我々が上陸した後、午後からは洋上慰霊式が行われる体験航海がありました。
が、この日、天気はいまいちで、午後の洋上慰霊式が危ぶまれており、
艦長さんとお話させて頂いた時に、
私「せめて、雨が降らないといいですね…」
艦長「そうですね。雨が降ると格納庫になるので、弔銃は構えただけになりますからね…。
みんな、一生懸命練習したんですよ~」
私「そうですよね…」
あしがらは、訓練を終えてそのまま博多港に来てくれていたので、
訓練も行いつつ、洋上慰霊式の立付も行われていたようですから、
せっかくなので、弔銃は発射してほしいなぁ…と思っていました。
昨年末の「いせ」での、格納庫内の洋上慰霊式を思い出しましたよ
…ですが、なんとかお天気は持ったようでした
よかった~
午後は私は乗艦していませんので、お写真だけ。
(※参加者の知人より頂きました)
上陸前に、岩崎司令とお話した時、
「この前の筥崎宮での、日本海海戦記念行事の時、
663年の白村江の戦いから話が始まったのには驚きました(笑)
ですが、確かにその時代から、元寇、日本海海戦と、
国を護るということが続いてきて、我々はそれを受け継いでいるのだということを、改めて認識しました」
と仰いました。
慰霊式では、このお話に続いて、こう締めくくられたようです。
「日露海軍軍人の英霊に哀悼の誠を捧げるとともに、海洋国家日本の平和と安全を守るために任務を全うしたい」
今、重要な、国防に関する法案の採決をめぐって国会は紛糾していて、
日本の国防を強化するための法案ですから、民主・共産・社民は、潰そうと必死。
断言しますが、別に戦争するための法案でも、積極的に自衛隊を危険にさらすための法案でもありません。
「海洋国家日本の平和と安全を守るために任務を全う」するために、必要な法案なのです。
護りたくても、現状では護ることができない状況があり、忸怩たる思いを抱えている自衛官がいるのも事実。
日本を真の独立国家にしたい、というのが、安倍首相の願いではないかと思います。
自分の手で、自らの国を護れない国は独立国とは言えません。
そして、その当然の権利を日本は奪われているのです。
自分の手で、自分を護る権利が奪われているのです。
世界中の、日本以外のどの独立国も当たり前のように持っている権利が、日本にはないのだから。
国防を軽んじる考えが主体になると、
当然、国防に携わる自衛隊も軽視されます。
今回、あしがらが寄港した博多港は、
なかなか左風が強い港のようでして、
商業使用が主目的の港だからと、なかなかの風当たりを喰らわしてきますね、自衛隊に。
以前、ミサイル艇が来た時もひどかった…。
出港が予定より30分も早まったんですよね。
理由は、今から民間船が入港して来るから早く出て行け、ということでした。
ふ・ざ・け・ん・な
今回のあしがらも、当然出港は翌日だと思っていたんです、私。
いつもそうだから。
そしたら、もう、その日に出港しちゃうって聞いて、びっくりしました。
まぁ、早く出て行けってことなんでしょうけど…
あのさぁ…あんたたち(民間船)の航路の安全って、誰の手で護られてると思ってんのよ?!
スエズ運河を安心して通るために、誰に護ってもらってると思ってんのよ?!
それなのに、自衛艦とすれ違う時に敬礼もしない、
でも、護ってもらうのは当たり前だと、居丈高に主張だけはする…。
…戦後のゆがめられた軍のイメージで、
軍隊・軍人は威張っている、というのがありますけど、逆じゃん
民間人なら、自衛官に対して偉そうにしていいの?威張っていいの?
自衛官って、そんなに民間に遠慮しなきゃいけないの?(ノ_-。)
…すみません、興奮してしまいました。
でも、悲しくなる…。
そんなわけで、
すごく厳しい「ソーラス条約」の港ですので、
出港のお見送りと言っても、もう、我々は立ち入りは絶対にできません。
見送るといっても、博多港ターミナルの展望デッキから、
どうにか見えるくらいです。
なので、岸壁からのお見送りは、舫いを外しに来た地本の皆さんだけ…。
ちなみにこの日は、下関にトルコ海軍のフリゲート艦「ゲディズ」が寄港しており、
ホストとして、海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」も来ていましたから、
この体験航海の後、下関まで行った強行軍の方々も少なくなかったようですね。
この下関は、博多港とは真逆で、とても自衛隊に優しく好意的な港です
例え岸壁にいられなくても、体験航海をさせていただいた艦のお見送りがしたかったので、
翌日だろうが、当日だろうが、出港のお見送りをさせて頂くことを決めていました。
…そして、カメラマンのむらさめくんと、展望デッキに出ましたら…
なかなかのドシャ降り…
みょうこうの出港の時は、吹雪いてて、今度はドシャ降り(笑)
しか~し、その中で二人で、2時間以上待ちました…
なぜかというと、地本の方に聞いた出港時間が1645でして、その時間に合わせてきたから。
そしたら、艦内で聞いた1800の方だったんですよね…
一応、早い方に合わせて行くでしょう?(笑)
そんなわけで、ドシャ降りの中、待ちました。
…甲板、艦橋共に、人影なし…
「出てこないねぇ…」
「そうですねぇ…」
を、何度つぶやいただろう(笑)
「やっぱ、1800時なんかねぇ…」
「みたいですね…」
それから、か~な~り~して、ようやく、
「あラッタルしまい始めた」
と思ったら、それからが長かった…
「タグボートも来ないねぇ…」
「来ませんねぇ…」
それにしても、この時の視界の悪さは超絶でした。
いきなり霧の中から船が現れたってかんじで、
こういう状況だと、見張りの人とか相当緊張すると思う…
この前の吹雪の時もそうだけど、この日みたいな天候の悪い日だと、
吹雪こうがドシャ降りだろうが、視界が悪かろうが、関係なくお仕事をされていることを、
肌で感じることができるので、私はわりとこういう日に見るのは好きです。
「こんな日も、皆さんこうやってお仕事されているんだな…」
と、しみじみ思いながら見ていました。
…しばらくすると、ようやく、ようやくタグボートが来ました。
車で待機していたらしい、地本の方たちも出てきて雨の中出港に向けてのお手伝いが始まりました。
舫いが一本、また一本外されていって…
出港ラッパが鳴り、最後の一本が外され、出港しました。
この日、岸壁には地本の方たち数人だったので、帽振れはあるのかなぁ…
と思っていたら、見えました帽振れ
ここからは、手を振っても絶対に分かんないと思うけど、手を振りました。
「今日、ステキな時間を本当にありがとうございました」って。
そういえば、この時点で、雨脚はずいぶん弱くなっていて、ほぼ上がっていました。
出港の時に雨が上がってよかったぁ~
視界もさっきよりはマシになってるし、少しは、出港しやすくなってるのかなぁ…
あしがらが正面を向きました。
タグボートがよいしょ、よいしょ、せっせとお手伝い
見よ翻る自衛艦旗を
(むらさめくん、お手柄)
…もう、胸が熱くなります…(ノ_-。)
ゆっくりと、ゆっくりと、溶け込むように進んで行きました。
訓練からそのまま、この体験航海に来て頂き、天候の悪い中2回も体験航海をされ、
視界の悪い中、母港へと帰港して行かれました。
たくさんの楽しい時間を、本当にありがとうございました。
また、皆さんにお目にかかれる日を楽しみにしています
が、この日、天気はいまいちで、午後の洋上慰霊式が危ぶまれており、
艦長さんとお話させて頂いた時に、
私「せめて、雨が降らないといいですね…」
艦長「そうですね。雨が降ると格納庫になるので、弔銃は構えただけになりますからね…。
みんな、一生懸命練習したんですよ~」
私「そうですよね…」
あしがらは、訓練を終えてそのまま博多港に来てくれていたので、
訓練も行いつつ、洋上慰霊式の立付も行われていたようですから、
せっかくなので、弔銃は発射してほしいなぁ…と思っていました。
昨年末の「いせ」での、格納庫内の洋上慰霊式を思い出しましたよ
…ですが、なんとかお天気は持ったようでした
よかった~
午後は私は乗艦していませんので、お写真だけ。
(※参加者の知人より頂きました)
上陸前に、岩崎司令とお話した時、
「この前の筥崎宮での、日本海海戦記念行事の時、
663年の白村江の戦いから話が始まったのには驚きました(笑)
ですが、確かにその時代から、元寇、日本海海戦と、
国を護るということが続いてきて、我々はそれを受け継いでいるのだということを、改めて認識しました」
と仰いました。
慰霊式では、このお話に続いて、こう締めくくられたようです。
「日露海軍軍人の英霊に哀悼の誠を捧げるとともに、海洋国家日本の平和と安全を守るために任務を全うしたい」
今、重要な、国防に関する法案の採決をめぐって国会は紛糾していて、
日本の国防を強化するための法案ですから、民主・共産・社民は、潰そうと必死。
断言しますが、別に戦争するための法案でも、積極的に自衛隊を危険にさらすための法案でもありません。
「海洋国家日本の平和と安全を守るために任務を全う」するために、必要な法案なのです。
護りたくても、現状では護ることができない状況があり、忸怩たる思いを抱えている自衛官がいるのも事実。
日本を真の独立国家にしたい、というのが、安倍首相の願いではないかと思います。
自分の手で、自らの国を護れない国は独立国とは言えません。
そして、その当然の権利を日本は奪われているのです。
自分の手で、自分を護る権利が奪われているのです。
世界中の、日本以外のどの独立国も当たり前のように持っている権利が、日本にはないのだから。
国防を軽んじる考えが主体になると、
当然、国防に携わる自衛隊も軽視されます。
今回、あしがらが寄港した博多港は、
なかなか左風が強い港のようでして、
商業使用が主目的の港だからと、なかなかの風当たりを喰らわしてきますね、自衛隊に。
以前、ミサイル艇が来た時もひどかった…。
出港が予定より30分も早まったんですよね。
理由は、今から民間船が入港して来るから早く出て行け、ということでした。
ふ・ざ・け・ん・な
今回のあしがらも、当然出港は翌日だと思っていたんです、私。
いつもそうだから。
そしたら、もう、その日に出港しちゃうって聞いて、びっくりしました。
まぁ、早く出て行けってことなんでしょうけど…
あのさぁ…あんたたち(民間船)の航路の安全って、誰の手で護られてると思ってんのよ?!
スエズ運河を安心して通るために、誰に護ってもらってると思ってんのよ?!
それなのに、自衛艦とすれ違う時に敬礼もしない、
でも、護ってもらうのは当たり前だと、居丈高に主張だけはする…。
…戦後のゆがめられた軍のイメージで、
軍隊・軍人は威張っている、というのがありますけど、逆じゃん
民間人なら、自衛官に対して偉そうにしていいの?威張っていいの?
自衛官って、そんなに民間に遠慮しなきゃいけないの?(ノ_-。)
…すみません、興奮してしまいました。
でも、悲しくなる…。
そんなわけで、
すごく厳しい「ソーラス条約」の港ですので、
出港のお見送りと言っても、もう、我々は立ち入りは絶対にできません。
見送るといっても、博多港ターミナルの展望デッキから、
どうにか見えるくらいです。
なので、岸壁からのお見送りは、舫いを外しに来た地本の皆さんだけ…。
ちなみにこの日は、下関にトルコ海軍のフリゲート艦「ゲディズ」が寄港しており、
ホストとして、海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」も来ていましたから、
この体験航海の後、下関まで行った強行軍の方々も少なくなかったようですね。
この下関は、博多港とは真逆で、とても自衛隊に優しく好意的な港です
例え岸壁にいられなくても、体験航海をさせていただいた艦のお見送りがしたかったので、
翌日だろうが、当日だろうが、出港のお見送りをさせて頂くことを決めていました。
…そして、カメラマンのむらさめくんと、展望デッキに出ましたら…
なかなかのドシャ降り…
みょうこうの出港の時は、吹雪いてて、今度はドシャ降り(笑)
しか~し、その中で二人で、2時間以上待ちました…
なぜかというと、地本の方に聞いた出港時間が1645でして、その時間に合わせてきたから。
そしたら、艦内で聞いた1800の方だったんですよね…
一応、早い方に合わせて行くでしょう?(笑)
そんなわけで、ドシャ降りの中、待ちました。
…甲板、艦橋共に、人影なし…
「出てこないねぇ…」
「そうですねぇ…」
を、何度つぶやいただろう(笑)
「やっぱ、1800時なんかねぇ…」
「みたいですね…」
それから、か~な~り~して、ようやく、
「あラッタルしまい始めた」
と思ったら、それからが長かった…
「タグボートも来ないねぇ…」
「来ませんねぇ…」
それにしても、この時の視界の悪さは超絶でした。
いきなり霧の中から船が現れたってかんじで、
こういう状況だと、見張りの人とか相当緊張すると思う…
この前の吹雪の時もそうだけど、この日みたいな天候の悪い日だと、
吹雪こうがドシャ降りだろうが、視界が悪かろうが、関係なくお仕事をされていることを、
肌で感じることができるので、私はわりとこういう日に見るのは好きです。
「こんな日も、皆さんこうやってお仕事されているんだな…」
と、しみじみ思いながら見ていました。
…しばらくすると、ようやく、ようやくタグボートが来ました。
車で待機していたらしい、地本の方たちも出てきて雨の中出港に向けてのお手伝いが始まりました。
舫いが一本、また一本外されていって…
出港ラッパが鳴り、最後の一本が外され、出港しました。
この日、岸壁には地本の方たち数人だったので、帽振れはあるのかなぁ…
と思っていたら、見えました帽振れ
ここからは、手を振っても絶対に分かんないと思うけど、手を振りました。
「今日、ステキな時間を本当にありがとうございました」って。
そういえば、この時点で、雨脚はずいぶん弱くなっていて、ほぼ上がっていました。
出港の時に雨が上がってよかったぁ~
視界もさっきよりはマシになってるし、少しは、出港しやすくなってるのかなぁ…
あしがらが正面を向きました。
タグボートがよいしょ、よいしょ、せっせとお手伝い
見よ翻る自衛艦旗を
(むらさめくん、お手柄)
…もう、胸が熱くなります…(ノ_-。)
ゆっくりと、ゆっくりと、溶け込むように進んで行きました。
訓練からそのまま、この体験航海に来て頂き、天候の悪い中2回も体験航海をされ、
視界の悪い中、母港へと帰港して行かれました。
たくさんの楽しい時間を、本当にありがとうございました。
また、皆さんにお目にかかれる日を楽しみにしています