老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

暗闇

2007年02月21日 | Weblog
若い時の苦労、買ってでも、、なんて言葉がありますがこれはやりたくない駄目だと思います。でも暗闇ぐらいは体験してみませんか? と言っても 最近その暗闇さえ見つけにくい状態ですね、 外には街灯、車のライト、少しの明かりでもいろんなものに反射しています。それに部屋の中でも昼間、少し見づらければ電灯をつけておく、暗闇とは無縁の時代かも知れません。

田舎に育ち山仕事をしてきた私などでも暗闇を少し忘れかけているように思います。冬場、山で仕事をしていて雪が降り始めると少しの時間で沢山積もります、また、高い山は日が沈むのが遅くまだまだ早いと思っていても日が沈むと間もなく暗くなってしまいます、だから雪が降るとみれば近くの山で仕事をし、高い山に出かけたときは、時計などありませんし、日が出ている時ばかりてありませんが、仕事の進み具合とか他の動物たちの行動などで、家に着くと間もなく暗くなる位の時間に帰っていました。

当時の人達、本能的に行動していたように思えたのですが、それは、今思えば体験によって 恐ろしいほどに体が覚えていくものだと思います。 雪が、降ってくると思って山を離れても遅く、途中で道が分からなくなり滑ったり、転んだり、時には高いところに落ち命を無くした方もいます。生活に追われていた私の母も暗くなるのを分かっていながらも収入を考えての事だったのでしょうか、何度か暗闇を歩いたこ事あります。

山から下りる道、8 割は 生い茂つた木の下です。 の近くまでは帰っているのですが、真っ暗、暗闇と書く以外分からないので現代、理解出来ないかもしれませんが、とにかく何も見えない状態です、母は頭の中の地図をみながら進んでいるのでしょう、片手で母の背中を掴み、右手で道を確認しながら、右手には全神経が集中していたと思う。

家に着いても、みんな手ざくり、当時はランプだが、その光をみられた瞬間、そこには母の顔、安心と、嬉しさと、無事に帰れた事の感謝と、目に映るもの全てが初めてみるもののようにおぼえたものです。もう先が無いように思えたり、お先真暗等と言わず、自分が暗闇に入ることをお勧めしたい思います。暗闇の中にいると人は本能的に明かりを求めます、そうしている内に必ず明かりが見えてきます、そしてその少しの明かりが貴方にとって素晴らしいエネルギーに変わっていくと思うのです。



結婚線NO.4

2007年02月20日 | Weblog

                

   縦のスジは太陽線と呼ぶもの、婚線がこの線に付いてるものは、                                                                                                     裕福な相手との結婚が実現したり、逆玉結婚とか、玉の輿結婚                         

   と呼ばれるスジです。 (2)番のスジ

   (一)番のスジは、単身赴任とか、長期入院、長期出張などの多い人に                        

   見られるスジです。又、離婚と言うこともあります。


離婚てそんなに軽い言葉 ?

2007年02月19日 | Weblog
結婚して数年もたてば子供が出来る。なのに簡単に離婚してしまう、お互いに理由はある、しかし、子供にとってはなんの理由にもならない 犠牲を全部かぶってしまうのである、なかには離婚しても、子供だけは幸せに育てたい、子供のために○○だけはしない、とか両親の愛情の仲で育てられてこそ幸わせなのである。子供の為と言う言葉に身勝手さが感じてならない。

結婚式の席上で新郎新婦がよく口にする言葉に、明るい幸せな家庭を築きたい。皆んな、こう願って結婚するのであろうが、数年たち子供が生まれ、思っていたようにならくなると性格の不一致となる、いや、これだけを書くと叱られる、離婚にはさまざまな例がある、

しかし、いずれの場合でも 子供の為と言う前にその心があるなら、互いに会話を多くして明るい家庭が出来るよう日々努力してほしい、まず、相手が悪いと思えば自分を見つめてみよう、自分を変えることから始めてみよう。子供の幸せをと願う。

知人と言う人

2007年02月17日 | Weblog
最近よく顔を見せてくれる知人がいます。30年程前に知り合ってから、深い付き合いでは無いのですがづっと続いています。いつもお金がないとこぼしています、始めて知り合った頃は会社をこしらえていて、頼もしく思ったことも有るのですが、その後の彼を見ていると解らないことがいっばいあります。お金がないのは

仕事が続かない事に原因があるのですが、解らないのは、食べるものがないとか、昼食抜きとか言いながらタバコは吸っています。昨年から何度も仕事を変えていますがこれも、自分から辞めるのでもなく、仕事が嫌いなのでもない、人が良くて、誰とでも話が出来るし、頭も悪くない、良い方だと思う、遅く結婚して、奥さんが働いていたので良かったのですが、昨年離婚しています、住宅ローンも有るようですがこれは年金でまかなっているとか、今は確かに毎日の生活大変そうなのに、其の時が過ぎれば忘れるのか? 

今,建設会社の外交をやっていて、歩合制だそうで、仕事が取れなければ少ない基本給だけ、それだけなら良いのですが、又、首になるのも時間の問題なのに? そして自分の車がもてなくて、会社の車なので距離のある知人達の所をたびたび訪ねたり、私の所に来ても長い時間居ます。話をしてあげても真剣な表情で理屈が返ってきます。それぐらい真剣に仕事に取り組めば良いと思うのですが? ? 人の心を動かす等とは簡単に言えるものではないですね。まして年のいった人は、、、、



結婚線NO.3

2007年02月14日 | Weblog

                                                                                         

緑の線で描かれているものが金星帯、このスジに結婚線がくっついている、

金星帯は異性にもてる人に現れるサイン、それに結婚線がつくと、

夢のような理想的な結婚が出来る暗示。 

又結婚線が薬指の根本まで達している人は、本当に結婚して良かったと

感じられる自分の望み通りの結婚生活が送れる人です。                       


ペットブームの影

2007年02月12日 | Weblog

               下の娘が高一の時、家内が河原に捨ててあった子犬を連れて帰り、飼い始めてからやがて19年、数年前肛門に癌のような物ができて、病院にいったが高齢のため手術はしてもらえませんでした。でも、今では落ちついているようです、耳はほとんど聞こえない様子、目も見づらそうですが散歩にはいっています。悪い道は歩かれません。

これまでも何匹か飼ったのですが早く亡くなったり、居なくなったりしましたが、今の犬は小さい頃からとても人なつっこく、みんなに可愛がられました、そして、よく頑張ってくれています。ペットとして可愛がられている動物達、たくさんおりますが、犬、猫がやはりおおいようです。しかし、捨てられるものもかなりの数になっています。

飼われている数、正確にはわからないのが現状のようですが、毎年、処分される犬、猫だけでも何十万匹です。ここに平成11年度に殺処分されたものがあります。この数字は毎年大きくは変わっていないそうです。
   犬の殺処分          280819匹                    猫の殺処分 274463匹
      買い主の持ち込み  144371匹                                    274557匹
      迷い犬の捕獲      250363匹                                       1005匹
      返還・譲渡            30000匹                                     1247匹
このうちで迷い犬猫、捕獲と言うのは、俗に野良犬と言われるものでなく、ほとんどが首輪をした飼い犬、つまり、元は飼い犬だつたと言うこと。  それが、要らなくなった、 飼えなくなった、大きくなった、 代わりの物が出来た。等、勝手な理由によって棄てられているようです。

しばらくは大切に育てられたにしても、最後がこれでは、動物たちが可哀想です。その上、処分はどうなっているかと言うと、持ち込まれた犬はそのままゲージに入れられますが、猫は、特に呼吸数の少ない子猫などは死ににくい為、麻袋に数匹詰められ、ガス室での処分です。此処で使われるガスは二酸化炭素で、室内の空気を徐徐に抜きながらガスを入れていく方法だそうです、

犬は10分、猫は15分の嘖射で安楽死ではないようです。又、処分された動物は焼却されますが、焼却された骨や灰は麻袋につめられて、積み上げられたまま放置されます。産業廃棄物の場合なら処理場での受け取りが可能ですが、この灰を受け取ってくれる民間企業はあまりなく、ある処分場では過去10年間にわたる動物たちの灰が山積みとなっているところもあるようです。

そしてベットブームの裏にはこんなこともある事、一旦飼うことを決めたら、最後まで責任を持ってほしい、買い主が棄てたら、棄てられた動物達はこんなに苦しみながら死んで行くことを 知ってほしいと訴えています。こうして現実と向かい合い真実を知ることが、私達一人一人が(命) と言うものに対して、改めて考える事が出来るのではないかと思います。                                       


こうして呼び名が変わる

2007年02月09日 | Weblog
こう調べていくと、晋の時代(265~419年)以前には[風水]と言う呼び名で書かれた風水術の著書が無かったという事が分ります。 晋代の後[風水]と言う呼び名が一般的に使われ始めました。例えば元の時代(1271~1368年)に 朱震享・シュシンキョウの著わした[風水問答](全一巻) 清の時代[1616~1912年]に 袁倍松・エンバイショウの著わした(風水本義)(全一巻)などがあります。

それでは、堪與あるいは地理と言う言葉がどういう訳で[風水]と言う呼び名に変わることになったのでしょうか。その答えは、 晋の時代の学者・郭璞・カクハクの著わした(葬経)にあります。 原文={気乗風則散、界水則止、古人聚之不散、行之使有止、古謂之風水} 訳語= 気は風に乗って散り、水にくぎられて止る。 古代の人は気を散らさないように、気の動くことを止めさせた。これが[風水]である

つまり、宇宙の中に[気]と言うエネルギーがあり、其の[気]は風に乗って拡散してしまいますが、水にくぎられて止るとエネルギーを温存させることが出来、 その方法が [風水]であるという事です。ここから風と水、すなわち[風水]と言う名が生まれた。                      
 
自分の教科書より

我が国では大化元年が西暦645年なので、そのはるか以前、古代中国の人達、学門、の研究、発達、そしといまなを通用する事柄の多いのに驚くばかりです。ニート、リストカット、虐めなどの問題、大人達が討論してみても解決は難しいと思います。私は小学校の教科書に古代の人達の学問(易)を取り入れてもらいたいです?。古い物は駄目ではないのです、立派な学問、人間性を育てることからやり直したほうが? 太古の智慧沢山。


風水と言う名の起源

2007年02月09日 | Weblog
古代中国では、まだ風水という言葉は使われてなく、漢の時代(前202~後220年)には、堪與学(カンヨガク)と呼ばれていました、「史記、イウシャデン」漢書藝文志(カンショゲイブンシ)と言う中国歴の本の記述では、その頃に、「堪與金匱」(カンヨキンキ){全十四巻}と言う今で言う風水術の著書があることが分っています。

堪與と言う言葉の意味は、後漢の時代(25年~220年)の古典学者・許慎(キョシン)が訳しました。原文={堪、天道、與地、道也}、訳語=「堪が天の道、與が地の道」。すなわち、天の道が天文学、地の道が地理学と言う意味です。堪與と言う言葉には、天文と地理の知識という意味が込められています。

しかし、堪與学では、天文学 { 日、月、星などの運動 } に関する内容が、地理学 { 山、川、水、土の形態 } に関する内容と比べて少なかったので、堪與とは地理学と同じ意味だと理解されていました。ですから、漢代の後には、漢與学の著書の漢與にあたる言葉がほとんど地理という言葉に代えられており、例えば、{ 地理正宗 }  { 地理天機會元 } { 地理全書 } { 地理真経 } などの風水に関する著書がありました。

自分の教科書より

結婚線NO.2

2007年02月08日 | Weblog

                                                 

             (一)のようにハッキリ刻まれたスジが水平に伸びているものが理想的、                      

             (二)のようにわずかでも上昇しているものは、より豊かで幸せな                                      結婚をしめしています。                                                 

            (三)のようにやや下降気味の場合は、愛情面で満たされていないか、                                  不満や失望が現れてくる事を示しています。


満ちつれば欠ける

2007年02月08日 | Weblog
今年は暖かい,特に年を取ると暖かいのは有り難い。でも、山の生活で厳しい寒さを体験してきた私達には、この暖かさは恐ろしく感じる。昔の冬は寒かった? と言ってみたところで、昔話に過ぎないし、

地球温暖化で生命までも脅かされようとしていると言われてもまだ実感がない、暖かく平和である事は良いことに決まっているが、しかし、それが慣れになることが怖いのである。何事も、いつの時代も、極まると言うことを忘れてはならないと思う。陽極まて陰となる