大刀洗飛行場は、東洋一と謳われた、陸軍最大の飛行場があり、陸軍の航空学校の本校でもありました。
特攻基地として有名な知覧は、実は、ここ大刀洗の分校にあたり、
大刀洗は特攻基地の中継基地でしたので、ここから、知覧など他の特攻基地に赴いたのです。
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かつての正門です。
もともとは、もっと東側にあった門を移築したものなのだそうです。
中に入り、館長さんの挨拶を受け、シアタールームにて30分程の映像を観ます。
編集もCGもなかなかきれいで、クオリティの高い作品でした。
何より、この手の平和記念館というところは、気持ち悪いくらいに左に傾いた主張をしているところが多いのですが、
ここ大刀洗はそんなことがなく、なんと言っても最後は、
「この国を命がけで護ってくれた人たちのおかげで、今の平和があるということを、忘れてはいけない」
という言葉で結ばれていたことに、とても安心しました。
思想的にどちらかに偏りすぎていないので、とても見やすく創ってあります。
館内は、
A:飛行場の概要と航空技術
B:大刀飛行場と人々の生活
C:大刀洗空襲と特攻隊
の3つのゾーンに分かれており、Aには、現存する唯一の、零式艦上戦闘機三二型が展示されています。
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これが、館内で唯一撮影が許可されたものです。
零式戦闘機といえば、戦争初期に最高の機体とされ、その搭乗員の技量もすこぶる高かったことで恐れられたことは、とても有名です。
これを見た後に、Cに展示されていた、九七式戦闘機を見ると、古く野暮ったい機体に見えます
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本来、これは撮影禁止なのですが、今回の見学を企画された方の叔父様が、まさにこの機体の搭乗員だったとのことで、
特別に撮影を許可して頂きました
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この九七式は、陸軍が特攻でよく使用した機体で、今度「戦後70周年ドラマスペシャル」で放送される、
「妻と飛んだ特攻兵」の、関東軍所属の谷藤少尉と妻朝子(ドラマでは山内少尉と房子)さんが乗った戦闘機でもあります。
この房子さんは、唐津出身の女性ということで、昨年、私も書籍を購入して読んでいたので、ドラマ化することを知って、
けっこうびっくりしました。
谷藤少尉がモデルとなった山内少尉役の成宮寛貴が、
「実際に戦闘機に乗ると驚くほど視界が狭く、一体どうやって操縦していたのだろうと思った」
というコメントをされていたのを、別の記事で見たのですが、
前回の記事でUPした新郷さんのお話によると、左右のわずかな隙間から見ていたんですよね。
お話を聞くことができて本当によかったです。
また、このコーナーには、特攻隊員の顔写真と遺書も展示してありました。
一番若くて18歳・・・。
その彼は、見事な漢文調の遺書をしたためていました。
みんな、若さに似合わぬ覚悟を決めた、凛々しく美しいお顔をされています。
特攻隊員について触れる度に必ず言いますが、単純な特攻美はすべきではないと考えます。
ですが、彼らが「洗脳されていた」というのは、やはり侮辱ではないでしょうか。
新郷さんが仰ったように、当時は、「行きたくない」というより「行きます」という方が「精神的に楽だった時代」でした。
「それを洗脳というのだ」と言う人もいるでしょう。
しかし、やはりそれは洗脳ではなく、現代の人間からは想像もつかないくらいのすさまじい責任感だったのだと、私は思います。
それは、新郷さんの言葉からも窺い知ることができます。
「・・・我々は、特攻要員として厳しい訓練を受け、育てられてきたのだから『行かない』という選択はできません。
それは・・・男らしくないと言いますか・・・」
そう語る新郷さんのお話を聞きながら、防衛大学校卒業生の任官拒否がふと脳裏に浮かびました・・・。
これに関しては、これ以上ここでは言及しませんが。
戦後70年という節目に、実際に戦場に行かれた方や、特攻要員として訓練を受けておられた方から、
様々な人のご縁で、実際にお話を伺う機会を得られていることに、感謝するばかりです。
・・・戦争について語られる時というのは、とかく、
「戦争は悲惨」「戦争は二度としてはいけない」
というメッセージだけが繰り返し強調されます。
このメッセージを繰り返す側の意図は、
だから、戦争に進むような武力は放棄しなければならないのだ、ということです。
「『戦争反対』って、すごく変な言葉だと思うんです」
ある、自衛官の友人が言いました。
「これって、『地震反対』とか『火山噴火反対』と叫んでいるのと同じ事でしょう?
賛成している人なんていないんですから」
ものすごく正論だと思いました。
その中で、あえて「戦争反対」を叫ぶ人たちは、もちろん妙な思惑があり、特定の思想を乗っけている人たちというだけなのですけど。
誰だって反対です。
しかし、その「反対」と叫ぶ声を単なる道具にしているのか、
大ぴらに声として発さなくても、戦争に巻き込まれないようにするために必要なことを推進させようと必死なのか、
その違いは顕著です。
「戦争反対」なんて、声にするまでもないことなんです。
それを、わざわざ叫び回っている人たちから発せられるその言葉の「胡散臭さ」を、
より多くの日本人が感じ、気づくことを願う次第です。
特攻基地として有名な知覧は、実は、ここ大刀洗の分校にあたり、
大刀洗は特攻基地の中継基地でしたので、ここから、知覧など他の特攻基地に赴いたのです。
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かつての正門です。
もともとは、もっと東側にあった門を移築したものなのだそうです。
中に入り、館長さんの挨拶を受け、シアタールームにて30分程の映像を観ます。
編集もCGもなかなかきれいで、クオリティの高い作品でした。
何より、この手の平和記念館というところは、気持ち悪いくらいに左に傾いた主張をしているところが多いのですが、
ここ大刀洗はそんなことがなく、なんと言っても最後は、
「この国を命がけで護ってくれた人たちのおかげで、今の平和があるということを、忘れてはいけない」
という言葉で結ばれていたことに、とても安心しました。
思想的にどちらかに偏りすぎていないので、とても見やすく創ってあります。
館内は、
A:飛行場の概要と航空技術
B:大刀飛行場と人々の生活
C:大刀洗空襲と特攻隊
の3つのゾーンに分かれており、Aには、現存する唯一の、零式艦上戦闘機三二型が展示されています。
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これが、館内で唯一撮影が許可されたものです。
零式戦闘機といえば、戦争初期に最高の機体とされ、その搭乗員の技量もすこぶる高かったことで恐れられたことは、とても有名です。
これを見た後に、Cに展示されていた、九七式戦闘機を見ると、古く野暮ったい機体に見えます
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本来、これは撮影禁止なのですが、今回の見学を企画された方の叔父様が、まさにこの機体の搭乗員だったとのことで、
特別に撮影を許可して頂きました
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この九七式は、陸軍が特攻でよく使用した機体で、今度「戦後70周年ドラマスペシャル」で放送される、
「妻と飛んだ特攻兵」の、関東軍所属の谷藤少尉と妻朝子(ドラマでは山内少尉と房子)さんが乗った戦闘機でもあります。
この房子さんは、唐津出身の女性ということで、昨年、私も書籍を購入して読んでいたので、ドラマ化することを知って、
けっこうびっくりしました。
谷藤少尉がモデルとなった山内少尉役の成宮寛貴が、
「実際に戦闘機に乗ると驚くほど視界が狭く、一体どうやって操縦していたのだろうと思った」
というコメントをされていたのを、別の記事で見たのですが、
前回の記事でUPした新郷さんのお話によると、左右のわずかな隙間から見ていたんですよね。
お話を聞くことができて本当によかったです。
また、このコーナーには、特攻隊員の顔写真と遺書も展示してありました。
一番若くて18歳・・・。
その彼は、見事な漢文調の遺書をしたためていました。
みんな、若さに似合わぬ覚悟を決めた、凛々しく美しいお顔をされています。
特攻隊員について触れる度に必ず言いますが、単純な特攻美はすべきではないと考えます。
ですが、彼らが「洗脳されていた」というのは、やはり侮辱ではないでしょうか。
新郷さんが仰ったように、当時は、「行きたくない」というより「行きます」という方が「精神的に楽だった時代」でした。
「それを洗脳というのだ」と言う人もいるでしょう。
しかし、やはりそれは洗脳ではなく、現代の人間からは想像もつかないくらいのすさまじい責任感だったのだと、私は思います。
それは、新郷さんの言葉からも窺い知ることができます。
「・・・我々は、特攻要員として厳しい訓練を受け、育てられてきたのだから『行かない』という選択はできません。
それは・・・男らしくないと言いますか・・・」
そう語る新郷さんのお話を聞きながら、防衛大学校卒業生の任官拒否がふと脳裏に浮かびました・・・。
これに関しては、これ以上ここでは言及しませんが。
戦後70年という節目に、実際に戦場に行かれた方や、特攻要員として訓練を受けておられた方から、
様々な人のご縁で、実際にお話を伺う機会を得られていることに、感謝するばかりです。
・・・戦争について語られる時というのは、とかく、
「戦争は悲惨」「戦争は二度としてはいけない」
というメッセージだけが繰り返し強調されます。
このメッセージを繰り返す側の意図は、
だから、戦争に進むような武力は放棄しなければならないのだ、ということです。
「『戦争反対』って、すごく変な言葉だと思うんです」
ある、自衛官の友人が言いました。
「これって、『地震反対』とか『火山噴火反対』と叫んでいるのと同じ事でしょう?
賛成している人なんていないんですから」
ものすごく正論だと思いました。
その中で、あえて「戦争反対」を叫ぶ人たちは、もちろん妙な思惑があり、特定の思想を乗っけている人たちというだけなのですけど。
誰だって反対です。
しかし、その「反対」と叫ぶ声を単なる道具にしているのか、
大ぴらに声として発さなくても、戦争に巻き込まれないようにするために必要なことを推進させようと必死なのか、
その違いは顕著です。
「戦争反対」なんて、声にするまでもないことなんです。
それを、わざわざ叫び回っている人たちから発せられるその言葉の「胡散臭さ」を、
より多くの日本人が感じ、気づくことを願う次第です。