父が国鉄職員でした。
国鉄がJRになるタイミングで早期退職し
第2の人生を書道家として過ごしています。
国鉄時代は機関士をしていました。
まだ蒸気機関車のころから機関士で、
機関士養成所時代の話や
釜炊きや車両の清掃の話、
電車になるのでまた勉強し直すために
長らく養成所に入っていた話や
沢山の風変わりな仲間の話を
お酒で機嫌の良い時は
聞きもしないのに語っていました。
ついでに鉄道事故やその対応の話。
かなりグロテスクで怪奇じみていますが
父が骨つき肉を食べられないのは
さまざまなトラウマのせいらしいです。
(大酒飲みで、飲むと大抵は説教が始まるので
滅多にそんな機会はなかったのですが)
また実家そのものが
職場の近くに土地を買って建てたので
家の東にも西にも路線があり
近くには機関車車庫や国鉄の施設もありました。
田舎のことですから
夜になってから遠くから聞こえる踏切の音を
「あ、もう10時だな」などと
時報がわりにしたりもしました。
父は仕事柄、夜中や朝方に出勤することも多く
そんな時は早寝になるのですが
音がすると眠れないと言って
家族全員が夜8時に消灯させられたりしました。
小学校の高学年ともなると
夜8時の消灯は辛い。
本は読みたいし、テレビは見たいし。
それでこっそりとコタツに潜り込んで
電気コタツの灯りで本を読んだり、
皆が寝静まってから起き出して
ラジオのイヤホンをテレビに挿して
9時からの洋画劇場を画面に貼り付いて
バレないかドキドキしながら観たものです。
そのせいで目はすっかり悪くなりました…
そういう弊害は大いにありましたが
「本物のダイアグラムの裏を使ったメモ帳」
「本物の線路の切れ端でクルミを割る母」
「内緒で入らせてもらった運転席」
「古くなったナッパ服で農作業する父」
などが日常の中にありました。
ダイアグラム、
鉄道ファンにはたまらないらしいですね。
千切れた線路も
買おうと思って買えるものではないらしい。
どれも当時は廃品を利用していたに過ぎないのですが。
そんな環境だったので
電車も機関車も貨物も客車も
いろいろと普通の人より身近で親しみもあり
少しばかり物知りかもしれません。
D51やC62の意味や
電車のブレーキのタイミングなどを
知っている女性はそんなにはいないみたい。
それから鉄道の近くで育ったせいで
機関車にはちょっとだけ愛を感じます。
あの巨体がブルブルと震えて目を覚ます時、
なんだか生き物のような気もします。
今日は鉄道の日ということで
久しぶりに色々と思い出しました。