『凍りのクジラ』は久々に胸に刺さりました。
カメラマンだった父・芹沢光(せりざわ あきら)の名を継いで新進フォトグラファーとして活躍する芹沢理帆子(せりざわ りほこ)がカメラをとるきっかけとなった高校時代を振り返り、その原体験から自分の写真に感じられるという「光」の説明を試みます。25歳の理帆子が登場するのはプロローグとエピローグのみで、本編は彼女の高2時代が描かれています。胃癌を患い、家族に迷惑をかけたくないと父が失踪してしまってから6年後、母もがんに侵されて、「持って2年」と言われたその2年が過ぎようとしていました。父と「藤子不二雄先生」の思い出。母との関係。迫ってくる死の予感と取り残される不安。「飲み会」を通じて知り合ったオトモダチ。その中で一人進学校に通う理帆子は浮いた存在。学校での親友にはまた別の顔を見せ、本音を隠す。彼女の(進学校にしては)派手な容貌が彼女を浮いた存在にする。藤子不二雄がSFのことを「すこし(S)不思議な(F)話」と形容したのを真似して周りの人たちを「すこし・なんとか」とカテゴライズして、距離を取り、自分のことは「少し・不在」と形容する。どこにでも入っていける代わりに、どこにいても少し浮いている、「少し・不在」。
弁護士を目指しているという元彼・若尾は、勉強のために自分から別れると言っておきながら理帆子を呼び出し、徐々にストーカー化する。
そういう状況の中で、ある日図書室で本を読んでいた理帆子に「写真のモデルになって欲しい」と声をかけた1年先輩の別所あきら。彼にはなぜかいろいろなことを話せてしまえる不思議な存在。彼の正体はーー?
この作品は藤子不二雄の「ドラえもん」のオマージュで、様々なドラえもんの道具が登場します。もちろん道具だけではなく、そのストーリーに含まれる教訓や優しさが夜空の星々のごとく作品中にキラキラと散りばめられ、主人公理帆子の孤独や不安、また流氷に閉じ込められて息絶え絶えになっているクジラのような息苦しさをそっと包み込んでいるかのようです。
思春期の少女特有の繊細さやアンバランスさ、身勝手さも細やかに描写されていて、とても共感しやすく、「ああそういう風に思ってた時期あったよなあ」と懐かしく込み上げてくるものがありました。特に私も主人公同様読書(マンガ込み)好きでしたので。また、進学校というほどではありませんでしたが、そこそこ偏差値の高い高校に通い、割と目立つ外見で、根は真面目だけど、ちょっと遊んでて、なんてあたりがちょっと主人公と共通しているかなと思います。彼女ほど空気を読んで周りに合わせたりすることはありませんでしたけどね。むしろ全然合わせなかったんですけど(笑)それなりに信念を持って取っていた行動であっても、どこにもなじめない、「ここが私の居場所」と言えない孤独感や居たたまれなさはあって。。。そんな当時の感覚が蘇ってくるような作品でした。