MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯314 「目的」と「手段」

2015年03月09日 | 国際・政治


 モスクワ在住の政治経済ジャーナリストである北野幸伯(きたの・よしのり)氏が、3月2日付のWeb経済誌「ダイヤモンド・オンライン」において、安倍政権が今国会において進めようとしている憲法改正の議論に関し興味深い視点を提供しています。

 北野氏の論点は、第二次世界大戦における日本の敗戦の原因にまで遡ります。

 戦後の日本において第二次大戦を語るとき、当時の日本が「悪」だったのか、それとも「善」だったのか?という善悪の観点から離れることは、意外に難しいことなのかもしれません。

 しかし、少し考えてみればわかるとおり、「悪」であるからといって必ず戦争に負けるわけではなく、「善」であるから勝つわけでもありません。つまり、日本が「なぜ負けたのか?」を検討するに当たっては、善であるか悪であるかとは別の視点が必要だということになるでしょう。

 日本はなぜ負けたのか。北野氏はそこに、「目的」と「手段」をはき違えてしまった当時の政府や国民の誤りを指摘しています。

 情勢を振り返れば、満州国の建国(1932年)やそれに続く国際連盟脱退(1933年)が大きな分岐点だったことがわかると北野氏は述べています。

 その時点で日本は既に世界の孤児となっており、1937年に日中戦争が始まった際に中国が米国、英国、ソ連から厚い支援を受けたのは当然の成り行きであった。

 常識的に考えて、開戦当時から、日本が勝つ確率は非常に少なかった。日本は外交戦略において、重要な失態を犯していたと北野氏は言います。
 
 氏によれば、そもそも日本が満州に進出し「満州国」をつくった理由は、大きく2つあったということです。

 1つは、「安全保障上」の理由です。具体的には、ロシア(ソ連)の「南下政策」を阻止すること。当時、満州は「ロシアの南下を食い止めるための最前線」と考えられていたということです。

 そしてもう1つの理由が「経済的利益」です。1922年には「銀行恐慌」、23年には「関東大震災」が起こり、27年の「昭和金融恐慌」、29年の「世界恐慌」に繋がります。日本は、満州に進出することで、この経済的苦境を克服しようとしたことは広く知られています。

 つまり日本が満州に進出した「目的」は、(1)安全の確保と(2)経済的利益を得るための大きく2つだったということになります。

 これに対し北野氏は、この「目的」自体は(手段としての「侵略行為」の善悪の議論は別にして)、国家として「正しい」といえるだろうとしています。

 ここから先は近・現代史のおさらいです。1932年に「満州国」を建国した日本に対抗すべく、中華民国は国際連盟に訴え出ます。この訴えを受けて国際連盟は、イギリス人リットンを団長とする調査団を現地に送り、結論として大まかにいうと次のような内容の報告書を国際連盟に提出しました。

1.満州国は承認できない。
2.満州国には、中国主権下の自治政府を樹立する。
3.日本の特殊権益を認める。

 そして、この報告を踏まえ1933年2月の国際連盟総会で「満州国建国」の賛否にかかる裁決が行われました。その結果、反対が42ヵ国で賛成はわずか日本1国という事態となります。

 この状況に至って日本政府がとった行動は、「国際連盟」の脱退という孤立化に向かうものでした。そしてその背景には、政府の行動を「正しい」とする国内世論の熱狂的な支持があったことを忘れるわけにはいかないと、北野氏は指摘しています。

 日本の国際連盟脱退の原因となったリットン調査団の報告書の内容に関し、北野氏は、(今から思えば)「満州国の建国は認められない」が「日本の特殊権益は認める」という、ある意味日中双方に気を配った内容であったと評しています。

 名を捨て実を取り、米英に満州の利権を少し譲るといった配慮をしていれば、日本にとってソ連の脅威は大幅に減ったのではないか。さらには米英と戦争をすることもなく「連合国側」で戦い「戦勝国」となっていたかもしれない。少なくとも米英中ソを同時に敵にまわすより、これが賢明な策であったことは明らかだとこの論評で北野氏は述べています。

 では、なぜ日本政府は、誤った判断をしたのか?

 氏はそれを、「手段」を「目的」と勘違いしたからだと考えています。

 日本が満州に進出した「目的」は、もともと「安全を確保するため」であり「経済的利益を得るため」であった。「満州国」は、「安全」と「経済的利益」を得るための「手段」に過ぎなかったという指摘です。

 ところが、満州国の建国に全世界が反対した時点で、満州国建国という「手段」は、もはや日本に「安全」をもたらさなくなっていた。満州国は、既に「日本の安全と経済的利益」という「目的」に合致しなくなっていたという指摘です。

 さて、話を現代に戻し、安倍政権が進める「憲法改正」の問題です。
この議論を行うに際し決して忘れてならないのが、「憲法改正」も「ただの手段に過ぎない」という事実だと北野氏は強調しています。

 安倍政権が主張している憲法改正の目的は、あくまでも「日本国民の安全を守ること」にあるはずだ。つまり、憲法改正で日本がより安全になるのなら改正すべきであり、安全にならないのなら改正する必要はないということになると氏はこの論評で述べています。

 憲法を改正することで日本は安全になるのか否か?

 この問いに対し、現時点では「危険になる」可能性の方が高いのではないかと北野氏は見ています。
日本と米国を分断することを目的に、中国は日本の右傾化や軍国主義化を声高に主張し、歴史修正を目指す動きがあるとして大々的にプロパガンダしていると氏は指摘しています。

 米国を中心に作られた世界の戦後秩序を日本が否定している論拠として、中国は「靖国参拝」「歴史の見直し」「憲法改正」などを持ちだしている。言うまでもなく、日本国憲法が占領国としての米国の関与のもとに制定されたことは明らかで、現行憲法の改正の議論は、米国側から見れば当然、米国の支配からの脱却を指向する動きに見えるということです。

 ここで氏が繰り返し指摘しているのは、憲法改正はただの「手段にすぎない」という視点です。もしも憲法を改正し米中を同時に敵に回す事態に陥ったとすれば、日本は「より安全になる」のかそれとも「より危険になる」のか。

 米国が反日になれば、欧州もオーストラリアもこれに続く。結果、欧・米・中・韓・オセアニアなどを敵にまわし、日本は再び「世界の孤児」になる可能性が高い。そう考えれば日本が採るべき政策は明らかだというのが、この論評における北野氏の結論です。

 勿論、国内において憲法改正が「正しい」か「正しくない」かという議論がなされることを否定するものではありません。しかし、一方で私たちが過去の失敗から学ぶべきは、「目的」と「手段」を混同しない「冷静さ」だということになるのかもしれません。

 国を方向付けるに当たって重要視すべきなのは、ひとつにはその「手段」ではなく、「目的」にあるはずだとする北野氏の指摘を、政策を考える上での必要な視点として、私たちも改めて受け止めておく必要があるでしょう。




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