〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

今年最後の講座、今思うこと(その2)

2024-12-30 21:23:51 | 日記
28日の続き、です。 

28日夜の10時、NHKの番組は「量子もつれ」の話でしたが、
その二日前26日にはユヴァル・ノア・ハラリさんの番組があり、
これがとてもよかった。
ハラリさんの『サピエンス全史』は全世界でベストセラーとなり、
これを原案として『漫画 サピエンス全史』なども出版されました。
ハラリさんがマスコミに登場したのは久しぶりで、嬉しく思いました。

ハラリさんの考え、主張は実は、日本の近代小説を読む際の基本の基本と
私は考えています。
前世紀の拙著『小説の力 新しい作品論のために』、
『読みのアナーキーを超えて いのちと文学』の根底にある世界観は
〈第三項〉論ですが、これは私から見れば、ハラリさんと通底しています。

世界は主客相関の二項では捉えられない、世界は常に人類の主体に応じて現れ、
世界そのものは未来永劫、了解不能の《他者》でしかありません。
客体そのものを捉えているのではないのです。
人類の識閾下の集合的無意識が世界観を形成し、文明を生み出しました。
近代が信じてきた「客観的現実」もイデア、人類の想念、イデオロギーだったのです。
量子力学が誕生すると、量子もつれがこれを根底的に相対化しました。
世界が物語だったことを見せ付けてくれた、ハラリさんの世界観もここにあります。

しかし、相変わらずリアリズムを根底にしている近代社会は
古代文明の延長の物語世界にあり、〈第三項〉と対峙できずにいます。
そのため二度の世界戦争をし、現在も第三次世界大戦、核戦争の危機を
一方で抱えています。

文学文学作品の文脈(コンテクスト)も全てその主体に応じて現れます。
我々が捉える客体の文章、そのコンテクストは全て、
〈その時その場所〉での〈私〉の文脈・意味なのです。
しかし、近代文学研究の学問界の主流はいまだ近代的リアリズム、
「客観的現実」を根強く信じています。

何故なら、近代小説は近代的リアリズムをベースにして誕生したからです。
これを私は近代小説の〈本流〉と呼んでいます。
そして、そのリアリズムをベースにしながら、
そのリアリズムの原理それ自体を根源的に相対化して登場した小説群を
近代小説の《神髄》と呼んで区別しています。

その代表が森鷗外や夏目漱石といった文豪の作品です。
鷗外の場合、生命が擬態を取る姿を物語の中で描き出しながら、
そこに自身の生きる意味と価値を感じ取る、
これが彼の生き方だったと思います。

ところで私の方は、前世紀末に単著を出した後、
単行本にまとめられないまま、二十一世紀も四半世紀が過ぎてしまいました。

今、世界はAIの台頭によって、大きく転換しようとしています。
アメリカでは、アメリカファーストを掲げるトランプが、
低所得者層の支持を受け、再び大統領に選出されました。
マスメディアの大勢はハリスを支持していましたが、
SNSがそれを覆した形です。
マスメディアの中にあるジャーナリズムの脆弱性、
虚妄性のある面が露呈したとも言えるでしょう。
世界中が実は民主主義の在り方という根源の問題に直面しています。
これはポストモダンの文化運動の課題でもありましたが、
これが昏迷のまま終焉したことが、アメリカ大統領選挙にも露呈しているのです。

日本でも同様で、表層だけが変容したジャーナリズムが形成されて落ち着いています。
先に述べたように、「客観的現実」を真実と信じる世界観はそのまま、
近代文学研究の学問界でも信仰されています。
近代的自我の根幹が問われていないのです。

鷗外の『舞姫』の一人称の〈語り手〉の問題は、
平野啓一郎のような現代を代表する傑出した現代作家にとっても
いまだに大きな課題としてのしかかっているのです。

こうした問題をここで共に考えていきませんか。

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