〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

今年最後の講座、今思うこと(その1)

2024-12-28 10:56:03 | 日記
ずっとブログを休んでいました。今月28日の今日が、
甲府での今年の最後の講座になります。
そこで、これまでの総括として、あらかじめブログを認めておきます。
小難しくなりますが、お許しください。
ご質問を年末・年始に頂きながら、これを広く、みんなで考えたいと思っています。
小説の読み方を研究対象にすると、その内容が読者に全く変わって現れると
私は考えています。
現在の文学研究の研究状況と私のそれとが
ずれたままになっているため、
この六年間、ずっと鬱屈し、自閉してきました。

12月は第2週目に中国の西安と蘭州で講義をしました。
やっと決心して出かけたのです。
すると予想以上に聴講の方々との交流も出来、
いよいよこの六年余りの閉塞を転換させようと勇気をもらってきました。
これから、ブログでも交流が出来ればと期待しています。

そんな思いでいるところ、今日、28日の夜10時から
NHKで「アインシュタインの最後の謎・量子もつれがノーベル賞で一躍脚光
時空ワープさえ実現」が放映されると知りました。
タイムリー、2年前の都留の紀要に、拙稿「近代小説の《神髄》
―「表層批評」から〈深層批評〉へ―」
を発表し、近代小説の本流を突き抜けたその《神髄》を読むことを論じましたが、
その際、「量子のもつれ」の世界観を必須としていたのです。
これは都留文科大学のリポリトジ、「トレイル」でお読み頂けます。
こちらをご覧頂ければと願っています。

アインシュタインの晩年、量子力学、「シュレデンガーの猫」の世界が現れて、
アインシュタインの原理は相対化され、彼はその苦悩の中で亡くなります。
二ュートンの万有引力の発見、コペルニクスの天動説から地動説への転換、
アインシュタインの相対性原理、こうした世界観をもう一度、
相対化し直す現代の量子力学、この世界観と
新約聖書の「はじめに言葉があった」を踏まえていくと、
近代的リアリズムの世界もまた、原理的に相対化されることを前提に
私の近代小説の読みが始まります。
近代小説の本流ならぬ《神髄》とはいかなるものか、これが問われるのです。

そこでは客観的対象と信じられた外界の対象世界が
人類・サピエンスの捉えている対象世界でしかなく、
人類・サピエンスに制作された記号表現を媒体にした現象の「あり様」を
我々は捉えていたに過ぎなかったのです。
近代小説はリアリズムをベースにしていますから、
これが小説の根幹に関わっていたのです。

そこでもし、近代小説というジャンルそれ自体を問うとすれば、
リアリズムをベースにしながら物語が語られている近代小説の
〈本流〉ならぬ《神髄》を捉えようとするならばの話ですが、
我々の主体に現れた外界の世界を一旦根源的に相対化することが必須です。

我々人類に現れている外界の客体の対象世界、
その宇宙の中の全ての出来事は皆、実はサピエンスである我々の主体に
現れているに過ぎないのです。
そのため、客体の対象の出来事を直接捉えるのでなく、
その客体を客体とする主客相関のレベルを対象化する、
すなわち、メタレベルとする位相から捉えることが要求されていると
考えています。

ナラトロジー(語り手論)という用語は一般化しても、
例えば視点人物のまなざしとこれを語るまなざしとが区別されず読まれてきたのが、
近代小説研究の実情であります。
「客観的現実」と信じられたものは人類の想念、イデオロギーなのです。


 我々人類・ホモサピエンスに現れている世界は全て我々人類の
言語記号によって制作され、その主体を介在して現れた外界の領域のなかに
我々サピエンスの主体もあります。
客体の対象世界は全て主体を介在して現れ、客体そのものではないのです
そこで、私はこの客体そのものを主客二項の外部、〈第三項〉と名付けました。

続きは明日以降に。

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