徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:東山彰良著、『流(りゅう)』(講談社文庫)~第153回直木賞受賞作

2018年01月15日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

直木賞受賞作ということで、東山彰良の『流(りゅう)』を読んでみました。

プロローグは中国山東省、主要舞台は台北で登場人物が中国人・台湾人なので、最初名前の読み方に戸惑い、なかなか話に入りづらかったのですが、慣れてくると面白くて止められなくなる素晴らしい筆致です。

1975年の台北で、内戦で敗れて台湾に渡った「不死身」と言われる祖父が自らの経営する布商店のバスタブに沈められて殺害され、その犯人を見つけるために、そして自分自身を見つけるために主人公・葉秋生(イエ・チョウシェン)が紆余曲折を重ねるというストーリーです。本編は1987年の大陸訪問解禁の3年前で終わり、エピローグは大陸訪問解禁3年後となっているので、殺人事件から25年後ということになりますね。葉秋生の半生というには短いスパンですが、その分祖父とその兄弟分たちの抗日戦争や内戦の回想が入るので、語られるタイムスパンは90年近くになります。

登場人物たちのキャラが濃厚なのも魅力ですが、1970年代~80年代の台北のいかがわしい界隈の雑多な音やにおいが本当に聞こえたり匂ってきたりしそうなほど鮮明な描写も素晴らしいです。暴力シーンの描写もかなり鮮明なので、それは個人的にちょっと…とは思うのですが、ハードボイルド小説ファンにはきっと魅力的なのでしょう。

葉秋生の叔父・葉明泉(イエ・ミンチュエン)は楽して金儲けしようとするどちらかと言えば「ろくでなし」の部類に入る人物で、「法螺吹き」としても知られるキャラ設定ですが、この人の法螺話はユーモアたっぷりなものもかなりあり、思わず「ぷっ」と笑ってしまいます。この小説になくてはならないキーパーソンですね。

また、祖父・葉尊麟(イエ・ヅゥンリン)が共産党に包囲されて絶体絶命の状況に陥った時に、奇跡的に彼を助け出したという狐火・お狐様が孫の代まで敬われ続けているところも面白いです。ごく当たり前のように狐火が現れたり、幽霊も登場してしまうあたりが、物語の「雑多性」を高めているように思います。その雑多な感じが台北のごちゃごちゃした感じによく似合っており、大陸の祖父のルーツである山東省の荒涼とした風景との対比を際立たせています。バブル期の東京は、主人公の仕事の場として、また台湾から大陸へ渡るための中継点としては重要ですが、絵的にはお飾りみたいな感じがします。

著者が台湾出身で日本で作家活動をしており、祖父は山東省出身の抗日戦士、父は教師とのことなので、この小説は彼の人生に重なるところがかなりあるのかなと思います。

祖父・葉尊麟の犯人を追うミステリーが主軸になっていますが、比較的早い段階で犯人が予想できてしまうので、ミステリー作品として見るといまいちですが、主人公のハードな成長記として見れば実に魅力的な小説だと思います。

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書評:桜木紫乃著、『ホテルローヤル』(集英社文庫)~第149回直木賞受賞作

2018年01月14日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

直木賞受賞作ということで、桜木紫乃の『ホテルローヤル』を読んでみました。著者は北海道釧路市出身で、作品の舞台も出身地かその周辺であることが多いようです。そして「ホテルローヤル」はなんと父親が釧路市で経営していたラブホテルの名前だそうで、ご本人も部屋の清掃などで家業のお手伝いをしたようです。そのせいかこの短編集には性愛に対するあっけらかんとしたリアリズムと同時に妙に冷めた距離感がにじみ出ているように感じました。つまり、そこに恋愛的ときめきがないのです。描かれている男女関係もどこかいびつで。

収録作品は、「シャッターチャンス」、「本日開店」、「えっち屋」、「バブルバス」、「せんせぇ」、「星を見ていた」、「ギフト」の7編。

「シャッターチャンス」は、恋人から投稿ヌード写真の撮影に誘われた女性事務員が、誘われるまま廃墟となった北国の湿原を背にするラブホテル「ローヤルホテル」の一室で撮影のリクエストに応えつつも違和感を感じ、抵抗を試みて、また言いくるめられる倦怠感漂う女性の話。挫折から立ち直ろうとなぜか投稿ヌード写真に熱を上げる男との温度差は激しい。

「本日開店」では、小さなお寺の大黒が檀家からお布施をもらうために肉体関係を持つというお話。檀家総代が代替わりして、今まで枯れたおじいさんを介護するような感覚でお相手をしていた彼女はちょっとときめいてしまい、罪悪感に心が揺れるお話。ここでは「ホテルローヤル」の社長だった男のお骨の引き取り手がないために、彼と親しくしていた檀家の一人がそのお骨を大黒に預けます。

「えっち屋」は、母親が家出して10年後、70代半ばの父親が肺を患って入院中のため、「ホテルローヤル」を廃業作業をする娘の話。就職試験に全部失敗したので家業を手伝っていた彼女は廃業を機に旅に出る決意をします。無謀かもしれませんが、前向きな感じがいいと思いました。「えっち屋」と呼ばれる取引業者の境遇もなかなか興味深いです。

「バブルバス」は、お墓参り帰りの夫婦が久々の夫婦の時間を「ホテルローヤル」の一室で過ごすというお話。お寺の住職がダブルブッキングで来れなかったために浮いたお金を使って。「本日開店」の大黒がちょっとだけ再登場します。

「せんせぇ」には、私が重大な見落としをしたのでなければ、「ホテルローヤル」は全く登場しません。妻が高校3年の頃からずっと付き合ってきた高校教師で現校長の仲人で結婚した小心の高校教師。妻は結婚後も校長との関係を保ったままだったことが発覚して、なおも怒れない小心さ。単身赴任先から連休に釧路の自宅へ予告なしに帰ろうと電車に乗ります。彼を追いかけるように電車に乗ってきた彼の生徒。借金をきっかけに母親が出ていき、父親もいなくなってしまい行き場をなくしてキャバクラ嬢にでもなるかと函館へ向かおうとする彼女。全体的に悲哀が漂うストーリーです。

「星を見ていた」は、「ホテルローヤル」で清掃婦として働く60歳女性の話。元漁師の夫は10歳年下で現在無職。長男長女は中学卒業後すぐに家を出てしまい、消息不明。唯一次男だけが左官職人に弟子入りして、夜間高校を自力で卒業し、定期的に連絡してきていました。この短編が一番インパクトが強かったです。「毎晩下着の中のものを大きくして妻の帰りを待っている夫(50)」もアレですが、なによりも主人公の彼女が指針としている母親の教えが凄い。

『いいかミコ、おとうが股をまさぐったら、なんにも言わずに脚開け。それさえあればなんぼでもうまくいくのが夫婦ってもんだから。』

え?.......

『いいかミコ、何があっても働け。一生懸命に体動かしている人間には誰も何も言わねぇもんだ。聞きたくねえことには耳ふさげ。働いていればよく眠れるし、朝になりゃみんな忘れてる。』

え?.......

そうですね、そうできるならそれも処世術の一つかなとは思います。

そうしてミコは次男が起こした事件をきっかけに優しくなる周囲の態度を受け止めきれずに一人涙して星を見る。。。純文学的な雰囲気ですね。

またミコは中学を卒業してからずっと働き詰めで自分が「苦労している」とか「貧乏である」とかいう自覚が全然なかったというのもリアリティがあって、先日『続・下流老人』を読んだばかりなので、余計に「ああ、こういう人たちが受けられるはずの保護のことも知らずにただひたすら頑張って疲弊していってしまうのだな」と思わずにはいられませんでした。

 

「ギフト」は「ホテルローヤル」サーガの始まりの話で、「大吉」という縁起のいい名前を持つ男がラブホテル建設の契約をした途端に妻に離婚届を突き付けられ、戻る気配がないので、今までかわいがっていた愛人が妊娠したこともあって、彼女と結婚することを決意し、ラブホテル事業に夢見るお話です。「えっち屋」ですでにこの愛人が逃げ出してしまう結末が分かっているだけに、人の営みの悲哀を感じてしまいますね。

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書評:藤田孝典著、『続・下流老人 一億総疲弊社会の到来』(朝日新書)

2018年01月14日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

 『続・下流老人 一億総疲弊社会の到来』は、前作の『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』が現状報告と問題的に重点が置かれていたのに対し、「ではどうすればいいのか」という解決の糸口の比重が大きくなっており、その際に財政社会学を専門とする慶応義塾大学経済学部教授の井上英策の考察やフランスの社会保障制度などが紹介されているのが興味深いです。

著者の最も切実なメッセージは「汝、理想を語るバカになれ」ということではないでしょうか。「仕方ない」とあきらめてしまうのではなく、「自己責任」論を振りかざして助けを求める人たちを攻撃するのではなく、また困難を「自分で何とかしよう」と個人の限界を超えて頑張って自殺したり家族と共倒れしたりするのではなく、みんなが安心して健康で文化的な生活を送れるような社会にしていくために、一人一人が声を上げ、つながりを形成し、少しずつでも社会がよくなる努力をしていくことが肝要ということですね。権利は「与えられる」ものではなく戦って「勝ち取る」もの。

以下は目次です。

はじめに

第1章 深刻化する下流老人

第2章 生きるために働く老後 ―死ぬまですり減る、心と体ー

第3章 誰もが陥る「死ぬまで働く」という生き方 -なぜ高齢者は働かざるを得ないのか―

第4章 日本の老後はカネ次第 ―不気味な顔を見せる格差社会―

第5章 下流老人を救うカネはどこにある? ―これから「財源」の話をしよう―

第6章 一億総下流化を防ぐ解決策 -持続可能な未来~子ども世代へ

 

「一億総活躍」といわれる国策の裏には、「老後に働かない」選択の自由を奪い、「死ぬまで働く」ことでしか生きていけない状況を作り出す社会保障改悪が隠れていると、著者は鋭く指摘します。

また社会保障を改悪していき、「自己責任」で、ありとあらゆるリスクを「家族の問題」にしてしまうことによって、家族のキャパを超える問題が複合的に発生する可能性が大きくなるという指摘も、政治家の皆さんには是非とも考えていただきたいことです。具体例として年金生活に入ったばかりの「前期高齢者」が、親の介護のために時間と金を取られ、その上、嫁に行った娘が離婚して鬱病を患い、その子どもを連れて実家に戻ってきたため、娘と孫たちの生活費も賄うためには年金だけでは到底足りないので、老骨に鞭打って新聞配達のアルバイトをするケースが挙げられています。

類型的に見ると、老親の介護と成人した子どもの非正規労働などによる貧困の板挟みで、家庭内ではにっちもさっちもいかない状況が体制的に生み出されているいうことです。

そもそも生涯未婚率が記録的に高くなっている昨今、「家庭」を前提にした福祉制度そのものが時代遅れで現状に合致しないものになっていると言えます。

労働市場の規制緩和の結果、大量の非正規雇用を生み出し、ボリュームゾーンにあたる所得の「中の下」層が下流シフトしたため、平均年収が下がり続け、貧困が拡大しました。

日本の最低賃金は先進国最低のレベルで、フルタイムで働いたとしてもまともに生活できないレベル。

OECD諸国のうち日本のジニ係数(格差を表す指数)は9位、相対的貧困率は6位で、以前に比べて社会全体が貧しく、また格差が広がっています。一方で「格差の是正に賛成」と解答している人の数は58ヶ国中39位で、「不平等な社会だとは思わない」人の割合が12位、「格差が大きすぎると思わない」人の割合が13位。実際に格差が拡大していて、自分も貧しくなったと実感している人が多いのに、格差の解消に対する関心が薄いのが日本の社会だと慶応義塾大学経済学部教授の井上英策は指摘しています。

その理由として、政治不信や納税に対する受益の不公平感を起因とする租税抵抗(税金を払いたくない気持ち)が他国に比べてもかなり強いこと、勤労を美徳とする意識、基本的人権や民主主義の意識の低さが挙げられています。いずれにせよ先進国として実に恥ずかしいお粗末な状態と言えます。

国民経済の観点から見ると、貧富の格差はむしろ経済成長を阻害し、停滞を招くというデータはあっても、トリクルダウンが成功した客観的データは存在しません。このため、まずは経済成長ありきで、供給側の支援を減税などの形で行い、福祉を後回しにするという発想自体が間違いだと言えます。福祉国家と言われる北欧などの税率の高い国の方が軒並み日本より高い成長率を示しているその意味を改めて考えるべきでしょう。

社会保障の提供する最も重要なものは生活に関する「安心」です。人は現在や将来に不安を抱いていれば、「もしものため」を考えてやたらと貯蓄する傾向が強くなります。その結果消費が落ち込むため、国内需要に依存する企業の収益も落ち込むことになります。そうした企業はブラック化しやすいため、そこで働く労働者たちの雇用不安が増し、さらに消費が落ち込むという悪循環に陥ります。逆に社会保障がしっかりしていて、失業しても、病気になっても最低限の生活が保障される社会であれば、人はその安心感からやたらと貯蓄することなく、消費を増やします。結果として国内需要も拡大するので、企業収益も上がり、全体的な経済成長も適度に実現します。

詳しい著者の提言については本書に譲るとしてここには書きませんが、「救済型」の福祉ではなく、みんなが一定の公共サービスを受けられる「共存型の再分配」を目指すのは、僻み・妬み・嫉みから来る「受益者」に対する非人道的なバッシングを失くすために有効な道だと思います。

また、マクロ経済学的に見ても、所得が低いほど貯蓄傾向が低く、消費傾向が高い、つまり増えた所得がそのまま消費に回りやすいため、経済活性化には低所得層を支援する方が、トリクルダウン幻想に基づいた供給側の助成よりも有効です。

そのための財源を獲得するためには増税は避けて通れないのですが、その前に日本は税金の使い道についての透明度を高めるべきですし、政治家や官僚のモラルハザードを許さないシビリアンコントロールを強化するべきです。政治家のモラルの低さは、国民の意識の低さを反映しています。政治不信とは、結局のところ自分自身への不信でもあるわけです。そうした不信感をある程度まで払拭することができれば、生活に必要な公共サービスの充実のための増税に対する社会的合意も形成されてくるのではないかと思います。


書評:藤田孝典著、『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新書)


書評:森見登美彦著、『四畳半神話大系』(角川文庫)

2018年01月12日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

『四畳半神話大系』の舞台は京都で、主人公は大学3回生で、『夜は短し歩けよ乙女』と舞台も登場人物もかぶっています。主人公の住む京都市左京区下鴨泉川町のおんぼろアパート・下鴨幽水荘は、『夜は短し歩けよ乙女』にも登場する樋口師匠(天狗)の住処でもあるので、両作品に登場しますが、『四畳半神話大系』ではこのアパートの四畳半が主要舞台となります。

全部で4話あり、その一つ一つが大学入学当初に入るサークルについての主人公の決断の違いによって導き出されるパラレルワールドとして語られます。サークルの選択肢自体既にかなりうさんくさい(映画サークル「みそぎ」、「弟子求む」、ソフトボールサークル「ほんわか」、秘密機関〈福猫飯店〉)のですが、案の定どれに入ってもいい結果にはなりません。

第1話から第3話までは、微妙に展開が異なるものの、「唾棄すべき親友」小津に出会うこと、その師匠であり、同じアパートの住人である樋口、そして彼の旧友の歯科衛生士・佐貫さん(女性、『夜は短し歩けよ乙女』でも活躍)に出会い、妙な占い師に会って、「好機を掴むキーワードはコロッセオ」のようなことを言われ、最後に賀茂川デルタにかかる賀茂大橋にいる時に大量の蛾が通り抜け、小津は欄干から鴨川へ落ちて骨折し、主人公は明石さんという女性と恋仲になるという大筋は同じなので、1話目はともかく、2話・3話とデジャヴュが多すぎて若干だれます。

それでも面白いことに、それぞれ別のパラレルワールドであるにもかかわらず、微妙に相互に干渉し合っていて、まともな理屈で理解しようとするものを翻弄します。

第4話は、上述の1~3話の重要イベントは共通しているものの、主人公が無限のパラレルワールドの四畳半が連なる世界に入り込み、四畳半の部屋から出られなくなるというミラクルな展開で、2・3話でだれた読者をガッツリ話に引き込みます。無限の四畳半の部屋たちはよく見るとそれぞれ微妙に違いがあり、1~3話との関連性もあるという工夫が面白いです。

結局どんな選択をしても「私」は「バラ色のキャンパスライフ」からは程遠く、運命の「黒い糸」でグルグルに結ばれた小津と共に無為に大学生活を送ることになることに変わりはないという身も蓋もない結論しか出ないのですね。

この小説のアイデアや構成は非常に興味深いと思いますが、全体的に大学サークルのノリのような印象がぬぐえません。悪くはないけど、特別に面白いというわけでもありません。

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書評:森見登美彦著、『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)~第20回山本周五郎賞受賞作品


放射線照射第一回(がん闘病記19)

2018年01月11日 | 健康

今日は放射線照射の第1回目でした。

当初の予定では、治療は1月8日に開始する筈でしたが、放射線量を計算する元となるCT撮影を膀胱中の水分が不足していたために2回やり直す羽目になり、その分治療開始がずれ込んでしまいました。

私の場合、子宮があった場所の周辺部分を外部照射することになっています。尾籠な話で恐縮ですが、その照射範囲に放射線に弱い小腸が入ってしまわないように、膀胱を一杯にして小腸を押し上げる必要があったわけです。今日もCT撮影の時とほぼ同じ膀胱・小腸の位置を再現するために、照射の1時間ほど前に1リットル近く水分を取りました。冷たい水を大量に飲んでしまったので、体が冷えてしまったのはよくなかったですね。明日は温かい白湯とか生姜湯とかを飲もうと思います。

さて、放射線照射の前に、靴やズボンを脱がなくてはいけないので、下の写真のような着替え用キャビンに案内されます。幅1.5m弱、長さ2mくらいかと思います。そこにイス1つ、鏡1枚、絵が2枚。

 

さすがに放射線室で私が写真を撮るわけにはいかないので、病院のパンフレットから直線加速器の写真を転用。

これの黒い台に横になり、このずんぐりむっくりした放射線照射の機械が何回か回転するのを不動のまま待ちます。照射は上下・両脇などいろんな角度から下腹部に向けて行われます。

その間じっとしている患者の退屈を紛らわすためなのか、真上の天井には、桜の花の咲く木々の間から見える青空を撮影した写真が飾ってありました。2x2mはあるのではないでしょうか。確かに白い天井を見ているよりは青空の写真を見ている方が、閉塞感が少ないかも知れません。

照射時間はトータル5分位でした。その後、お腹に新しいマーキングを入れられ、寝ている状態で写真を撮られました。

なんだかんだで滞在時間は30分以上になり、駐車料金を払わなければならなくなったのがちょっと悔しいですね。後5分早く終わっていれば無料だったと思うと余計に。。。

放射線照射の副作用は、今日のところは若干気持ち悪くなった程度です。回を重ねると累積放射線被曝量が増えるので、副作用が強くなる可能性があるらしいです。あまりひどくならないことを祈ります。

明日は12時から照射。週末はお休みで、月曜日からまた毎日12時に照射です。

がん闘病記20


唐突ながん宣告~ドイツの病院体験・がん患者のための社会保障(がん闘病記1)

化学療法の準備~ドイツの健康保険はかつら代も出す(がん闘病記2)

化学療法スタート(がん闘病記3)

抗がん剤の副作用(がん闘病記4)

え、緑茶は膀胱がんのもと?(がん闘病記5)

ドイツ:傷病手当と会社からの補助金(がん闘病記6)

抗がん剤投与2回目(がん闘病記7)

抗がん剤投与3回目(がん闘病記8)

医者が満足する患者?(がん闘病記9)

マリア・トレーベンの抗がんハーブレシピ(がん闘病記10)

抗がん剤投与4回目(がん闘病記11)

化学療法の後は放射線治療?!(がん闘病記12)

抗がん剤投与5回目(がん闘病記13)&健康ジュースいろいろ

抗がん剤のお値段とがん代替治療の死亡率(がん闘病記14)

抗がん剤投与6回目&障碍者認定(がん闘病記15)

化学療法終了…その後は(がん闘病記16)

放射線腫瘍医との面談(がん闘病記17)

放射線治療の準備(がん闘病記18)

書評:Kelly A. Turner著、『9 Wege in ein krebsfreies Leben(がんが自然に治る生き方)』(Irisiana)


書評:森見登美彦著、『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)~第20回山本周五郎賞受賞作品

2018年01月08日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

 『夜は短し歩けよ乙女』は第20回山本周五郎賞受賞作品。題名は大正時代の歌謡曲「ゴンドラの唄」の歌詞「命短し恋せよ乙女」をもじったものであることは一目瞭然。ということで、急に「ゴンドラの唄」が聞きたくなって、YouTubeでいろいろと聞き比べたところ、森昌子の歌う『ゴンドラの唄(歌:森昌子)』が一番くせがなくてオリジナルに近い感じで気に入りました。

それはさておき、 『夜は短し歩けよ乙女』は大学のクラブの後輩に恋をして、何度も「偶然の出会い」を演出しようとする男と、そのターゲットとなっている後輩の「黒髪の乙女」が交替で語る物語です。少しファンタジーの入ったコメディという感じです。

私は森見登美彦の作品を読むのはこれが初めてなので、この作品の文体が彼のスタイルなのか、この作品独特の演出なのか判断しかねますが、奇妙な表現が満載です。主人公の片割れである乙女はちょっと古めかしい(例えば「楽しきこと」)言い回しをするので、インスピレーションの元である唄の時代をイメージしているのかなと思います。

そして絶賛片思い中の彼は、「私は彼女と私を結ぶ赤い糸が路上に落ちていないかどうか、鵜の目鷹の目で探していた。」なんてことをのたまったりします。え、「赤い糸」ってそうやって探すものなの?

夜に一人でお酒を思いっきり飲みたくなって京都の町をうろつく乙女はとあるリーズナブルなお店を見つけて、「お財布への信頼に一抹の翳りある私のような人間のために神が与えたもうたお店」と面白い言い回しで表現したりします。単に「お財布にやさしいお店」と言っても良さそうなところをそこまで引っ張るか?とツッコミたくもなりますが、こういう奇妙な言い回しと、二人が巻き込まれるあり得ない出来事の組み合わせが醸し出す独特の世界がこの作品の味わいなんだと思います。

少々ドタバタし過ぎているように私には思えますが、かなり笑えるので、エンタメ性は高いと思います。

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書評:辻村深月著、『鍵のない夢を見る』(文春文庫)~第147回(2012上半期)直木賞受賞作

2018年01月07日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

辻村深月の『鍵のない夢を見る』も直木賞受賞作品です。直前に読んだ直木賞受賞作品『海の見える理髪店』は全体の印象が「ほっこり」でしたが、『鍵のない夢を見る』の印象は「それってアリなの?」という何とも言えない違和感です。

短編集ですが、表題に相応する作品はありません。収録作品は『任志野町の泥棒』、『石蕗南地区の放火』、『美弥谷団地の逃亡者』、『芹葉大学の夢と殺人』、『君本家の誘拐』の5編で、最後に林真理子x辻村深月の対談が収録されています。お二人とも山梨出身だそうです。その対談によりますと、著者は地方の閉塞感や行き詰まりの中でこそ生まれるドラマを描きたかったそうです。『鍵のない夢を見る』とは、未来の扉を開けられない、つまり閉塞した中で夢を見る、ということなのでしょう。

 

『任志野町の泥棒』

主人公が母親と共に伊勢神宮行きの観光バスに乗ると、そのバスガイドが小学生のころ近所に住んでいた同級生の「りっちゃん」でした。そこから「りっちゃん」を巡る主人公の回想に入ります。語り手の視点が小学生高学年から高校生なので、「なんで、どうして」という疑問に答えるような説明がなく、なんとなく腑に落ちないまま話が終わります。一時期仲良くしていた友達。彼女の母親がご近所で泥棒を働くということが評判となり、ついに自宅で「現場」に居合わせてしまい、以降「りっちゃん」との間にもわだかまりができ、泣いて謝られたので仲良くはしていましたが、小学校卒業をきっかけに完全に縁が切れてしまう。主人公は彼女に対する疚しさからよく覚えていたのに対して、高校生になった偶然会った彼女の方は主人公の名前すら憶えていなかった、という虚しい孤独感。そう、自分だけ気にしてて、相手の方は全然気にしてなかったということってよくありますよね(笑)そういう割と日常的なドラマが生き生きと描かれています。

 

『石蕗南地区の放火』

主人公の笙子(36)は独身、財団法人町村公共相互共済地方支部の正職員。かつて合コンで出会い、好みでないのに一緒に横浜まで出かけてしまった消防団の大林が放火を働いて逮捕されたので、笙子は、彼が「お七」のように自分に会うために放火を働いたのではないかと勘違いします。以前にメールや電話でしつこくされたことと、火事現場が彼女の実家の目と鼻の先だったという事実を結びつけた妄想なのですが、彼との思い出やいまだに独身でいることの焦り、10歳も年下の同僚に覚えた嫉妬心など彼女の回想と気持ちの揺れがテンポよく描かれています。

笙子のように他人の目を気にして、見栄を張り、自分の思い通りに事が進まないことを気に病んでいたら、さぞかし生きづらいだろうと思わずにはいられません(笑)

 

『美弥谷団地の逃亡者』

このお話しは美衣と陽次という20歳過ぎの恋人たちが房総の海を目指して旅をする話なのかと思ったら、美衣の方はパンツの着替えも用意してない程行き当たりばったりなので、「おや?」と思っているところで美衣の回想に入ります。学校でキョンシーごっこをしたとか、友達に処女を失ったことを自慢されて、自分も出会い系で知り合った人とセックスしたとか、陽次とは高校卒業後にバイトをしたりしなかったりしていることに出会い、どういう関係だったとかそういう回想が延々と続くうちに段々不穏な雰囲気が出てきて、なぜ二人は今一緒に居るのか疑問に思っていると、陽次が殺人容疑で逮捕されます。被害者は美衣の母親。おおおっと思う話の【転】ですが、だったら美衣はなぜのんきに回想しながら、パンツを替えられないことを気にしつつその男と一緒に居たのかという別の疑問が湧いてきます。もちろん、それについての説明はありません。元DV彼氏に目の前で母親を殺され、そのまま彼に引っ張られて行ったにしても、他に考えることがあるのではないでしょうか?

 

『芹葉大学の夢と殺人』

「指名手配中の容疑者、女性を突き落とす?」という新聞記事から始まるこのお話しは、そこへ至る経緯がその突き落とされたらしい女性・二木美玖(25)の視点で語られます。芹葉大学工学部教授・坂下元一(57)が他殺体で見つかった事件で指名手配中の羽根木雄大容疑者(25)は、美玖と大学時代に交際していました。

工学部に入りながら、「医学部に入り直して医者になる」という夢を見る男・雄大。だけど、医者になるのは生活を安定させるためで、実はサッカーをやりたいという現実感覚ゼロの男。「何故、私も一緒になって酔うことができる範囲の夢に留まってくれないのか。「バカみたいに大きい」と語った夢が、本当にバカみたいだなんてひどい。」という美玖の思いに思わず吹き出してしまいました。

でも雄大は外見はよく、美玖は彼以外の男性を考えられない模様。大学卒業後、イラストレーターになる夢をあきらめて実家に戻り、地元高校の美術教師に収まりますが、工学部を卒業できず、医学部受験にも失敗し続ける雄大との関係は遠距離恋愛として続いていました。彼に大して好かれたり、興味を持たれたりしていないということを十分承知しながら。

「交通費三万円、ホテル代一万円、食事代三千円、お茶代千五百円。彼に抱かれて家路につくとき、私はそれらの合計の金額で雄大に抱いてもらっているのだな、と思った。」

ちーん。

いや、本当に「「好き」という魔物の感情」と描写されるとおり、理屈ではないのは分かるのですが。。。

これは、色々と興味深いお話でした。

 

『君本家の誘拐』

母親・君本良枝が大型ショッピングモールにあるショップで急にベビーカーがそばにないことに気づくところから始まるこのお話しは、26歳で「比較的早めに」結婚したのになかなか子供ができないことに悩み、パニックを起こしかけていたところに娘・咲良を授かって、産休を取ってマンションで子育てをする母親の孤独感や疲労感を描いています。良枝は出産のために実家に帰り、出産後1か月も実家で過ごしたので、特に自宅での孤独とのギャップが大きく感じられたのでしょう。満足に寝れないという、近頃話題になっている「睡眠負債」も大ポカをやらかす一因になっているのでしょうね。そういう辛さが描かれているのに、決して一面的で母親に同情的なだけでなく、少し距離を置いた視点も混じっているのが興味深いと思いました。

良枝はまだ妊娠する前に友達の結婚式で一緒に参加した友達・理彩に「子どもができない」悩みをぶちまけ、泣き出してしまったことがありました。そのすぐ後に妊娠して、咲良が生まれた後に理彩が訪ねてきて、この件が話題に上るのですが、良枝が「あの頃は、私、本当に追い詰められてた」と言い、それに対して理彩が「謝らないんだ。」「心配かけてごめんねって謝るかと思った。」と返すシーンが印象的です。その後に続く二人の対話の中で、二人の感覚の隔たりがよく表れており、良枝がそれに気づいていない、つまり視野狭窄に陥っているのが浮き彫りになります。

結局、咲良ちゃんは誘拐されたわけでなく、家の玄関前にベビーカーごと置き去りにされてただけでした。良枝は「私は、やってしまったと自分で自分にびっくりするのですが、私にはその後の自分の間違いを取り繕おうとして取った彼女の行動の方がよっぽどびっくりでした。

 

「行き詰まっている」感じは最後の2作に顕著だと思いました。確かに「行き詰まりの中で生まれるドラマ」だと。

私は東京生まれ千葉県市川市育ちなのでいわゆる「地方」とは無縁で、「上京するか地元に残るか」という選択肢で悩んだ経験もありません。東京のベッドタウンである市川市、江戸川を超えれば東京都、東京駅まで20分程度という土地柄ですので「上京」という言葉自体があまり馴染みのないものでした。今はドイツの田舎でも都会でもない、これでも一応元は一国の首都だったというボンに住んでますけど、ドイツは日本と違って地方の力が強い国ですので、現在首都のベルリンは何かを成し遂げるための選択肢の一つに過ぎないのです。だからやはり「上京か地元か」みたいな二択とは無縁です。前置きが長くなってしまいましたが、要するに、たぶん私は「地方の閉塞感」的なものはこの短編集から読み取れてないだろうということです。

 「行き詰まっている」感じ自体にも距離感はあります。私はどちらかというと「自由な」人なので(笑)

何はともあれ興味深い作品たちでした。特に一人称小説なのに客観的視点がうまく取り入れられているのが素晴らしいですね。他の作品も読んでみようという気になりました。あと、林真理子の作品も読んでみたいです。名前しか知らない作家さんですが、対談を読んでいて興味を持ちました。

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書評:荻原浩著、『海の見える理髪店』(集英社文芸単行本)~155(2016上半期)直木賞受賞作品

2018年01月06日 | 書評ー小説:作者ア行

『海の見える理髪店』は表題作の他、『いつか来た道』、『遠くから来た手紙』、『空は今日もスカイ』、『時のない時計』、『成人式』の5編が収録された短編集です。どれも家族関係をテーマにした作品で、「ほっこり」という感想が最もふさわしい物語ですが、直木賞受賞作品にしては軽すぎる感じがしなくもありません。

 

『海の見える理髪店』

田舎町の海の見えるところにひっそりと建つ理髪店の年老いた店主が、若い客の髪を切り、髭を剃り、マッサージをしながら自分の生い立ちを語るお話。いつもはさほど饒舌ではないと思われる店主は、そのお客には特別に色々と語りたかったという。そのお客は小さい頃に手放さざるを得なかった店主の息子でした。

店内にある大きな鏡のおかげで、そこに座ったお客は海を見ることができるという舞台が素敵です。

 

『いつか来た道』

弟に言われて、16年間音信不通にしていた一人暮らしの母を尋ねる娘の話。散々反発した母親の年老いた姿を見て抱く気持ちは複雑で、過去のわだかまりが消えるわけではないけれど。。。

私も母との折り合いが悪かったので、この娘・杏子の気持ちには共感できました。でもせっかく訪ねた母親が自分を娘と認識できなくなっていたのは悲しいですね。でもだからこそ昔の怒りや鬱憤が解けて、労りの気持ちが芽生えることもできたのかなとも思います。

 

『遠くから来た手紙』

仕事三昧の夫と口うるさい義母に嫌気がさして実家に娘を連れて帰った祥子が、その晩から受け取るようになった不思議なメール。最初は夫のいたずらかと思っていたけれど、どうも違うらしい。それは戦死した祖父が祖母に宛てたメッセージだった?

 

『空は今日もスカイ』

親の離婚で母の実家に連れられてきた茜は、家出をして海を目指します。小学3年の茜はいとこから教わった英語がお気に入りで、なんでも英語に言い直すとものごとが違ったものに見えて来るのを楽しんでいます。神社で出会った少年の森君は「フォレスト」。

この物語は二人を保護したはずの男性が勘違いで警察に責められてしまうところで終わるので、かなり後味が悪いです。


『時のない時計』

この物語の語り手は、父の形見分けとしてそれなりにいいものらしい古い腕時計を貰った中年男とその時計を修理する年老いた時計職人の二人ですが、対話は殆ど無く、中年男の独白に、時計職人の様々に時を刻む時計たちの謂れの説明が混じっている感じです。その時計は娘が生まれた時間、あの時計は娘が死んだ時間という具合にいくつかの時計をその時計にまつわる人に起こった出来事の時間で止めて置いてあり、それらについての説明で老人の物悲しい人生が浮かび上がってきます。それを聞きながら自分の過去を振り返り、父親との関係に思いを馳せる中年男。なかなか切ないが味わいのある作品です。


『成人式』

5年前に15歳で交通事故で亡くなった娘のことがいつまでも深い悲しみの棘として心に刺さっている夫婦が、娘の死亡を知らずに来た成人式の着物のカタログをきっかけに、自分たちで娘の代わりに成人式に出席することを決意し、衣装を整えて本当に出席してしまうお話しです。その姿は滑稽でもありますが、本人たちの癒しには必要な儀式で、カタルシスがあります。成人式に参加していた娘の元同級生たちの思いやりにほっこりと癒されます。

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書評:木内昇著、『新選組裏表録 地虫鳴く』(集英社文庫)

2018年01月05日 | 書評ー小説:作者カ行

木内昇の『新選組裏表録(うらうえろく) 地虫鳴く』(2010年発行)は、新撰組をちょっと違うアングルから描いた物語です。物語の中心となっているのは名もない新選組隊士・安倍十郎で、伊東甲子太郎と共に新選組を抜けて御陵衛士となり、伊東亡き後薩摩に合流したため、新撰組と接点は多いものの、途中からは敵方の視点が多くなっています。伊東、その実弟の三木三郎、そして篠原泰之進の活躍(暗躍)が多く語られています。

また学者肌の新選組隊士・尾形俊太郎やその下で活躍した監察方の山崎丞にも多くスポットがあてられています。

新選組の方に肩入れしてしまうと、組を割って出て、挙句近藤暗殺を企んだ伊東一派は悪者に見えてしまいますが、立場を変えて見てみると、まあ当然ですが、一概に善悪で分けられないものばかりということが分かります。

目まぐるしく情勢が変わっていく中で、何を目指して、何を為すか、情報が錯綜する中で考えて決断していくのはさぞかし難しいことだったろうと思います。『新撰組 幕末の青嵐』同様登場人物たちは色々と思い悩んでますが、クローズアップされている人数は少なく、出来事を客観的に(誰の視点でもなく)描写する部分が多くなっています。

小説としてどうか、というと可もなく不可もなくという感じがします。構成は『新撰組 幕末の青嵐』の方が変わってて面白かったと思います。

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書評:木内昇著、『漂砂のうたう』(集英社文庫)~直木賞受賞作

書評:木内昇著、『櫛挽道守(くしひきちもり)』(集英社文庫)中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞・親鸞賞受賞作

書評:木内昇著、『新選組 幕末の青嵐』(集英社文庫)


書評:木内昇著、『新選組 幕末の青嵐』(集英社文庫)

2018年01月04日 | 書評ー小説:作者カ行

新選組という題材は書き尽くされ、語り尽くされた感が無きにしも非ずですが、マンガやアニメのようにパロディーにするのではなく、史実を辿りつつも、土方歳三、近藤勇、沖田総司、永倉新八、斎藤一などの大勢の人それぞれに語らせることで、『新選組』の物語というよりは、動乱の世の中を自分の立ち位置や生き方を問いながら駆け抜けた若者たちの群像劇のように仕立てられています。でもその中でも大きな比重を占めるのは土方歳三ですね。最後は彼の義兄・佐藤彦五郎が語り手となり、市村鉄之助から土方歳三の最後を聞いたことを追憶しながら、新撰組生き残りのその後などにも触れて終わります。

全体の印象としては、近藤勇が愚直で肩書や学のあるなしまたは弁が立つなどの比較的表層的なことに騙されやすいおバカさんで、土方歳三はこのおバカさんの近藤勇と新選組という生きがいを見つけて水を得た魚のように偉才を発揮し、斎藤一は剣をふるうことしか考えてないようでいて、意外と土方に傾倒してて忠誠心があり、永倉新八は自分の非凡さが見えておらず「自分はなんて凡人なんだ」と悩み、沖田総司は基本的に剣で一番になることしか考えておらず、独特の感性を持っているため話が通じない不思議ちゃんという感じです。

今まで持っていた新選組主要メンバーのイメージとは食い違う部分は結構あるのですが、そうした先入観を払拭するくらい説得力のある語り口です。

この人たちの生き方に共感できるところは一切ありませんが、それでも150年経っても『新撰組』がある種の憧憬を持って語られるのは、彼らが「ブレなかった」ところにその魅力が集約されているのではないかと思います。薩摩藩のように最初長州藩と対立して、後に長州藩と手を結んで倒幕に回るというような鞍替えをせず、大将であるはずの一橋慶喜のように逃げ出さず、その他多くの藩のように事なかれ主義で勝ち馬に乗るようなこともせず、主君に見捨てられても愚直に本懐を遂げようとしたところですね。それの良し悪しはひとまず置いておくとして、彼らなりの信念や忠義を最後まで果たしたその一貫性は尊敬に値すると思います。

もう一つの人気の秘密は、散りゆくものに「もののあわれ」を感じる日本的な美的感覚によるものかな、と思います。

しかしこの小説は新選組小説であって、そうではないというか、それだけではない、一人一人の生き方を問う作品だと思います。登場人物たちがそれぞれいろんなことを思い、迷い、悩み、自問自答し、夢を抱き、策略をめぐらし...とする中で読者は常に「あなたはどう生きる?」と問われているのだ、と感じました。

何かの賞の受賞作品というわけではないですが、いい作品だと思います。

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書評:木内昇著、『漂砂のうたう』(集英社文庫)~直木賞受賞作

書評:木内昇著、『櫛挽道守(くしひきちもり)』(集英社文庫)中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞・親鸞賞受賞作