿勢や東洋思想に造詣が深いところばかりでなく、個人的に私がボン大学出身でボン在住であることも彼にシンパシーを感じる理由の1つですね。「場所の意味」を論じる際にボンのライン川の風景と京都の風景を引き合いに出すあたりに親しみを感じました。
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