10月3日はドイツ民主主義共和国(旧東独、DDR)がドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland、BRD)に正式に加盟したことを記念する国祭日です。ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日。それからわずか1年足らずの間に東西両国の統一交渉および戦勝国であるアメリカ・フランス・イギリス・ソ連とのいわゆる4+2条約の交渉がなされ、1990年10月3日に正式に統一が果たされました。
毎年10月3日のドイツ統一記念日(Tag der deutschen Einheit)には各地で様々な催し物が開催されますが、公式祝典はその時の連邦参議院の議長についている州で開催されます。今年はラインラント・プファルツ州で、祝典は州首都マインツで行われます。
今年はドイツ統一27周年。東西ドイツが分断されていたのは1961年8月13日のベルリンの壁建設から1989年11月9日の壁崩壊までの28年間でしたので、来年は分断の年月と統一の年月が同じ長さとなります。
果たしてこの27年間で分断の歴史は克服されたのでしょうか?
毎年この時期になると東西ドイツが融合発展したかどうかを問う世論調査が行われます。以下は forsa という世論調査会社の2017年9月13日~9月21日までの調査結果をドイツの統計サイト Statista.de でグラフ化されたものです。
全体では「東西ドイツは一つの国民になった」と思う人が50%いますが、東西や年代でその感じ方は大分違うようです。西側では52%の人が「一つの国民になった」と考えている一方で、東側ではそれが43%に過ぎません。
年代別に見ると14歳から44歳まではいずれも60%以上であるのに対して、45歳~59歳では46%、60歳以上では40%となっています。
あくまでも主観的な感覚を反映したものに過ぎませんが、世代間の感情の違いは個人的な体験あるいはトラウマに由来していると私は考えています。45歳というと、27年前は18歳で、旧東独のシステムの中で教育を受け、その後の進学なり就職なりの予定が全て白紙になったという体験をしている人が多いでしょうし、当時18歳以上で、すでに職を持っていた人たちの中には統一後に突然失業した人が相当数いたはずです。また中には西側で就職活動をして、「東出身」であることで差別を受けたり、期限付きの仕事しか見つからずに、家族を東に残したままの出稼ぎ状態が続いている人もかなりいるでしょう。この「出稼ぎ状態」は金曜日の昼過ぎからの西から東への高速道路の渋滞プラス日曜日の夕方からの東から西への渋滞にも現れています。私の元同僚にもこれを10数年続けてついにギブアップした人がいます。西側で安定した職に就けないまま心を病んでリタイヤしてしまった人も私の知り合いにはいます。このような個人的な苦々しい体験がドイツ統一を肯定的に見られない、つまり「一つの国民になった」と感じたくない原因になっているのではないでしょうか。
連帯税(Solidalitätszuschlag)が導入され、新5州と呼ばれる旧東独のインフラ整備のために投入されて来ましたが、東西の経済及び構造格差はいまだになくなったとは言い難いです。東から西への人口流出のトレンドはここ2・3年で止まったようですが、失業率や貧困危険率などの統計を見ると東側5州はやはり目立って悪い状況にあると言えます。もちろん西側にも産業構造の変化に取り残されて落ちぶれてしまったブレーメンやルール工業地帯の一部など失業率も貧困危険率も高い所があります。だから連帯税をそういう弱体化した西側の地域の復興に充ててもいいのではないかという議論も出ているくらいですが、今のところ議論だけで終わっているようです。
ドイツ:最新貧困統計(2016年度)