MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2753 「大国」と「それ以外」

2025年02月24日 | 国際・政治

 ロシアがウクライナを侵攻してちょうど3年。その間、ウクライナは兵士4万6千人が戦死し行方不明者も数万人と明らかにしており、ロシアにもそれを上回る死傷者が出ているとされています。一方、先月就任した米国のトランプ新大統領は、戦争終結に向けたロシアとの直接交渉に乗り出すとして、ロシアのプーチン大統領との間で交渉開始の合意を取り付けたと報じられています。

 さて、ここで問題なのは、米新政権のロシアに融和的な姿勢と言えるでしょう。トランプ大統領は米メディアのインタビューに対し、ウクライナは「いつかロシア領になるかもしれない」などと語り、ヘグゼス国防長官も(ウクライナ領内の)ロシア占領地域のすべてを取り戻すのはもはや「幻想的」…という態度を崩していません。

 近くサウジアラビアで両首脳の直接会談が予定されているということですが、一方、当事者であるにもかかわらず、大国の間で置いてきぼりにされた形となったウクライナのゼレンスキー大統領は、こうした状況に「米国はプーチンの孤立解消を支援している」と強く反発しています。

 そんな折、中国の王毅外相兼共産党政治局員は2月20日、訪問中の南アフリカでロシアのラブロフ外相と会談し、ウクライナ情勢について意見を交わした由。米ロ中の大国間で次々と交渉が進められる様子に、こちらも枠の外に置かれた(米国とともにNATOを構成する)欧州各国の首脳たちも批判の声を挙げています。

 民間人の犠牲が増える中、戦闘の長期化により泥沼化している状況を早期に終わらせる必要があるのは確かです。しかし(常識的に考えれば)、だからといって侵略を受けた当事国を外し、大国間の都合で頭越しに拙速な「合意」をまとめるようなことがあっていいはずもありません。

 大国主義を纏うトランプ新大統領が次々と繰り出す独善的な横暴さに、「大国ではない」国々はどのように対応していけばよいのか。経済情報誌「週刊東洋経済」の2月22日・3月1日合併号のコラム「匿名有識者の少数意見」に、『「グレートな米国」に欧州が警戒する理由』と題する一文が寄せられているので、参考までに指摘の一部を小欄に残しておきたいと思います。

 米国は第一次世界大戦後、荒廃した欧州に代わり世界秩序を担うようになり、第2次世界大戦によって、その力は圧倒的なものとなった。逆に言えば米国の「黄金時代」は、世界が戦乱や混乱の真っただ中だった時だと筆者はコラムに綴っています。技術、エネルギー、生産人口、それを支える農業…そうした要素の全てを具備する米国は、外の世界が混乱すればするほど相対的に栄えたというのが、この論表における筆者の見解です。

 世界には食料とエネルギーをとりあえず自給できる国がある。それらを便宜的に「大国」と呼ぶとすれば、米国、中国、ロシアはまさに大国だ。ブラジルやインド、インドネシアもそうだと筆者は指摘しています。世界の対立軸は「民主主義」対「専制体制」だけではない。そこにはもうひとつ、「大国」対「ミドルパワー以下の国」という隠れた対立軸があり、米、中、ロシアは同じ陣営にいるということです。

 中国やロシアも、米国ほどは経済的孤立への耐性はない。しかし、食料とエネルギーの自給能力があるので欧州や日本よりはずっと強いと筆者は言います。米国が中国、ロシアと気脈を通じているとまでは言わないが、現実として彼らの利害や世界観には一致する部分があるということです。

 政治体制やイデオロギーに目を奪われすぎると、そのことに気が付かない。無論、今の米国人が世界の混乱を望んでいるわけではない(だろう)が、無意識にせよ「まあ、そうなったらそれでもいいか…といった」感覚がないとは断言できないと、筆者は話しています。

 仮に世界の分断や紛争が深刻化し、国際貿易が大幅に縮小すれば、米国もダメージを受けるだろう。しかし、米国の相対的な国力は確実に上昇する。これはまさに20世紀の歴史の再来であり、トランプ米大統領の「Make America Great Again」の実現だということです。

 (考えたくはないことだが)米国民の間にグレートな国への共有が潜在意識としてあるとすれば、ミドルパワーの国々には極めて危険なものとなる。欧州がトランプの米国に対し示す不快感・警戒心の本質は、実際、そこにあるのではないかというのが、筆者が最後に指摘するところ。

 であれば、日本と欧州は、自由貿易とその前提となる平和を維持するため、国際社会への働きかけを懸命に行わなければならない。日本は面倒な外交事はいるも米国に頼っているが、今回はそうはいかないということです。

 「大国の横暴」と批判するのは簡単ですが、彼らの力に対抗するには、小国なりの「知略」を尽く必要がある。共通の目的のために利害の異なる国々をまとめるなど、(日本だって)時には国際社会で汗をかく必要もあるということでしょう。

 大国同士の利害に基づき頭越しに世界が動いていく状況が続く中、彼らの論理で切り捨てられるのは、次は私たちかもしれません。日本だって無関係ではいられない。米国に対して物を言うことなく、大統領の暴言を半分面白がって聞いている日本人の危機意識は緩いように思えてならないと結ばれたコラムの指摘を、私も興味深く読んだところです。