MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯315 「過去と向き合う」ということ

2015年03月11日 | 国際・政治


 3月8日、北京で開催中の全国人民代表大会(全人代)に合わせて記者会見を行った中国の王毅外相が、大戦後70年の節目に当たり、「加害者が責任を忘れなければ、被害者の受けた傷も癒える可能性がある」とコメントしたと新聞各紙が報じています。

 3月9日の日本経済新聞によれば、王外相は、安倍晋三首相が今夏に公表する予定の『戦後70年談話』を念頭に、「70年前に敗戦した日本が、70年後に再び良識を失ってはいけない」と述べたということです。記事はさらに、王外相の「歴史の負担を背負い続けるか、過去をバッサリ断ち切るかは、最終的には日本自身の選択だ」とのコメントを紹介し、同氏が過去への反省を盛り込んだ村山談話などを適切に継承するよう日本政府に呼びかけたと伝えています。

 第2次大戦後の世界を形作ってきた「東西冷戦」の枠組みが1980年代の終わりに崩壊し、以降、欧米を中心にグローバル経済を基調とした新しい国家間の関係構築が進んでいます。しかし、こと東アジアの日・中・韓3国の関係に関して言えば、いまだ第2次大戦に対する歴史認識の問題を引きずり、国民感情を巻き込んで時に大きく揺れ動いている状況にあることは否めません。

 一方、70年という歳月が国民の世代交代を生む中、近隣諸国から先の大戦における侵略行為への「謝罪」を求められ続けられる現状に対し、日本国内では、若い世代を中心に、こうした指摘に「辟易」とした感情を示す声が日増しに強くなっているようにも感じられます。

 日・中・韓の間に横たわるこのような国民感情のすれ違いを踏まえ、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏が、Web総合情報誌「GQ」に連載している自身のコラム(内田樹の「ぽかぽか相談室」)において、戦争責任と謝罪に関する興味深い論評を掲載しています。(2014.11.11)

 「日本は(いつまで)謝り続けないといけないのでしょうか?」

 読者からのこうした質問に対し内田氏は、次のように回答しています。

 一言で言うと、(先の大戦で)日本は「負けすぎた」。日本はただの敗戦国ではなく、負けた場合の備えが全くないまま戦って負けた「底抜けの」敗戦国だということです。

 氏は、本来、戦争は感情で行うものではないとしています。戦争は勝ったり負けたりするものなので、普通は国家が瓦解するまで戦ったりはしない。近代戦では、損耗率30%で「組織的戦闘不能」とみなされ、通常はあっさり白旗上げて降伏するものだということです。

 しかし日本は、制海権・制空権を失った状態でも盲目的に戦い続け、東京、大阪はじめ主要都市が軒並み空襲で焦土と化し、広島、長崎に原爆を落とされるまでポツダム宣言を受諾しようとはしなかった。それゆえ大日本帝国の瓦解は本当にあっけなく、「帝国臣民」は一夜明けて、(何の準備のないまま)「民主日本国民」ということになってしまったと内田氏は指摘しています。

 本来、戦争責任の追及、敗戦原因の解明は、(別の国の人ではなく)戦争をした国の人間が(敗戦の反省を込めて)行うべきものだと内田氏は述べています。白旗を上げた国民自身が、「どうして私たちは負けたのか」を自力で吟味しなければ負けた甲斐がない(し、その敗戦を糧にすることもできない)という指摘に関して言えば、確かに氏の言うとおりかもしれません。

 しかし日本の場合、戦争責任を追及、断罪したのは外国人たちであり、軍国主義を罵倒したのは(それを積極的に支持してきた)日本国民自身であって、敗北を自己点検すべき(そして「反省」すべき)帝国臣民はどこにもいなかったと内田氏はしています。
 
 とは言え、他の敗戦国の状況を見ても、ドイツではナチスにすべての「穢れ」を押しつけてドイツを救おうとし、イタリアはファシストに、フランスはペタン元帥のヴィシー政府に「穢れ」を押しつけて祖国を免罪しようとしたということです。

 しかし、日本と違うのは、そうした糾弾への「足場」として、ドイツには反ナチ勢力がいてヒトラー暗殺を企てたという事実があり、イタリアではパルチザンが実際にムッソリーニを殺し、フランスでもドゴールの亡命政府やレジスタンスが最後は自力でドイツ軍を追い出したという歴史があると内田氏は述べています。

 しかし、日本には戦争を強引に進めた軍部に抵抗した国内勢力が何もなかった。敗戦の「リスクヘッジ」を考えた人間が一人もいなかったと氏は指摘しています。

 なので、日本はとことん負けるまで戦い、戦後は「一億総懺悔」するしかなかった。この事実は、日本人全員が戦争に程度の差はあれ加担したのだから、(大陸への侵攻も敗戦も)みんなの責任で、(言いかえれば)「誰の責任でもない」という合意が国民の中に広く存在していることを意味しているというのが、この問題に対する内田氏の基本的な認識です。

 内田氏は、日本人が戦争被害を受けた国に謝罪する際、本気になれないのはそのせいではないか。「私が戦争責任者です」と手を上げる人が、実際どこにもいなからではないかとしています。

日本には、負けたときにちゃんと「すみません」と謝る立場の人が(昭和天皇以外に)誰もいなかった。中・韓の日本に対する謝罪要求が終わらないのは、結局、軍部を支持した政治家や国民がきちんと謝っていないからだと内田氏はこの論の中で述べています。

 そして、平和条約でもODAでもこの問題にけりがつかなかったのは、結局、中国や韓国の市民の中に、日本人に謝ってもらった実感がないからだということです。

 内田氏は、国民全体が気が付けば自らを被害者の一人だと思い、謝ることに抵抗を感じているからこそ謝罪要求もエンドレスになる。一方で、ドイツの大統領などは、ヨーロッパ中どこに行っても謝罪し続けていると指摘しています。

 ドイツでは、大統領がその「業務」の一部として、「ナチスがひどいことをして申し訳ありません」と70年間占領地の国民にひたすら謝り続け、それでようやく被害者たちも「もうぼちぼち許してもいいか」という気分になっている。謝罪というのは、それくらいの時間がかかる仕事なのだと内田氏はこの論評で述べています。

 そして、本来、日本の政治家の立場もそういう意味で言えば同様で、旧植民地の人に会ったらまずはとりあえず「いろいろすみませんでした」と頭を下げるのが、彼らの仕事なのではないかとしています。

 3月9日に来日したドイツのメルケル首相は、東京都内での講演において、「ドイツは戦後、かつての敵国とどのようにして和解することができたのか」との質問に対し、1985年のファイツゼッカー大統領の「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」というスピーチを引用し、「近隣諸国の温情なしには、不可能だった。ただ、ドイツ側も過去ときちんと向き合った」からだと述べたということです。

 日本の記者団を相手に淡々と語るメルケル氏のこのコメントからは、戦後のドイツが実践してきた、侵略の歴史に向き合い、相手国の感情に向き合うという(ある意味潔い)姿勢が自ずと透けて見えます。

 政府の姿勢として、海外からの不当な要求に対しては毅然とした態度を示す必要があるのは言うまでもありません。

 しかしその一方で、「(少なくとも)私たちは悪くない」というプライドや国内的な感情論ばかりでなく、(自らの感情はひとまず脇に置いておいてでも)さらに視野を広げた人道的な視点から自らや自らの国を省みることの大切さを、日本人の一人としてメルケル氏のこの一言から改めて考えさせられたところです。





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