goo

再飲酒へのイメージ

☆酒のいらない生活を淡々と過ごしているけど、年末年始に向けてちゃんと振り返っておこうと思う。

 この間痛ましい事件が富士山で起こった。

 ニコ動画の配信中、主が滑落した?という警察への通報があり、それが本当だったと。

 詳しい描写は省くけど、数百メートル岩にぶつかりながら一気に滑り落ち、発見当時は性別の区別もできないほど(察し)だったと。

 冬山や富士山に詳しい方が、あちこちでどれだけ怖いか恐ろしいか危険かなどなどを書き込んでくれていた。

 滑るというより、まさしく「落ちる」らしい。

 落ちてる途中にどこかにつかまって止まるとか、そんなんとてもできないらしい。第一つかまる木々が無いみたいで。

 最後の動画を一度見たけど、「あ?落ちる」で一気みたいだった。何が起こったかわからないまま地獄に一直線だったろう。

 私のお酒のイメージはこれだな、と思った。

 再飲酒とはこういう感じなんだろうな。

 クリスマスが近づくと、ふと目にするチラシやポスターにシャンパンだのワインだの美味しそうなオードブルだのチキンだの、私の大好物が写ってる。

 そして「一本くらいいいか。クリスマスだし」こんなことを考える時がある。

 飲んだらどうなるか試してみようか?とも思う。スリップして再飲酒の日々を再開するなら、それも記録できるし、とか。

 ぶっちゃけ夕べそう思った。

 こういう自分に都合のいい、自分を納得させるに一番有効な思考が出てくるのは、かなり危険。悪魔本腰入れてきてる。

 悪魔以上に自分のダメさ加減を心得ているため、ここで飲んだら絶対にまた飲み始めると思う。

 上記の例の通り、まさしく『あ、やばい』と思ったら『滑落』し、どこにもつかまるとかできず落ち続け、肉片として転がると。

 というか、腐乱死体で発見される?

 今飲まない生活で、「もう大丈夫だろう」と内心思っている安全は、富士山のツルッツルに滑る山肌に、ドアストッパー付けてるくらいのギリギリのチカラで落ちないでいられてるだけ。

 しかも軽装、靴は運動靴並みのもの。冬山初心者。

 振り返って下を覗き込むと、底の見えない冬山の地獄。釜の底。

 健康を害して貧困生活、暖房もない古い部屋で凍死する未来。

 50年間不規則な生活を酒浸りコンビニ飯浸りで過ごしてきて、ギリギリ健康でいられるのは天の配剤だと思わねば。

 これを裏切ったら、滑落するぞと。

 しかし、飲むのを完全禁止!断酒!を唱えると、脳が窮屈さから逃げたがって、飲酒欲求につながる恐れがある。

 だから、飲みたかったら飲んでもいいよ、というのは基本に置いておく。

 コスパを考えれば、どうやったって飲酒とは繋がらない。

 お金に変えられない健康という大事な財産、奈落に落とすわけにはいかない。

 

コメント ( 0 )
« 前ページ