9月16日(日)2時から1時間半、韮崎で魯迅の『故郷』についてお話します。
その際、以下の二つの質問にお答えします。
まず、甲州グループ、望月さんからの質問。
4点お願いします。
1.パラレルワールドについて
「私」の脳裏に突然「紺碧の空に金色の月」という不思議な画面が繰り広げられますが、先生のご指摘で初めて昼と夜の不思議な画面であることに気づきました。それまでは夜だと思っていました。そのような画面が見えるということが、「私」が何者かということを語っていると理解しました。「私」が際立った相対主義者であることが、冒頭の部分だけではなく、このように想起するということからもわかると考えてよいのでしょうか?
パラレルワールドということを2018年8月号の図2から考えると、人それぞれが異なった「自分の捉えた客体の世界」の中で生きていて、〈第三項〉、言語以前、了解不能、地下2階、世界観上の真偽の分類に届くことはできないと考えますが、この考えと『故郷』の「私」とのつながりがわかりません。図2のように〈語り手を超えるもの〉は考えて語っていて、生身の「私」には見えない世界ということなのでしょうか?
2.ルントウの消えた意味について
最後の場面で、ルントウが見せ消ちになっていることの意味について教えてください。ルントウとの出会いによって生き方を決定づけられた「私」は、徹底的な相対主義者となって登場し、三十年ぶりにルントウと再会し、英雄としてずっと心に描いてきた姿と目の前の姿との落差に驚き、さらにこそ泥になってしまったことに衝撃を受け、ルントウの偶像崇拝を笑い、自身の希望も手製の偶像であったと厳しく徹底的に自己を責めます。そのような「私」であるから、最後の不思議な場面に「ルントウがいるけれど、見えない」「ルントウは見えないけれど、いる」というような見せ消ちとして示すということなのでしょうか?
3.「鉄の部屋」の〈聴き手〉
「日本文学」2013年2月号の「奇跡の名作」のご論文の中40ページから41ページにかけて次のようにあります。
〈語り手〉とは〈聴き手〉があって初めて機能する働きであり、『故郷』の〈語り〉は何より、「鉄の部屋」に閉じられ、〈聴き手〉という装置をこれまでニュートラルにしてきたところに『故郷』を読む陥穽、躓きがあったのです。
ここは、私たち読者が「鉄の部屋」にいることに無自覚であること、自分自身の認識を問うことが重要であるという意味なのでしょうか?
4.希望の論理について
「相対主義の観念の残滓を浚う」「認識者の極北」「地上の一切の観念の残滓を全て葬り去る」「「世界観上の真偽の分類」が開けてくれます。」という「私」を考えることが非常に難しいです。
※ここについては16日までにもっと考えます。
5 池田晶子さんの「言葉の力」の相対化について
「日本文学」2018年8月号の「〈近代小説〉の神髄」のご論文の中、5ページに次のようにあります。
言語と言えど「語りえぬものは沈黙しなければならない」という命題を一種の逆説と化すことです。
言語の起源がわからない以上「はじめに言葉ありき」とするしかないという考え方は、言語を絶対化することになる。「語りえぬ」から「沈黙」するのではなく、「語る」「語らない」の以前、言語以前に立って「沈黙」を考えなければならないということでしょうか。
次に甲州グループ、周さんからの質問。
田中先生の「故郷」論について
一、 従来の「故郷」論との主な相違点
① 「紺碧の空に金色の月」に関する解釈
田中先生は、「紺碧の空に金色の月」とは、昼にして夜であるパラレルワールドを描いていると論じられました。他の論では全部、この場面を単純に夜の場面だと理解しています。
② 「三十年二十年問題」に関する解釈
三十年ぶりに再会した閏土は五番目の子ども水生を連れてきています。原文では、「これぞまさしく二十年前の閏土であった」と書いてあるが、竹内訳では、「これぞまさしく三十年前の閏土であった」と改訳してあります。
「私」の年齢を考えと、確かに「三十年前」であるはずですが、田中先生のご論では、「私」が十年も数え違えることから、「私」の人生の特異性が見られると論じられました。
「私」が閏土と出会ってからの十年は、城壁の外の「悲惨な現実に目覚めていくプロセスを生き、自身の内面、観念の内奥に沈み込まざるを得ない」、外界に対しては「空白の十年」を生きたからと論じられました。
二、田中先生の「故郷」論と他の「故郷」論の根本的な違いは、絶対に壊れない「鉄の部屋」を壊す原理(あるいは「希望」の論理)に対する認識の違い、更にその認識を支える世界観認識の違いだと理解します。
田中先生のご論では、「難攻不落の『鉄の部屋』も言語で構築されたまぼろし、この世のありとあらゆるものは『極めて動物的でありまた極めて文化的でもある分類』によってそう知覚されるのです」と書いてあり、「鉄の部屋」を壊すには、鉄の部屋を生きる自分自身を倒壊、瓦解するしかいないのです。
「紺碧の空に金色の月」のパラレルワールドの情景は、「語り手」が相対主義の極致にいることを物語り、「空白の十年」も「語り手」の壊れている内面を物語っていると思います。(このように理解してよろしいでしょうか。)
しかし、ここまでだと、やはり、「語り手」の「不条理」に認識の中に留まるのであり、作品としては、「条理」の話になると思います。
だからこそ、田中先生のご論で論じられたように、「故郷」には〈語り手を超えるもの〉が必要であり、「語り手」を更に相対化して、「不条理」を認識のレベルではなく、存在のレベルで語りだしたと思います。
このことは、中田先生が「日本文学」2018年8月号に書かれたご論に中に書いた、「近代小説の真髄は不条理」という論述と合わせて読むと、一層理解しやくなると思います。
三 質問ですが、最後「紺碧の空に金色の月」の場面で閏土は消えますが、それは、「語り手」が自分の心の故郷である閏土を消すことによって、「観念の最後の一片まで廃棄」することを意味すると理解してよろしいでしょうか。
その際、以下の二つの質問にお答えします。
まず、甲州グループ、望月さんからの質問。
4点お願いします。
1.パラレルワールドについて
「私」の脳裏に突然「紺碧の空に金色の月」という不思議な画面が繰り広げられますが、先生のご指摘で初めて昼と夜の不思議な画面であることに気づきました。それまでは夜だと思っていました。そのような画面が見えるということが、「私」が何者かということを語っていると理解しました。「私」が際立った相対主義者であることが、冒頭の部分だけではなく、このように想起するということからもわかると考えてよいのでしょうか?
パラレルワールドということを2018年8月号の図2から考えると、人それぞれが異なった「自分の捉えた客体の世界」の中で生きていて、〈第三項〉、言語以前、了解不能、地下2階、世界観上の真偽の分類に届くことはできないと考えますが、この考えと『故郷』の「私」とのつながりがわかりません。図2のように〈語り手を超えるもの〉は考えて語っていて、生身の「私」には見えない世界ということなのでしょうか?
2.ルントウの消えた意味について
最後の場面で、ルントウが見せ消ちになっていることの意味について教えてください。ルントウとの出会いによって生き方を決定づけられた「私」は、徹底的な相対主義者となって登場し、三十年ぶりにルントウと再会し、英雄としてずっと心に描いてきた姿と目の前の姿との落差に驚き、さらにこそ泥になってしまったことに衝撃を受け、ルントウの偶像崇拝を笑い、自身の希望も手製の偶像であったと厳しく徹底的に自己を責めます。そのような「私」であるから、最後の不思議な場面に「ルントウがいるけれど、見えない」「ルントウは見えないけれど、いる」というような見せ消ちとして示すということなのでしょうか?
3.「鉄の部屋」の〈聴き手〉
「日本文学」2013年2月号の「奇跡の名作」のご論文の中40ページから41ページにかけて次のようにあります。
〈語り手〉とは〈聴き手〉があって初めて機能する働きであり、『故郷』の〈語り〉は何より、「鉄の部屋」に閉じられ、〈聴き手〉という装置をこれまでニュートラルにしてきたところに『故郷』を読む陥穽、躓きがあったのです。
ここは、私たち読者が「鉄の部屋」にいることに無自覚であること、自分自身の認識を問うことが重要であるという意味なのでしょうか?
4.希望の論理について
「相対主義の観念の残滓を浚う」「認識者の極北」「地上の一切の観念の残滓を全て葬り去る」「「世界観上の真偽の分類」が開けてくれます。」という「私」を考えることが非常に難しいです。
※ここについては16日までにもっと考えます。
5 池田晶子さんの「言葉の力」の相対化について
「日本文学」2018年8月号の「〈近代小説〉の神髄」のご論文の中、5ページに次のようにあります。
言語と言えど「語りえぬものは沈黙しなければならない」という命題を一種の逆説と化すことです。
言語の起源がわからない以上「はじめに言葉ありき」とするしかないという考え方は、言語を絶対化することになる。「語りえぬ」から「沈黙」するのではなく、「語る」「語らない」の以前、言語以前に立って「沈黙」を考えなければならないということでしょうか。
次に甲州グループ、周さんからの質問。
田中先生の「故郷」論について
一、 従来の「故郷」論との主な相違点
① 「紺碧の空に金色の月」に関する解釈
田中先生は、「紺碧の空に金色の月」とは、昼にして夜であるパラレルワールドを描いていると論じられました。他の論では全部、この場面を単純に夜の場面だと理解しています。
② 「三十年二十年問題」に関する解釈
三十年ぶりに再会した閏土は五番目の子ども水生を連れてきています。原文では、「これぞまさしく二十年前の閏土であった」と書いてあるが、竹内訳では、「これぞまさしく三十年前の閏土であった」と改訳してあります。
「私」の年齢を考えと、確かに「三十年前」であるはずですが、田中先生のご論では、「私」が十年も数え違えることから、「私」の人生の特異性が見られると論じられました。
「私」が閏土と出会ってからの十年は、城壁の外の「悲惨な現実に目覚めていくプロセスを生き、自身の内面、観念の内奥に沈み込まざるを得ない」、外界に対しては「空白の十年」を生きたからと論じられました。
二、田中先生の「故郷」論と他の「故郷」論の根本的な違いは、絶対に壊れない「鉄の部屋」を壊す原理(あるいは「希望」の論理)に対する認識の違い、更にその認識を支える世界観認識の違いだと理解します。
田中先生のご論では、「難攻不落の『鉄の部屋』も言語で構築されたまぼろし、この世のありとあらゆるものは『極めて動物的でありまた極めて文化的でもある分類』によってそう知覚されるのです」と書いてあり、「鉄の部屋」を壊すには、鉄の部屋を生きる自分自身を倒壊、瓦解するしかいないのです。
「紺碧の空に金色の月」のパラレルワールドの情景は、「語り手」が相対主義の極致にいることを物語り、「空白の十年」も「語り手」の壊れている内面を物語っていると思います。(このように理解してよろしいでしょうか。)
しかし、ここまでだと、やはり、「語り手」の「不条理」に認識の中に留まるのであり、作品としては、「条理」の話になると思います。
だからこそ、田中先生のご論で論じられたように、「故郷」には〈語り手を超えるもの〉が必要であり、「語り手」を更に相対化して、「不条理」を認識のレベルではなく、存在のレベルで語りだしたと思います。
このことは、中田先生が「日本文学」2018年8月号に書かれたご論に中に書いた、「近代小説の真髄は不条理」という論述と合わせて読むと、一層理解しやくなると思います。
三 質問ですが、最後「紺碧の空に金色の月」の場面で閏土は消えますが、それは、「語り手」が自分の心の故郷である閏土を消すことによって、「観念の最後の一片まで廃棄」することを意味すると理解してよろしいでしょうか。
先生は論文で、「私」から見た「閏土」のことを「彼は城壁の外の過酷、悲惨な「現実」を生きる海辺の農民の子どもだった、そこに生きざるを得ない人の意味に嫌でも目覚めていくプロ説を生き、自身の内面、観念の内奥に沈み込まざるを得なかったのではないでしょうか」と書いてある。つまり、「私」は閏土のことをよく理解している。閏土も「「私」が宏児の未来を思うように、わが子水生の行く末を思うがゆえに見送りには連れてこなかったのでした」と、「私」のことをよく了解しているふうに見える。そうすると、「私」と閏土の間は、相手のことをよくわかっている<わたしの中の他者>しか存在していない気がします。<了解不能の《他者》>の問題をここでどう捉えるべきですか。