献立記録を見てると自分の好物がはっきりわかる。
クリームシチュー
天ぷら
お刺身
ゴーヤチャンプル
スパゲティサラダ
ポテトサラダ
白和え
豚肉だんごと白菜の煮物
魚フライ
鍋物
高野豆腐の煮物
鮭
ひとくちフライ
野菜サラダ
きゅうりと何かの酢の物
豚汁
野菜の胡麻和え
たらこ和え
ビビンバ
タコライス
イワシのつみれ汁
ひと月 断捨離旋風がふき、捨て活をしていた。
おかげで少しスッキリしたような気がする。大体ゴミ袋10袋くらいは捨てたり、資源ゴミに出したり。
スッキリしたからにはしばらく物を増やしたくないのだが、私の息抜きにショッピングがあるらしく、それができないと娯楽がひとつ減った感じ。
ウィンドウショッピングと言う言葉がいまもあるかどうか知らないが、何も買わずに見るだけ。つまらない。
つまらないけど、食料品を買うだけで、大量の包装ゴミが出るし、今日も資源ゴミを出しに行ったのに、またすぐに資源ゴミがストックされてきている。
3000年ほど前の縄文人の遺跡へ行った。本物の貝塚遺跡を目にした。貝と骨だけは形をのこしているが、そこはゴミ捨て場。綺麗な物だ。
ついこの間までは ゴミは全て自然に帰るものだった。全てが自然素材でできていた。今はプラゴミが多い。プラゴミいらんと思っても、どうしてもついてきてしまう。
いつのまにか60歳。だからと言って何か急に変わる訳でも無いけれど、そろそろ生前整理をしようかと思っている。
日頃から捨て活はしてて、我が家にくる人は 物が少なくて綺麗にしてるねと言うけど。
やっぱりいろいろなところに60年分の物があるわけで、毎日少しずつ使っていないものは手放している。
すると、意外にもたくさんか不用品が出てきて、全然捨て活できていないじゃんと反省。
基本
使っている物だけで暮らしていく。
使っていない物は処分の対象。
例えば、キッチンの戸棚の奥にあった30年ほとんど使っていない酒器、グラス、箸置き。使いにくい食器がまだまだ保管してあった。
なんだかわからないケーブルやコード。捨て方がわからなくてずっと保管していたがこの度市のリサイクルに出せる(銅線をリサイクル)事がわかった。
する予定が無い手芸洋裁用品も手放す。
結婚した時から持っていたものも使わないなら例えブランド品でも惜しみなく処分しよう。逆に使わないのになぜ何十年も持っていたのか。
ほんの一例。
これは結婚の時に持ってきた物だからとか、祖父母に買ってもらったとか、親に持たせてもらった物だからとか 様々な呪縛がある。
60歳を超えて 後何年生きられるかなと思うようになった。 今死んだらこれらのものは子が処分するか(夫は捨てられない人)全然知らない業者が捨てるだろう。変なところに不法投棄されたら嫌だ。
目標という執着を持つのも良くないらしいが、死んだ時はあまり捨てる物がなかったね。と言われるくらいになりたい。