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書評:太宰治著、『ダス・ゲマイネ』&『満願』(文春文庫)

2019年03月08日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

日本に年末年始に行った時に本屋で見かけた太宰治作品集の3番目に収録されている作品が『ダス・ゲマイネ』という短編です。『ダス・ゲマイネ』はドイツ語のDas Gemeine(通俗性または卑俗性)と作者の出身地青森県の方言「ダスケ(だから)マイネ(だめだ)」をかけた題名で、作者がパビナール中毒に苦しんでいた時期に書かれた作品の一つ。本人にとっては自信作だったらしいのですが、作者の分身同士が作中で会話をしているような奇妙な印象を受けました。臼井吉見の作品解説では【私小説】と【客観小説】の混乱形式とか、【自己喪失者の自己表現】などと書かれてますが、私には「超自己の視点の多い私小説」のように思えます。

友人たちから「佐野次郎左衛門」または「佐野次郎(さの・じろ)」というあだ名で呼ばれる25歳の大学生が「私」という語り手で、初恋を経験したと話す場面から始まります。上野公園内の甘酒屋で知り合った個性的な東京音楽学校の学生・馬場数馬(ばば・かずま)や、馬場の親類で画家の佐竹六郎(さたけ・ろくろう)、そして新人作家の太宰治(だざい・おさむ)の4人と共に『海賊』といった雑誌を作ろうとするも、馬場数馬と太宰治の仲違いから白紙に戻り、最終的に主人公の佐野次郎が電車に轢かれて死亡してしまうという内容です。この4人のうち佐竹六郎を除く3人は明らかに作者の分身と言えます。語学、特にフランス語が得意な主人公は仏文学を修めた作者が投影されていますし、娼婦に恋をしたり、酒を飲んで乱れた生活を送っているところなども作者と共通しています。馬場数馬は地主か何かの金持ちの息子で気前が良く、生活感に欠けているところが、東北の地主の息子という作者の生い立ちと共通しています。太宰治は名前からして作者そのものですね。そして、馬場数馬はこの太宰治を「嫌な奴だ」と最初から思っていて、「あいつの素顔は、目も口も眉毛もないのっぺらぼうさ。眉毛を描いて眼鼻をくっつけ、そうして知らんふりしていやがる。しかも君、それをあいつは芸にしている。」と罵りますが、この描写は『人間失格』における「私」の手記作者・大庭葉蔵の写真に対する印象に通じるものがあり、太宰治=大庭葉蔵=空っぽ(のっぺらぼう)の素顔を隠し、仮面をかぶって人付き合いする男、という図式が成り立ちそうです。馬場数馬はそのような作者の自己をある程度客観視する超自己の視点ようなものでしょう。

「頭がわるいから駄目なんだ。だらしないから駄目なんだ。」と叫びながら走って自爆するように事故死する佐野次郎の自己嫌悪も作者自身の自己像そのままなのではないでしょうか。

語り手の主人公が事故死してしまうので、エピローグは馬場数馬と佐竹六郎の対話と佐野次郎に惚れていたらしい甘酒屋のお菊に対する慰めの言葉などが述べられ、「人は誰でもみんな死ぬさ。」という佐竹の一言で締めくくられています。馬場数馬が「あいつ、うまく災難にかかりやがった」と死んだ佐野次郎を羨ましがる風なのが印象的です。自殺願望というか、「生きたくない」願望を持っているあたり、やはり作者の自己が入り込んでいるようです。フィクションですが、作者の内面がだだ洩れしているようで、「名作」というより「迷作」何じゃないかと思います。

 

『満願』は同文庫の4番目に収録されているショートショートで、小説家の「私」が伊豆の三島の知り合いのうちの二階で一夏滞在していた頃の体験を描いたもので、町医者と仲良くなって、そこに新聞を読みに通うようになると、「奥さま、もう少しのご辛抱ですよ」と叱咤されている女性が目につき、ある日その辛抱が終わり、美しくさっそうと歩いているその女性の姿を見て感動した、というだけの内容です。4年経って、その女性の姿がさらに美しく心に残っているために、そのことを日記のように書き留めたみたいな感じです。太宰治にしては比較的明るく日常的な情景の作品と言えるのではないでしょうか。少なくとも死や絶望の影がありません。

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