若い時の苦労、買ってでも、、なんて言葉がありますがこれはやりたくない駄目だと思います。でも暗闇ぐらいは体験してみませんか? と言っても 最近その暗闇さえ見つけにくい状態ですね、 外には街灯、車のライト、少しの明かりでもいろんなものに反射しています。それに部屋の中でも昼間、少し見づらければ電灯をつけておく、暗闇とは無縁の時代かも知れません。
田舎に育ち山仕事をしてきた私などでも暗闇を少し忘れかけているように思います。冬場、山で仕事をしていて雪が降り始めると少しの時間で沢山積もります、また、高い山は日が沈むのが遅くまだまだ早いと思っていても日が沈むと間もなく暗くなってしまいます、だから雪が降るとみれば近くの山で仕事をし、高い山に出かけたときは、時計などありませんし、日が出ている時ばかりてありませんが、仕事の進み具合とか他の動物たちの行動などで、家に着くと間もなく暗くなる位の時間に帰っていました。
当時の人達、本能的に行動していたように思えたのですが、それは、今思えば体験によって 恐ろしいほどに体が覚えていくものだと思います。 雪が、降ってくると思って山を離れても遅く、途中で道が分からなくなり滑ったり、転んだり、時には高いところに落ち命を無くした方もいます。生活に追われていた私の母も暗くなるのを分かっていながらも収入を考えての事だったのでしょうか、何度か暗闇を歩いたこ事あります。
山から下りる道、8 割は 生い茂つた木の下です。 の近くまでは帰っているのですが、真っ暗、暗闇と書く以外分からないので現代、理解出来ないかもしれませんが、とにかく何も見えない状態です、母は頭の中の地図をみながら進んでいるのでしょう、片手で母の背中を掴み、右手で道を確認しながら、右手には全神経が集中していたと思う。
家に着いても、みんな手ざくり、当時はランプだが、その光をみられた瞬間、そこには母の顔、安心と、嬉しさと、無事に帰れた事の感謝と、目に映るもの全てが初めてみるもののようにおぼえたものです。もう先が無いように思えたり、お先真暗等と言わず、自分が暗闇に入ることをお勧めしたい思います。暗闇の中にいると人は本能的に明かりを求めます、そうしている内に必ず明かりが見えてきます、そしてその少しの明かりが貴方にとって素晴らしいエネルギーに変わっていくと思うのです。
田舎に育ち山仕事をしてきた私などでも暗闇を少し忘れかけているように思います。冬場、山で仕事をしていて雪が降り始めると少しの時間で沢山積もります、また、高い山は日が沈むのが遅くまだまだ早いと思っていても日が沈むと間もなく暗くなってしまいます、だから雪が降るとみれば近くの山で仕事をし、高い山に出かけたときは、時計などありませんし、日が出ている時ばかりてありませんが、仕事の進み具合とか他の動物たちの行動などで、家に着くと間もなく暗くなる位の時間に帰っていました。
当時の人達、本能的に行動していたように思えたのですが、それは、今思えば体験によって 恐ろしいほどに体が覚えていくものだと思います。 雪が、降ってくると思って山を離れても遅く、途中で道が分からなくなり滑ったり、転んだり、時には高いところに落ち命を無くした方もいます。生活に追われていた私の母も暗くなるのを分かっていながらも収入を考えての事だったのでしょうか、何度か暗闇を歩いたこ事あります。
山から下りる道、8 割は 生い茂つた木の下です。 の近くまでは帰っているのですが、真っ暗、暗闇と書く以外分からないので現代、理解出来ないかもしれませんが、とにかく何も見えない状態です、母は頭の中の地図をみながら進んでいるのでしょう、片手で母の背中を掴み、右手で道を確認しながら、右手には全神経が集中していたと思う。
家に着いても、みんな手ざくり、当時はランプだが、その光をみられた瞬間、そこには母の顔、安心と、嬉しさと、無事に帰れた事の感謝と、目に映るもの全てが初めてみるもののようにおぼえたものです。もう先が無いように思えたり、お先真暗等と言わず、自分が暗闇に入ることをお勧めしたい思います。暗闇の中にいると人は本能的に明かりを求めます、そうしている内に必ず明かりが見えてきます、そしてその少しの明かりが貴方にとって素晴らしいエネルギーに変わっていくと思うのです。