「而貴食母」:自分は大いなる母性(真理、神)に「食」わして(生かされて)もらっていることに感謝(貴)
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私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経
第二十章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi02.html
・原文 「書き下し文
絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。「 学を絶てば憂いなし。唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。
善之與惡、相去何若。「 善と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。
人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。「 人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。
衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。「衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春に台(うてな)に登るが如し。
我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。「我れは独り怕(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。
儽儽兮若無所歸。「儽儽(るいるい)として帰(き)する所なきが如し。
衆人皆有餘、而我獨若遺。「衆人はみな余り有るに、而(しか)るに我れは独り遺(うしな)えるが如し。
我愚人之心也哉、沌沌兮。「我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。
俗人昭昭、我獨昏昏。「俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我れは独り昏昏(こんこん)たり。
俗人察察、我獨悶悶。「俗人は察察(さつさつ)たり、我れは独り悶悶(もんもん)たり。
澹兮其若海、飂兮若無止。「澹(たん)としてそれ海の如く、飂(りゅう)として止(とど)まるなきが如し。
衆人皆有以、而我獨頑似鄙。「衆人はみな以(もち)うる有り、而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり。
我獨異於人、而貴食母。「我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。
現代語訳
学ぶことを止めたなら、迷うこともないだろう。
「はい」と答えるのと「うん」と答えるのにどれほどの違いがあるだろうか?
人の言う善と悪にはどれほどの違いがあるのだろうか?
人の嫌がる様な事はしてはならないが、どこまでも厳しく律していたら際限が無いではないか。
世の人々はみんな笑顔でご馳走を食べている様に見える。
まるで春の日に高台から世界を見ているかの様だ。
しかし私といえば一人きりで動くそぶりも見せず、笑う事を知らない赤ん坊の様だ。
ぐったりと疲れて果てて身の置き所も無いかの様だ。
世の人々はみな有り余る何かを持ち合わせているのに、私と言えば何もかも失ってしまったかの様だ。
私はそういう愚か者の心を持っていて、ぼんやりと何が確かなのか解らずにいるのだ。
世の人々はきらきらと眩いばかりだが、私だけは一人暗がりに居る様だ。
世の人々は賢く聡明であるのに、私だけは一人悶々としている。
ゆらゆらと大海原に漂い、風の様にどこへ行くかも解らない。
世の人々はそれぞれ世の為に役立っているのに、私だけが一人じっとして何の役にも立たずにいる。
私だけが人とは違っていて、大いなる「母」に養われる事を大切に守っているのだ。
英訳文
If you quit learning, you will no longer lose your way. How different between "yes" and "yeah"? How different between "good" and "bad"? Of course we should not do wrong that people avoid. But there is no limitation if you seek perfection. People look like having a feast with smile and having a view from a hill in spring. But I alone keep still and look like a baby without a smile. I am exhausted and have no place to be. People look like having too much. But I alone look like having nothing. I am fool and dull. People are cheerful. I alone am depressed. People are brilliant. I alone am gloomy. I am drifting the ocean and I do not know where I am going as if I were a wind. People are useful for the public. But I alone am stubborn and useless. I alone am different from others and value that I am brought up by "the great mother".
*生かされていることに感謝できれば、すべてはOK 2012-10-08
伊勢ー白山道 記事全文 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121008
老子の言葉 第二十章
(独自の超訳)
試験のための勉強が無くなれば、とても気楽だろうな。
「はい」と「うん」の返答の言葉の違いを知っていることが、それがほんとうに偉いことなのだろうか?
人が言う「善」と「悪」とは、ほんとうに違うものなのだろうか?
多くの人間が怖がることは、私も同様にして怖いが、何でも怖がっていては真理(道)から離れるばかりで進歩が無いです。
周りの人々は皆さん嬉々としており、まるで春の高所に登山して宴席を楽しんでいるかのように私には見えます。
しかし私だけは試験勉強のために引きこもり、そのような楽しむ機会は一切なく、まるで笑うことを忘れた動かない赤ん坊のような生活をしております。
まさに疲れ果てた世捨て人のような生活をしています。
世の人々は段々と裕福に成っているが、私だけが何時までも独りであり貧乏に成って行くようだ。
私の心は混沌として、まさに愚か者のようです。
世の人々はキラキラと輝いて見えますが、私独りだけは悶々と暗いです。
世の人々はテキパキと動いていますが、私独りだけはノロノロとしています。
私は、あてどもなく大海に漂い、海の凪(なぎ)のように進歩がありません。
世の人々は全員が役に立つ仕事を持つが、私だけ独りで牢屋(ろうや)に居る役立たずのようです。
しかし、私独りだけが他者とは異なり、大いなる大自然の母性に生かされていることを知っており、これに感謝をしています。
原文
「絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。
衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。儽儽兮若無所歸。
衆人皆有餘、而我獨若遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。
俗人昭昭、我獨昏昏。俗人察察、我獨悶悶。澹兮其若海、飂兮若無止。
衆人皆有以、而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。」
(感想)
まさに受験生の心境と生活を、老子が言い表しています。
老子の場合は、国家の図書館を管理するような国家公務員であったために、大人になっても常に試験試験試験の生活であったようです。
少しでも気を抜けば、激しい競争のためにクビにされたのでしょう。何千倍もの倍率の国家公務員試験に合格して採用されましても、採用後も常に昇任試験があったようです。
いつまで経っても結婚も出来ず、常に部屋にこもって勉強する様子がよく描写されています。
この文章は、老子の息抜きのような、またはワザと俗人の心境も老子が理解出来ることを表現しています。
しかし実際の老子の心境は、このような民衆の境涯を超越した真理を体得されています。
前半から長々と俗人全員に有りがちな心境を、色々な形で説明されています。誰もが思い当たる気持ちが有るのではないでしょうか。
老子がユーモアも持ち合わせた人物であることが、よく分かります。
そして、最後の1行が、老子が真の聖人であることを示しています。
生きて肉体を持つ間は、老子も含めて人間全員の違いは無いのです。
しかし、自分は大いなる母性(真理、神)に「食」わして(生かされて)もらっていることに感謝(貴)をすることが大違いだと言っています。
逆に言えば、コノ世で成功しようが金持ちになろうが生活を楽しもうが、大自然(道)の母性を尊ばない限りはダメだとも言っています。
更に言えば、その人生に何が有ろうが、大自然の母性に感謝出来る人間は、すべてがOKなんだとも老子が保証しています。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
*中途半端だから苦しい。極めれば天国が分かるさ 2017-10-31 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20171031
参考記事:老子の言葉 第二十章「生かされていることに感謝できれば、すべてはOK」
「 老子の人生論」第二十章
「絶学無憂」・・・・苦しい勉強なんか止めれば、悩むことも無くなる。
誰もが、こう思ってしまうものだ。
確かに、「YES」と「NO」の答え合わせを知っていることが、大切だとは思えないね。
そして、勉強ばかりしていると、周囲の人々が楽しそうに遊び成長する姿を見ながら、自分はと言えば部屋に閉じこもって動かない大きな赤ん坊のようなものだ。しかも笑顔が無い赤ん坊だよ。
時代遅れの服を来て、勉強ばかりしている為に収入も無い貧乏のままだ。
冷静に見れば、社会に役立たずの愚か者のお荷物人間のようだと思う。
でもな、「絶学無憂」・・・・もう学ぶことが無いほど勉強を極めれば、悩むことが本当に消えるんだよ。
中途半端な勉強が苦しいだけなのだ。
コノ世で悩みが消えるほどに勉学を極めた先に、何を感じると思いますか?
コノ世のすべては、与える一方の大いなる母性の女神に、誰もが生かされていることが本当に心から分かります。
これが分かるのか、否か。
これが人を分ける真の分岐点なのです。
(感想)
改めて、老子の言葉 第二十章「生かされていることに感謝できれば、すべてはOK」を読みますと、
・ 老子特有の「読む人を試す遊び心」が有ること。
これを感じます。
他の日本語の文献をいくつか見ましても、
「絶学無憂」、これの解釈を、「苦しい勉強なんか止めれば、悩むことも無くなる」
このような解釈の前提で展開するものばかりです。
しかし、思い出して欲しいことは、
老子の言葉 第四十一章 『「大器晩成」は誤字による誤読だった』
この中にあります、
・大器晩成(たいきばんせい)= 大人物は普通より遅れて大成する。
は間違いであり、
・「大器免成」(たいきめんせい)= 本当の大人物ならば、いつまでも完成しないほど大きい。
これと同じトリックを「絶学無憂」に感じます。
「勉強を止めれば、楽に成れる」では無くて、
「もう、学ぶことが無くなるほど勉強すれば、すべての悩みは消える」
つまり、森羅万象、神様に気付けると言うことなのです。
私は、このように感得します。
霊的に視ましても、どんな道を極めましても、
それこそ、主婦道・勉強道・研究道・武道・掃除道・介護道・経営道・サラリーマン道・職人道、・・・・
本当にソレを極めれば、誰もが神様の実在を感じ始めます。
「すべては、生かされている上でのことだった」
これが分かるのです。
しかも、その神様というのは、老子はこの項で、
* 「而貴食母」、無償で食わせてくれる母親のような神様
だとしています。
大いなる母性の神様です。
それがどんな道でも、極める途中は、誰もが苦しいものです。
周囲で楽しそうにしている他人ばかりが目に入るものです。
そして、「いったい、自分は何をしているのか? まるでノロマなバカみたい」
だと自分で思ってしまうのです。
しかし、本当にソノ道を極めれば、
・ 今までの、全てを、他人も、許す気持ち。
・ 感謝の気持ち。
・ 大いなる母性の神様が実在して「いた」こと。
これが理屈を超えて、分かります。
老子の逆説を言うトリックの深さを、改めて感じる項でした。
生かして頂いて 有り難う御座います
老子 第十五章 第十六章 第十七章 第十八章 道徳経
・老子の人生論 伊勢ー白山道 記事一覧
*伊勢白山道 老子の言葉 記事一覧
*「柔訳 老子の言葉」が完成しました 2013-04-03 伊勢白山道
*伊勢白ペディア「老子(言葉)について」収録内容 記事一覧
*「老子の言葉 写真集 上・下巻」 2013-11-22 伊勢白山道
*老子「道徳経と伊勢白山道」道経「 1章~37章」記事一覧
*老子「道徳経と伊勢白山道」徳経「81章~38章」記事一覧
始め老子プロフィール ≪「第一章」道経 ≫「第八十一章」徳経
*老子の霊訓 記事一覧
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・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経
第二十章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi02.html
・原文 「書き下し文
絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。「 学を絶てば憂いなし。唯(い)と阿(あ)と相い去ること幾何(いくばく)ぞ。
善之與惡、相去何若。「 善と悪と相去ること何若(いかん)ぞ。
人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。「 人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからざるも、荒(こう)としてそれ未だ央(つ)きざるかな。
衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。「衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春に台(うてな)に登るが如し。
我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。「我れは独り怕(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如し。
儽儽兮若無所歸。「儽儽(るいるい)として帰(き)する所なきが如し。
衆人皆有餘、而我獨若遺。「衆人はみな余り有るに、而(しか)るに我れは独り遺(うしな)えるが如し。
我愚人之心也哉、沌沌兮。「我れは愚人の心なるかな、沌沌(とんとん)たり。
俗人昭昭、我獨昏昏。「俗人は昭昭(しょうしょう)たり、我れは独り昏昏(こんこん)たり。
俗人察察、我獨悶悶。「俗人は察察(さつさつ)たり、我れは独り悶悶(もんもん)たり。
澹兮其若海、飂兮若無止。「澹(たん)としてそれ海の如く、飂(りゅう)として止(とど)まるなきが如し。
衆人皆有以、而我獨頑似鄙。「衆人はみな以(もち)うる有り、而るに我れは独り頑(かたくな)にして鄙(ひ)なり。
我獨異於人、而貴食母。「我れは独り人に異なり、而して母に食(やしな)わるるを貴(たっと)ぶ。
現代語訳
学ぶことを止めたなら、迷うこともないだろう。
「はい」と答えるのと「うん」と答えるのにどれほどの違いがあるだろうか?
人の言う善と悪にはどれほどの違いがあるのだろうか?
人の嫌がる様な事はしてはならないが、どこまでも厳しく律していたら際限が無いではないか。
世の人々はみんな笑顔でご馳走を食べている様に見える。
まるで春の日に高台から世界を見ているかの様だ。
しかし私といえば一人きりで動くそぶりも見せず、笑う事を知らない赤ん坊の様だ。
ぐったりと疲れて果てて身の置き所も無いかの様だ。
世の人々はみな有り余る何かを持ち合わせているのに、私と言えば何もかも失ってしまったかの様だ。
私はそういう愚か者の心を持っていて、ぼんやりと何が確かなのか解らずにいるのだ。
世の人々はきらきらと眩いばかりだが、私だけは一人暗がりに居る様だ。
世の人々は賢く聡明であるのに、私だけは一人悶々としている。
ゆらゆらと大海原に漂い、風の様にどこへ行くかも解らない。
世の人々はそれぞれ世の為に役立っているのに、私だけが一人じっとして何の役にも立たずにいる。
私だけが人とは違っていて、大いなる「母」に養われる事を大切に守っているのだ。
英訳文
If you quit learning, you will no longer lose your way. How different between "yes" and "yeah"? How different between "good" and "bad"? Of course we should not do wrong that people avoid. But there is no limitation if you seek perfection. People look like having a feast with smile and having a view from a hill in spring. But I alone keep still and look like a baby without a smile. I am exhausted and have no place to be. People look like having too much. But I alone look like having nothing. I am fool and dull. People are cheerful. I alone am depressed. People are brilliant. I alone am gloomy. I am drifting the ocean and I do not know where I am going as if I were a wind. People are useful for the public. But I alone am stubborn and useless. I alone am different from others and value that I am brought up by "the great mother".
*生かされていることに感謝できれば、すべてはOK 2012-10-08
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老子の言葉 第二十章
(独自の超訳)
試験のための勉強が無くなれば、とても気楽だろうな。
「はい」と「うん」の返答の言葉の違いを知っていることが、それがほんとうに偉いことなのだろうか?
人が言う「善」と「悪」とは、ほんとうに違うものなのだろうか?
多くの人間が怖がることは、私も同様にして怖いが、何でも怖がっていては真理(道)から離れるばかりで進歩が無いです。
周りの人々は皆さん嬉々としており、まるで春の高所に登山して宴席を楽しんでいるかのように私には見えます。
しかし私だけは試験勉強のために引きこもり、そのような楽しむ機会は一切なく、まるで笑うことを忘れた動かない赤ん坊のような生活をしております。
まさに疲れ果てた世捨て人のような生活をしています。
世の人々は段々と裕福に成っているが、私だけが何時までも独りであり貧乏に成って行くようだ。
私の心は混沌として、まさに愚か者のようです。
世の人々はキラキラと輝いて見えますが、私独りだけは悶々と暗いです。
世の人々はテキパキと動いていますが、私独りだけはノロノロとしています。
私は、あてどもなく大海に漂い、海の凪(なぎ)のように進歩がありません。
世の人々は全員が役に立つ仕事を持つが、私だけ独りで牢屋(ろうや)に居る役立たずのようです。
しかし、私独りだけが他者とは異なり、大いなる大自然の母性に生かされていることを知っており、これに感謝をしています。
原文
「絶學無憂。唯之與阿、相去幾何。善之與惡、相去何若。人之所畏、不可不畏。荒兮其未央哉。
衆人煕煕、如享太牢、如春登臺。我獨怕兮其未兆、如孾兒之未孩。儽儽兮若無所歸。
衆人皆有餘、而我獨若遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。
俗人昭昭、我獨昏昏。俗人察察、我獨悶悶。澹兮其若海、飂兮若無止。
衆人皆有以、而我獨頑似鄙。我獨異於人、而貴食母。」
(感想)
まさに受験生の心境と生活を、老子が言い表しています。
老子の場合は、国家の図書館を管理するような国家公務員であったために、大人になっても常に試験試験試験の生活であったようです。
少しでも気を抜けば、激しい競争のためにクビにされたのでしょう。何千倍もの倍率の国家公務員試験に合格して採用されましても、採用後も常に昇任試験があったようです。
いつまで経っても結婚も出来ず、常に部屋にこもって勉強する様子がよく描写されています。
この文章は、老子の息抜きのような、またはワザと俗人の心境も老子が理解出来ることを表現しています。
しかし実際の老子の心境は、このような民衆の境涯を超越した真理を体得されています。
前半から長々と俗人全員に有りがちな心境を、色々な形で説明されています。誰もが思い当たる気持ちが有るのではないでしょうか。
老子がユーモアも持ち合わせた人物であることが、よく分かります。
そして、最後の1行が、老子が真の聖人であることを示しています。
生きて肉体を持つ間は、老子も含めて人間全員の違いは無いのです。
しかし、自分は大いなる母性(真理、神)に「食」わして(生かされて)もらっていることに感謝(貴)をすることが大違いだと言っています。
逆に言えば、コノ世で成功しようが金持ちになろうが生活を楽しもうが、大自然(道)の母性を尊ばない限りはダメだとも言っています。
更に言えば、その人生に何が有ろうが、大自然の母性に感謝出来る人間は、すべてがOKなんだとも老子が保証しています。
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*中途半端だから苦しい。極めれば天国が分かるさ 2017-10-31 老子の人生論
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参考記事:老子の言葉 第二十章「生かされていることに感謝できれば、すべてはOK」
「 老子の人生論」第二十章
「絶学無憂」・・・・苦しい勉強なんか止めれば、悩むことも無くなる。
誰もが、こう思ってしまうものだ。
確かに、「YES」と「NO」の答え合わせを知っていることが、大切だとは思えないね。
そして、勉強ばかりしていると、周囲の人々が楽しそうに遊び成長する姿を見ながら、自分はと言えば部屋に閉じこもって動かない大きな赤ん坊のようなものだ。しかも笑顔が無い赤ん坊だよ。
時代遅れの服を来て、勉強ばかりしている為に収入も無い貧乏のままだ。
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中途半端な勉強が苦しいだけなのだ。
コノ世で悩みが消えるほどに勉学を極めた先に、何を感じると思いますか?
コノ世のすべては、与える一方の大いなる母性の女神に、誰もが生かされていることが本当に心から分かります。
これが分かるのか、否か。
これが人を分ける真の分岐点なのです。
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・ 老子特有の「読む人を試す遊び心」が有ること。
これを感じます。
他の日本語の文献をいくつか見ましても、
「絶学無憂」、これの解釈を、「苦しい勉強なんか止めれば、悩むことも無くなる」
このような解釈の前提で展開するものばかりです。
しかし、思い出して欲しいことは、
老子の言葉 第四十一章 『「大器晩成」は誤字による誤読だった』
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・大器晩成(たいきばんせい)= 大人物は普通より遅れて大成する。
は間違いであり、
・「大器免成」(たいきめんせい)= 本当の大人物ならば、いつまでも完成しないほど大きい。
これと同じトリックを「絶学無憂」に感じます。
「勉強を止めれば、楽に成れる」では無くて、
「もう、学ぶことが無くなるほど勉強すれば、すべての悩みは消える」
つまり、森羅万象、神様に気付けると言うことなのです。
私は、このように感得します。
霊的に視ましても、どんな道を極めましても、
それこそ、主婦道・勉強道・研究道・武道・掃除道・介護道・経営道・サラリーマン道・職人道、・・・・
本当にソレを極めれば、誰もが神様の実在を感じ始めます。
「すべては、生かされている上でのことだった」
これが分かるのです。
しかも、その神様というのは、老子はこの項で、
* 「而貴食母」、無償で食わせてくれる母親のような神様
だとしています。
大いなる母性の神様です。
それがどんな道でも、極める途中は、誰もが苦しいものです。
周囲で楽しそうにしている他人ばかりが目に入るものです。
そして、「いったい、自分は何をしているのか? まるでノロマなバカみたい」
だと自分で思ってしまうのです。
しかし、本当にソノ道を極めれば、
・ 今までの、全てを、他人も、許す気持ち。
・ 感謝の気持ち。
・ 大いなる母性の神様が実在して「いた」こと。
これが理屈を超えて、分かります。
老子の逆説を言うトリックの深さを、改めて感じる項でした。
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