「小説伊勢物語 業平」 高樹のぶ子 日本経済新聞出版
カラー挿絵が16ページもあり素晴らしい
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業平(平安時代初期から前期西暦828ー880年)は意中の人高子姫(後に清和天皇女御でのち皇太后となった二条后)を掠って領地の芦屋に向かう途中芥川あたりで、藤原基経らに略取されてしまう失態(241ページ以降)を演じる。そこで、基経らの怒りを考慮しての東下りで、隅田川の都鳥を見て詠んだのが
あの有名な和歌 名にしおはばいざ言とはむみやこ鳥わが思う人はありやなしやと
私は本書に接するまでこの歌きり知らなかった。
この本でも彼を好色者(すきもの)といわれているように、多くの女人と恋に陥って、まめに和歌を交わして成就している。
伊勢神宮の斎王となられた恬子(やすこ)内親王の付き人伊勢(杉子様)だけには振られた上(但し一度は振ったことあり)、自ら望んで業平の下女(恬子さまは、妻妾にでもと希望)となって業平に仕えたのが面白い(いとをかしか?)
当時の妻問婚の形態や和歌を交わして心を伝え合う、その和歌も付け人などを介してと手間暇もかかる上、やっと会える段になっても初めは暗い部屋での御簾越しとつれない(優雅かも)。
本書では、和歌の後に丁寧な解説がされているのがとても理解を助ける。
450ページもあるが、楽しく読むことが出来た。
Wikipediaによると業平は、父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたるという(上の主な登場人物参照)
享年56。最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。
東京新聞2020年7月2日付け夕刊に掲載の著者インタビュー記事によると、平安の「雅」を創出するために体言止めを多用した「ですます」調は、言葉の豊かな響きとリズムを醸し出している、という。
「アフガニスタンの診療所から」 中村 哲 ちくま文庫
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著者の中村哲氏は、2019年12月4日アフガニスタンのジャラーラーバードで車で移動中銃撃を受けて死亡(享年73歳)した。数々の賞を受けているが、2019年(令和元年)アフガニスタン名誉市民権、旭日小綬章(没後追贈)、内閣総理大臣感謝状を贈られた。
本書は氏が1984年5月、パキスタン北西辺境州の「らい根絶計画」に参画するためにペシャワールに着任(24ページ)から始まり、86年にはアフガニスタン難民問題、87年には国境山岳地帯難民キャンプ延長、88年はソ連軍撤退に伴う農村医療計画の立案。92年には様々な困難を乗り越えて、ダラエ・ヌール渓谷の中央部カラシャイ村に「国内診療所第一号」を設置、活動が始まった(162ページ)。
この文庫本の基になった単行本は、1992年に筑摩書房から発刊されている。従って本書での氏の活動はここまでだが、多くの人が知るようにその後水源確保事業を実践し現地の人々に多大な貢献をした。その活動中の銃撃に遭ったは誠に遺憾、ご冥福を祈念したい、真に尊敬に値する人だと思う。
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カラー挿絵が16ページもあり素晴らしい
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業平(平安時代初期から前期西暦828ー880年)は意中の人高子姫(後に清和天皇女御でのち皇太后となった二条后)を掠って領地の芦屋に向かう途中芥川あたりで、藤原基経らに略取されてしまう失態(241ページ以降)を演じる。そこで、基経らの怒りを考慮しての東下りで、隅田川の都鳥を見て詠んだのが
あの有名な和歌 名にしおはばいざ言とはむみやこ鳥わが思う人はありやなしやと
私は本書に接するまでこの歌きり知らなかった。
この本でも彼を好色者(すきもの)といわれているように、多くの女人と恋に陥って、まめに和歌を交わして成就している。
伊勢神宮の斎王となられた恬子(やすこ)内親王の付き人伊勢(杉子様)だけには振られた上(但し一度は振ったことあり)、自ら望んで業平の下女(恬子さまは、妻妾にでもと希望)となって業平に仕えたのが面白い(いとをかしか?)
当時の妻問婚の形態や和歌を交わして心を伝え合う、その和歌も付け人などを介してと手間暇もかかる上、やっと会える段になっても初めは暗い部屋での御簾越しとつれない(優雅かも)。
本書では、和歌の後に丁寧な解説がされているのがとても理解を助ける。
450ページもあるが、楽しく読むことが出来た。
Wikipediaによると業平は、父は平城天皇の第一皇子・阿保親王、母は桓武天皇の皇女・伊都内親王で、父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたるという(上の主な登場人物参照)
享年56。最終官位は蔵人頭従四位上行右近衛権中将兼美濃権守。
東京新聞2020年7月2日付け夕刊に掲載の著者インタビュー記事によると、平安の「雅」を創出するために体言止めを多用した「ですます」調は、言葉の豊かな響きとリズムを醸し出している、という。
「アフガニスタンの診療所から」 中村 哲 ちくま文庫
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著者の中村哲氏は、2019年12月4日アフガニスタンのジャラーラーバードで車で移動中銃撃を受けて死亡(享年73歳)した。数々の賞を受けているが、2019年(令和元年)アフガニスタン名誉市民権、旭日小綬章(没後追贈)、内閣総理大臣感謝状を贈られた。
本書は氏が1984年5月、パキスタン北西辺境州の「らい根絶計画」に参画するためにペシャワールに着任(24ページ)から始まり、86年にはアフガニスタン難民問題、87年には国境山岳地帯難民キャンプ延長、88年はソ連軍撤退に伴う農村医療計画の立案。92年には様々な困難を乗り越えて、ダラエ・ヌール渓谷の中央部カラシャイ村に「国内診療所第一号」を設置、活動が始まった(162ページ)。
この文庫本の基になった単行本は、1992年に筑摩書房から発刊されている。従って本書での氏の活動はここまでだが、多くの人が知るようにその後水源確保事業を実践し現地の人々に多大な貢献をした。その活動中の銃撃に遭ったは誠に遺憾、ご冥福を祈念したい、真に尊敬に値する人だと思う。
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