要妙(ようみょう:不可思議な真理) こういうのを「奥深い真理」と言う。
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経
第二十七章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
・原文 「書き下し文
善行無轍迹。善言無瑕讁。「善く行くものは轍迹(てっせき)なし。善く言うものは瑕謫(かたく)なし。
善數不用籌策。「 善く数うるものは籌索(ちゅうさく)を用いず。
善閉無關楗、而不可開。「 善く閉ずるものは関楗(かんけん)なくして、而(しか)も開くべからず。
善結無繩約、而不可解。「 善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして、而も解くべからず。
是以聖人、常善救人、故無棄人。「 ここをもって聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄つることなし。
常善救物、故無棄物。是謂襲明。「 常に善く物を救う、故に物を棄つることなし。これを明(めい)に襲(よ)ると謂(い)う。
故善人者、不善人之師。不善人者、善人之資。「 故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。
不貴其師、不愛其資、雖智大迷。「 その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智ありと雖(いえど)も大いに迷う。
是謂要妙。「 これを要妙(ようみょう)と謂う。
現代語訳
重くどっしりした物は、軽く浮ついた物の支えとなる根本である。
すぐれた進み方というものは車の轍や足跡を残さない。
すぐれた言葉というものには少しのキズもない。すぐれた計算というのは算盤を使ったりしない。
すぐれた戸締りというのは鍵やカンヌキをかけずにいても開けることが出来ない。
すぐれた結び目というのは縄も紐も使っていないのに解くことが出来ない。
この様な物事の見方をする「道」を知った聖人は人の美点を見出すのが上手いので、役立たずと言われて見捨てられる人が居なくなる。
またどんな物でも上手く活用するので、用無しだという理由で棄てられる物が無くなる。これを「明らかな智に従う」という。
たとえば善人は善人では無い者の手本であり、善人では無い者は善人の反省材料である。手本を尊敬せず反省材料を愛さないというのでは、多少の知恵があっても迷うことになるだろう。
こういうのを「奥深い真理」と言う。
英訳文
A good way to advance does not leave any footprints. A good speech does not have any defects. A good calculation does not use an abacus. A good way to close does not use a lock or a bolt, but no one can open it. A good tie does not use a rope or a cord, but no one can untie it. Like this, the saint who knows "the way" is good at finding other people's good points out. So no one is abandoned. He is also good at use of things. So nothing is thrown away. This is called "obeying the clear wisdom". A good person can be an example of how to behave for the not good people. A not good person can be an example of how not to behave for the good people. If you do not respect and cherish these examples, you will lose your way though you have some knowledge. This is called "deep truth".
*どんなことも見捨てない 2012-10-18 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121018
老子の言葉 第二十七章
(独自の超訳)
本当の良い行為=善行とは、行われたとしても他人には誰がしたのか分からないものです。
真に良い言葉とは、他人を傷付けることがありません。
真に優れた計算とは、ソロバンを弾くような計算ではなくて、心で判断します。
真に優れた家の戸締まりとは、カギを掛けなくても泥棒に入る気自体を起こさせない工夫のことです。
本当の約束とは、契約書などの縛る道具が無くても、決して破ることが出来ないものです。
道具よりも、心同士の約束を取ることを心掛けます。
このようなことを良く熟知している聖人は、
常に人を救うことが出来ます。だから聖人は、他人を見捨てることがありません。
聖人は、どんな物でも上手く使いこなします。だから聖人は、物であっても見捨てません。
これが明知(めいち:真理)を知っているということです。
だからこそ、善人は悪人にとってのお手本となり、悪人は善人にとっての反省材料と成り得ます。コノ世の一切にムダが無いのです。
つまり、どんな物事であっても自分の師として尊び、それを愛することが大切なのです。
このような心の姿勢が無ければ、どんな知恵者であっても必ず迷うことに成るでしょう。
以上のことを、要妙(ようみょう:不可思議な真理)と私は言います。
原文
「善行無轍迹。善言無瑕謫。善數不籌策。
善閉無關鍵而不可開。善結無繩約而不可解。
是以聖人。常善救人。故無棄人。常善救物。故無棄物。
是謂襲明。故善人者。不善人之師。不善人者。善人之資。
不貴其師。不愛其資。雖智大迷。
是謂要妙。」
(感想)
老子は、物事や人物を「活かす」こと、「再生させる」ことが出来る達人だったのでしょう。
おそらく老子の部下に、どんな使えない人間が入って来たとしましても、1年も経てば有能な部下に変身したことでしょう。
しかし部下には、自分自身が成長したことと、老子が陰で導いて誘導してくれていたことが分からないのです。
真に優れた人物が居ますと、その周りの人間も自然と成長するのです。
だから逆に言えば、自分の周りにはダメな人間しか居ないという人は、まず自分自身がどうなのか?を反省するべきかも知れません。
霊的には、「類は同類を寄せる法則」から見ましても、これは十分に言える真理です。
これは家庭内の問題にも言えます。
親が子供を叱って、中には子供に絶望する親も居ますが、ほんとうに子供だけの責任と問題なのでしょうか。
大概は、その親にも問題が有ることが、第三者からはよく見えるものです。
このように考えますと、平凡な家庭であることは何と有り難くて、奇跡のようなことなのでしょうか。
もし自分の家庭が平凡では無くて大変だと思うならば、家族を非難する前に自分自身を静観して見ましょう。
この章の老子の理論から言いますと、家庭に一人でもよいから上記の真理を理解して実践する人間が居ますと、家庭全体が改善して行く可能性があります。
それは子供の一人かも知れないし、祖父母なのかも知れません。
もし、その一人が居なく成りますと、その家庭はガラリと変わってしまうことでしょう。
そうなれば、自分がその大切な一人に成れば良いのです。
そして、一番重要なことは、
「どんな物事であっても自分の師として尊び、それを愛することが大切なのです」と言うことです。
ここで老子は「愛」という文字を選んでいます。
やはりコノ世は、仕事でも勉強でも他人にも、それを尊び愛して「育てる気持ち」を自分が持つことが大切なのです。
何事にも愛情を持ちましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
*他人を上手に活かす人こそ最高の人物 2018-01-15 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180115
参考記事:老子の言葉 第二十七章「どんなことも見捨てない」
「老子の人生論 」第二十七章
最高の人生の生き方、道の歩き方、をした人は、自分の足跡を残しません。
優れた話し方をする人は、他人を傷付けることがありません。
本当に優れた計算力を持つ人とは、計算機を使わずに暗算・思考が出来る人のことです。
優れたフタの止め方や、物の束ね方は、道具を使わないのに、誰も解くことが出来ない。
このようなことが出来る聖人の周囲には、落第生も、役立たずな人間も一切居ません。
聖人の周囲のどんなダメな人も、上手に適材適所に活かされるからです。
これを「真理を知る知恵」と言います。
だからこそ、善人は悪人の先生であり、悪人は善人を手助けが出来ます。
このような悪人をも活かす先生を、どんな優れた学者でも先生を尊敬して手助けをしなければ生けません。
これが出来ない偉い学者は、ただのアホである。
これこそを「深遠な法則」と言います。
(感想)
非常に考えさせられることを、ある人には耳が痛いことを、老子が指摘しています。
・ 俺の部下は役立たずばかりで嫌に成る ⇒ それは、お前こそがダメな上司の証拠である。
・ 私の子供は勉強もせずに、親の言うことも聞きません。
⇒ まず、親のあなた自身の生活を見直すべきです。
・ 悪人をも上手に社会で生活が出来るように導く先生 > 偉い権威ある学者たち。
老子らしい意外な視点と、反骨精神が見られる章です。
この章で一番に気になる文章は、最初に有ります、
* 「最高の人生の生き方、道の歩き方、をした人は、自分の足跡を残しません。」
コノ世では多くの人が、自分の実績を残したい、有名に成りたい、と思うかも知れません。
中には自画像や銅像を残す人も居ます。
でも老子は、最高の生き方とは、
・ 自分の足跡を残さない人生。
・ ひっそりと、コノ世を去ることだ。
と指摘しています。
これはアノ世に行きますと、コノ世に自分が残したモノが、どうしても気になる「引力」となるハンディと成ることが有ります。
財産、家族、借金、異性、ペット、会社、・・・・。
他人を押しのけてでも集めたモノが、それを無理に入手する過程で自分の足跡を残したことが、アノ世では自分を縛る重石に変わるのです。
これは、霊界の反射の法則でそう変わります。
ただし、自分の努力で、自然に入手したモノは、問題はないです。
また、ソレに対して自分が執着をしなければ、引力には成りません。
老子は霊的なことを一切言いませんでしたが、その生き方とは、アノ世の法則に合ったものが多く散見されます。
本当の真理とは、どの世界にも通じることが分かります。
近年の小学校では、「学級崩壊」という言葉を聞くことがあります。
授業中も生徒が勝手に走り回る、お喋りを止めない、好きなことをし続ける、などという授業に成らない様子を言います。
これを直すのは、大変なことだと思います。先ず、その子供たちの親とから、先生は話し合う必要が有りそうです。
もし、このようなクラスを、運動か、何か1つの目標、を掲げて1つにまとめて勉強態度まで改善を成し遂げる先生がいれば、どんな偉い大学教授よりも「人間として」優れた人だと心から思います。
もし周囲の人々に対して、自分が不満を持つならば、
・ 先ず、自分自身を見直すことから。
このように思い起こさせる項でした。皆さんの生活の参考に成れば幸いです。
生かして頂いて 有り難う御座います
老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
*伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧
*「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
*伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
*「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道
*老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
*老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール ≪「第一章」道経 ≫「第八十一章」徳経
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第二十七章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html
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善行無轍迹。善言無瑕讁。「善く行くものは轍迹(てっせき)なし。善く言うものは瑕謫(かたく)なし。
善數不用籌策。「 善く数うるものは籌索(ちゅうさく)を用いず。
善閉無關楗、而不可開。「 善く閉ずるものは関楗(かんけん)なくして、而(しか)も開くべからず。
善結無繩約、而不可解。「 善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして、而も解くべからず。
是以聖人、常善救人、故無棄人。「 ここをもって聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄つることなし。
常善救物、故無棄物。是謂襲明。「 常に善く物を救う、故に物を棄つることなし。これを明(めい)に襲(よ)ると謂(い)う。
故善人者、不善人之師。不善人者、善人之資。「 故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。
不貴其師、不愛其資、雖智大迷。「 その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智ありと雖(いえど)も大いに迷う。
是謂要妙。「 これを要妙(ようみょう)と謂う。
現代語訳
重くどっしりした物は、軽く浮ついた物の支えとなる根本である。
すぐれた進み方というものは車の轍や足跡を残さない。
すぐれた言葉というものには少しのキズもない。すぐれた計算というのは算盤を使ったりしない。
すぐれた戸締りというのは鍵やカンヌキをかけずにいても開けることが出来ない。
すぐれた結び目というのは縄も紐も使っていないのに解くことが出来ない。
この様な物事の見方をする「道」を知った聖人は人の美点を見出すのが上手いので、役立たずと言われて見捨てられる人が居なくなる。
またどんな物でも上手く活用するので、用無しだという理由で棄てられる物が無くなる。これを「明らかな智に従う」という。
たとえば善人は善人では無い者の手本であり、善人では無い者は善人の反省材料である。手本を尊敬せず反省材料を愛さないというのでは、多少の知恵があっても迷うことになるだろう。
こういうのを「奥深い真理」と言う。
英訳文
A good way to advance does not leave any footprints. A good speech does not have any defects. A good calculation does not use an abacus. A good way to close does not use a lock or a bolt, but no one can open it. A good tie does not use a rope or a cord, but no one can untie it. Like this, the saint who knows "the way" is good at finding other people's good points out. So no one is abandoned. He is also good at use of things. So nothing is thrown away. This is called "obeying the clear wisdom". A good person can be an example of how to behave for the not good people. A not good person can be an example of how not to behave for the good people. If you do not respect and cherish these examples, you will lose your way though you have some knowledge. This is called "deep truth".
*どんなことも見捨てない 2012-10-18 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121018
老子の言葉 第二十七章
(独自の超訳)
本当の良い行為=善行とは、行われたとしても他人には誰がしたのか分からないものです。
真に良い言葉とは、他人を傷付けることがありません。
真に優れた計算とは、ソロバンを弾くような計算ではなくて、心で判断します。
真に優れた家の戸締まりとは、カギを掛けなくても泥棒に入る気自体を起こさせない工夫のことです。
本当の約束とは、契約書などの縛る道具が無くても、決して破ることが出来ないものです。
道具よりも、心同士の約束を取ることを心掛けます。
このようなことを良く熟知している聖人は、
常に人を救うことが出来ます。だから聖人は、他人を見捨てることがありません。
聖人は、どんな物でも上手く使いこなします。だから聖人は、物であっても見捨てません。
これが明知(めいち:真理)を知っているということです。
だからこそ、善人は悪人にとってのお手本となり、悪人は善人にとっての反省材料と成り得ます。コノ世の一切にムダが無いのです。
つまり、どんな物事であっても自分の師として尊び、それを愛することが大切なのです。
このような心の姿勢が無ければ、どんな知恵者であっても必ず迷うことに成るでしょう。
以上のことを、要妙(ようみょう:不可思議な真理)と私は言います。
原文
「善行無轍迹。善言無瑕謫。善數不籌策。
善閉無關鍵而不可開。善結無繩約而不可解。
是以聖人。常善救人。故無棄人。常善救物。故無棄物。
是謂襲明。故善人者。不善人之師。不善人者。善人之資。
不貴其師。不愛其資。雖智大迷。
是謂要妙。」
(感想)
老子は、物事や人物を「活かす」こと、「再生させる」ことが出来る達人だったのでしょう。
おそらく老子の部下に、どんな使えない人間が入って来たとしましても、1年も経てば有能な部下に変身したことでしょう。
しかし部下には、自分自身が成長したことと、老子が陰で導いて誘導してくれていたことが分からないのです。
真に優れた人物が居ますと、その周りの人間も自然と成長するのです。
だから逆に言えば、自分の周りにはダメな人間しか居ないという人は、まず自分自身がどうなのか?を反省するべきかも知れません。
霊的には、「類は同類を寄せる法則」から見ましても、これは十分に言える真理です。
これは家庭内の問題にも言えます。
親が子供を叱って、中には子供に絶望する親も居ますが、ほんとうに子供だけの責任と問題なのでしょうか。
大概は、その親にも問題が有ることが、第三者からはよく見えるものです。
このように考えますと、平凡な家庭であることは何と有り難くて、奇跡のようなことなのでしょうか。
もし自分の家庭が平凡では無くて大変だと思うならば、家族を非難する前に自分自身を静観して見ましょう。
この章の老子の理論から言いますと、家庭に一人でもよいから上記の真理を理解して実践する人間が居ますと、家庭全体が改善して行く可能性があります。
それは子供の一人かも知れないし、祖父母なのかも知れません。
もし、その一人が居なく成りますと、その家庭はガラリと変わってしまうことでしょう。
そうなれば、自分がその大切な一人に成れば良いのです。
そして、一番重要なことは、
「どんな物事であっても自分の師として尊び、それを愛することが大切なのです」と言うことです。
ここで老子は「愛」という文字を選んでいます。
やはりコノ世は、仕事でも勉強でも他人にも、それを尊び愛して「育てる気持ち」を自分が持つことが大切なのです。
何事にも愛情を持ちましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
*他人を上手に活かす人こそ最高の人物 2018-01-15 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180115
参考記事:老子の言葉 第二十七章「どんなことも見捨てない」
「老子の人生論 」第二十七章
最高の人生の生き方、道の歩き方、をした人は、自分の足跡を残しません。
優れた話し方をする人は、他人を傷付けることがありません。
本当に優れた計算力を持つ人とは、計算機を使わずに暗算・思考が出来る人のことです。
優れたフタの止め方や、物の束ね方は、道具を使わないのに、誰も解くことが出来ない。
このようなことが出来る聖人の周囲には、落第生も、役立たずな人間も一切居ません。
聖人の周囲のどんなダメな人も、上手に適材適所に活かされるからです。
これを「真理を知る知恵」と言います。
だからこそ、善人は悪人の先生であり、悪人は善人を手助けが出来ます。
このような悪人をも活かす先生を、どんな優れた学者でも先生を尊敬して手助けをしなければ生けません。
これが出来ない偉い学者は、ただのアホである。
これこそを「深遠な法則」と言います。
(感想)
非常に考えさせられることを、ある人には耳が痛いことを、老子が指摘しています。
・ 俺の部下は役立たずばかりで嫌に成る ⇒ それは、お前こそがダメな上司の証拠である。
・ 私の子供は勉強もせずに、親の言うことも聞きません。
⇒ まず、親のあなた自身の生活を見直すべきです。
・ 悪人をも上手に社会で生活が出来るように導く先生 > 偉い権威ある学者たち。
老子らしい意外な視点と、反骨精神が見られる章です。
この章で一番に気になる文章は、最初に有ります、
* 「最高の人生の生き方、道の歩き方、をした人は、自分の足跡を残しません。」
コノ世では多くの人が、自分の実績を残したい、有名に成りたい、と思うかも知れません。
中には自画像や銅像を残す人も居ます。
でも老子は、最高の生き方とは、
・ 自分の足跡を残さない人生。
・ ひっそりと、コノ世を去ることだ。
と指摘しています。
これはアノ世に行きますと、コノ世に自分が残したモノが、どうしても気になる「引力」となるハンディと成ることが有ります。
財産、家族、借金、異性、ペット、会社、・・・・。
他人を押しのけてでも集めたモノが、それを無理に入手する過程で自分の足跡を残したことが、アノ世では自分を縛る重石に変わるのです。
これは、霊界の反射の法則でそう変わります。
ただし、自分の努力で、自然に入手したモノは、問題はないです。
また、ソレに対して自分が執着をしなければ、引力には成りません。
老子は霊的なことを一切言いませんでしたが、その生き方とは、アノ世の法則に合ったものが多く散見されます。
本当の真理とは、どの世界にも通じることが分かります。
近年の小学校では、「学級崩壊」という言葉を聞くことがあります。
授業中も生徒が勝手に走り回る、お喋りを止めない、好きなことをし続ける、などという授業に成らない様子を言います。
これを直すのは、大変なことだと思います。先ず、その子供たちの親とから、先生は話し合う必要が有りそうです。
もし、このようなクラスを、運動か、何か1つの目標、を掲げて1つにまとめて勉強態度まで改善を成し遂げる先生がいれば、どんな偉い大学教授よりも「人間として」優れた人だと心から思います。
もし周囲の人々に対して、自分が不満を持つならば、
・ 先ず、自分自身を見直すことから。
このように思い起こさせる項でした。皆さんの生活の参考に成れば幸いです。
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