老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

幾年過ぎても古里は

2006年12月16日 | Weblog
年を取ると物忘れがひどくなる、毎日自宅から3キロ程離れた店に通勤しているが。家を出る時、立ち寄らなければと、思もってながら店に着いてしまう。

同年配の方にこんな話をすると同じようなことを言って話が合うのである、先輩達もこうして年を重ねて来たのであろうから、それほど悲観しなくても(気にしない、気にしない)と自分に言っているのだが、、、それでいて、幼い頃の思いでは昨日のようにはっきり思い出す。

私は徳島県勝浦郡上勝町大字八重地と言う村で生まれ育った。15歳までここで過ごしたが悲しい思い出が多く、みんなの前で楽しかった思い出として話が出来るようなことはほとんどない。

では、楽しかった事はないのか、、と聞かれるとそうではない。姉妹が額を寄せ合って暮らしたこと。友と待ち合わせをして合えばあまり話もないまま我先にと山を駆け登り、駆け下りてこの日の別れ。今は、こんな事もみんな楽しかった思い出である。

それが誰もが思うふるさとであろう。 徳島から勝浦川に沿って道路が付いている10キロ程のぼると勝浦川の支流の支流が流れ出る高丸山がある1435メートルだつたでしょうか、ふもとにはキャンプ場もあり、原始林も残っていて、とても良い所です。

其のいちばん近いところに私の生まれた村、八重地があります、毎年5月5日にはこの山の祭りなのですがこの村だけでは、人が居ない為に幅広くご協力をお願いして若者には御輿をかついでもらい賑やかに開催しております。皆さん是非おいで下さい。   

勝浦の、川を伝いて、道行けば、奥に生まれの、懐かしき里                                     

明日を見る・・手相

2006年12月16日 | Weblog
波瀾万丈の人生だつた私は自分の手をよく見てきました。働けど働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見る。・・こんな言葉もありますが、今の時代、働けばそれなりの報酬を受けることが出来ます、しかし、働きたくても病弱だったり、怪我の連続などで働けない人も沢山おられます。

私もこんな時代を過ごしてきました。この時期によく、占いの店に出向いた思い出があります。今思えば、手相に出ているように、占いとか、宗教に興味を持つ人間なのですが、幸いか・・不・か、この時期と重なったこともあってか早くから手相に興味をもちはじめました。

今も自分の手をよく見ますが、とんでもない筋が出ることもあります、心にもない意味のものもありますが、確かに生活環境、今、進めている仕事の中の警告等と思えることが多い物です。よい意味の物は生かしていくように、悪い物は現実にならないように、考え方を変えるなどの努力をしています。

結果として出ない内に筋が薄くなったり消えたりするものです。生活環境、努力、積極的な行動などによって手相は変ります。運命は変えていける物です。私の店に来られる方には風水鑑定、身体に気を呼び込む生活指導等もしていますが、なんと言っても自分で結果として見えるのは手相でしょう。

今私の所で保存されている手形も数百人にもなりましたが同じ物は一つも有りませんし変らない人も居ます。現在よりもっと良くなるように、努力の証としてご利用して下さい。