実は1990年以降じわじわと温暖化の兆候があったと今になって実感する。
特に酷くなったのは昨年から。一年のうちの半分を半袖で過ごす。最高気温35度ならまだ楽に過ごせるが、40度近いと脳が熱にやられる感じを体感するようになった。真夏は私でも冷房で体を冷やさないと熱中症で死ぬかもしれない。
私も5年ほど前から強い危機感を抱きなんとか温室効果ガス排出を減らせないものかと悩ませてきた。
しかし、世界が経済優先、便利優先である限りもはや無理だろうと思う。
本当はすぐにでも江戸時代以前、いや、縄文時代や弥生時代くらいの生活に戻すくらいでないと。それでも向こう30年くらいは現状かもしれない。
電気も化石燃料もやめる。
火を使うのは食料の煮炊きと暖をとるだけ。
燃料は草、枯れ木。
母の生家は江戸時代から続く農家で、
煮炊きは藁。木があまり生えていない土地であった。
飲料水は井戸。今でも使えるが、濁った水。それを石や砂で濾過して さらに沸かして使う。
そんな生活を戦後しばらくまでしていた。水道が通るまで。
圧倒的動物性たんぱく質不足なゆえ、身体は小さい。しかし、それでも子供は何人も産んだ。 子孫を繋ぐには充分だったらしい。
冬の暖房は火鉢くらい。今でも納屋に火鉢がいくつもある。
娯楽は祭りや法事。旅は宗教絡みで京都や伊勢や善光寺、皇居にもボランティアかなんかででかけることもあったそうな。もちろん歩き。
そんな生活に皆が戻れば、きっとこの先も人類が快適に生きていく環境が保たれるかもしれない。
しかし、そんな生活を今すれば、多くの人が死ぬだろう。電気がないと生きていけない人達はたちまち死の危険がせまってくる。
トラックでの物流が止まれば、途端に食べるものがなくなる。私が自給できるものといえば、少しの野菜、主食は芋類になるだろう。水もろくに手に入らない。
私も夏の暑さですぐに死ぬかもしれない。それでも、私は人類は滅亡しないと思う。人口はかなり減り、あらゆるインフラが崩壊しても しぶとく生き残りどこかで子孫を残していくだろう。
しかし、人間というのは強欲な生き物で、一度楽を味わうともう戻りたくないのである。景気がよければ今より生活が楽になる。しかし、それはイコール温室効果ガス排出の増加である。
経済依存、電気依存、車依存な生活をやめられない中毒患者のようなもの。
つまり、人類はこの地球温暖化を止められない。100年後4℃上昇したとしても、その環境で適応していくだろう。当然環境を巡って紛争が起きる。それが人間。
がっつり人口が減って、インフラも崩壊してようやく温室効果ガス排出が終わる。
そんなシナリオでも少しは遅らせるくらいはできるかもしれない。今人類がやろうとしてるのはそれくらい。
ひと月 断捨離旋風がふき、捨て活をしていた。
おかげで少しスッキリしたような気がする。大体ゴミ袋10袋くらいは捨てたり、資源ゴミに出したり。
スッキリしたからにはしばらく物を増やしたくないのだが、私の息抜きにショッピングがあるらしく、それができないと娯楽がひとつ減った感じ。
ウィンドウショッピングと言う言葉がいまもあるかどうか知らないが、何も買わずに見るだけ。つまらない。
つまらないけど、食料品を買うだけで、大量の包装ゴミが出るし、今日も資源ゴミを出しに行ったのに、またすぐに資源ゴミがストックされてきている。
3000年ほど前の縄文人の遺跡へ行った。本物の貝塚遺跡を目にした。貝と骨だけは形をのこしているが、そこはゴミ捨て場。綺麗な物だ。
ついこの間までは ゴミは全て自然に帰るものだった。全てが自然素材でできていた。今はプラゴミが多い。プラゴミいらんと思っても、どうしてもついてきてしまう。
いつのまにか60歳。だからと言って何か急に変わる訳でも無いけれど、そろそろ生前整理をしようかと思っている。
日頃から捨て活はしてて、我が家にくる人は 物が少なくて綺麗にしてるねと言うけど。
やっぱりいろいろなところに60年分の物があるわけで、毎日少しずつ使っていないものは手放している。
すると、意外にもたくさんか不用品が出てきて、全然捨て活できていないじゃんと反省。
基本
使っている物だけで暮らしていく。
使っていない物は処分の対象。
例えば、キッチンの戸棚の奥にあった30年ほとんど使っていない酒器、グラス、箸置き。使いにくい食器がまだまだ保管してあった。
なんだかわからないケーブルやコード。捨て方がわからなくてずっと保管していたがこの度市のリサイクルに出せる(銅線をリサイクル)事がわかった。
する予定が無い手芸洋裁用品も手放す。
結婚した時から持っていたものも使わないなら例えブランド品でも惜しみなく処分しよう。逆に使わないのになぜ何十年も持っていたのか。
ほんの一例。
これは結婚の時に持ってきた物だからとか、祖父母に買ってもらったとか、親に持たせてもらった物だからとか 様々な呪縛がある。
60歳を超えて 後何年生きられるかなと思うようになった。 今死んだらこれらのものは子が処分するか(夫は捨てられない人)全然知らない業者が捨てるだろう。変なところに不法投棄されたら嫌だ。
目標という執着を持つのも良くないらしいが、死んだ時はあまり捨てる物がなかったね。と言われるくらいになりたい。
数日経ったが、気象庁が発表してから社会は一時ややパニックになったと思う。
自分も、米があと2キロくらいしかないし、カセットボンベも2個しかない。米はまだよいかと買ってないが、カセットボンベだけ6本買い足した。
もともと食料は災害用には備蓄してなくて、普段の常備品だけ。 水も家族1週間分などは持ってない。
簡易トイレは数回分だけ。トイレットペーパーは残り6ロールになったら買い足すサイクル。
津波などの想定地域は このようにのんびりとはしていられないだろう。 そもそもすぐに避難場所にいかなければならないので、絶対無くしたくない貴重品だけで身軽に避難しなければ間に合わない。 自宅ではなくいっそのこと高台にレンタルボックスなど借りてそこに防災品を常備するべきだし、自治体がそうするべきだろう。
震度6、7程度で倒壊する恐れのある家に住んでいる人はどうだろう。やはり何かを持って逃げるなど出来なさそう。就寝中はすぐ外に出られるところで寝る。何も持たずに家から離れるにかぎる。
我が家が半壊、全壊したら 多分広範囲に被災しており、お手上げ状態。命があればなんとかなるさくらいだ。避難所なんて満員でとても無理。車、家の庭 あるいは路上で寝るしなかない。
しかし、この暑さである。防災の専門家もこの暑さで停電なったらどうなるか恐ろしく不安だと言うくらい。
となると、被災していない遠方の縁者を頼るしかないだろう。
何せ 愛知近辺はここのところ 地震らしい地震が起きていない空白地帯なので、ヤバいんじゃないかと思ってる。
自分がどんな運命になるかは天が決めると思うしかない。