ひと月 断捨離旋風がふき、捨て活をしていた。
おかげで少しスッキリしたような気がする。大体ゴミ袋10袋くらいは捨てたり、資源ゴミに出したり。
スッキリしたからにはしばらく物を増やしたくないのだが、私の息抜きにショッピングがあるらしく、それができないと娯楽がひとつ減った感じ。
ウィンドウショッピングと言う言葉がいまもあるかどうか知らないが、何も買わずに見るだけ。つまらない。
つまらないけど、食料品を買うだけで、大量の包装ゴミが出るし、今日も資源ゴミを出しに行ったのに、またすぐに資源ゴミがストックされてきている。
3000年ほど前の縄文人の遺跡へ行った。本物の貝塚遺跡を目にした。貝と骨だけは形をのこしているが、そこはゴミ捨て場。綺麗な物だ。
ついこの間までは ゴミは全て自然に帰るものだった。全てが自然素材でできていた。今はプラゴミが多い。プラゴミいらんと思っても、どうしてもついてきてしまう。
いつのまにか60歳。だからと言って何か急に変わる訳でも無いけれど、そろそろ生前整理をしようかと思っている。
日頃から捨て活はしてて、我が家にくる人は 物が少なくて綺麗にしてるねと言うけど。
やっぱりいろいろなところに60年分の物があるわけで、毎日少しずつ使っていないものは手放している。
すると、意外にもたくさんか不用品が出てきて、全然捨て活できていないじゃんと反省。
基本
使っている物だけで暮らしていく。
使っていない物は処分の対象。
例えば、キッチンの戸棚の奥にあった30年ほとんど使っていない酒器、グラス、箸置き。使いにくい食器がまだまだ保管してあった。
なんだかわからないケーブルやコード。捨て方がわからなくてずっと保管していたがこの度市のリサイクルに出せる(銅線をリサイクル)事がわかった。
する予定が無い手芸洋裁用品も手放す。
結婚した時から持っていたものも使わないなら例えブランド品でも惜しみなく処分しよう。逆に使わないのになぜ何十年も持っていたのか。
ほんの一例。
これは結婚の時に持ってきた物だからとか、祖父母に買ってもらったとか、親に持たせてもらった物だからとか 様々な呪縛がある。
60歳を超えて 後何年生きられるかなと思うようになった。 今死んだらこれらのものは子が処分するか(夫は捨てられない人)全然知らない業者が捨てるだろう。変なところに不法投棄されたら嫌だ。
目標という執着を持つのも良くないらしいが、死んだ時はあまり捨てる物がなかったね。と言われるくらいになりたい。
数日経ったが、気象庁が発表してから社会は一時ややパニックになったと思う。
自分も、米があと2キロくらいしかないし、カセットボンベも2個しかない。米はまだよいかと買ってないが、カセットボンベだけ6本買い足した。
もともと食料は災害用には備蓄してなくて、普段の常備品だけ。 水も家族1週間分などは持ってない。
簡易トイレは数回分だけ。トイレットペーパーは残り6ロールになったら買い足すサイクル。
津波などの想定地域は このようにのんびりとはしていられないだろう。 そもそもすぐに避難場所にいかなければならないので、絶対無くしたくない貴重品だけで身軽に避難しなければ間に合わない。 自宅ではなくいっそのこと高台にレンタルボックスなど借りてそこに防災品を常備するべきだし、自治体がそうするべきだろう。
震度6、7程度で倒壊する恐れのある家に住んでいる人はどうだろう。やはり何かを持って逃げるなど出来なさそう。就寝中はすぐ外に出られるところで寝る。何も持たずに家から離れるにかぎる。
我が家が半壊、全壊したら 多分広範囲に被災しており、お手上げ状態。命があればなんとかなるさくらいだ。避難所なんて満員でとても無理。車、家の庭 あるいは路上で寝るしなかない。
しかし、この暑さである。防災の専門家もこの暑さで停電なったらどうなるか恐ろしく不安だと言うくらい。
となると、被災していない遠方の縁者を頼るしかないだろう。
何せ 愛知近辺はここのところ 地震らしい地震が起きていない空白地帯なので、ヤバいんじゃないかと思ってる。
自分がどんな運命になるかは天が決めると思うしかない。