MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯33 鎌倉巡り

2013年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

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 初夏から夏の季節が似合う街と言えば、関東の人間にとってはやはり「鎌倉」ということになるでしょう。

 北鎌倉駅の瀟洒な駅で湘南電車を降り、紫陽花寺として有名な名月院から鎌倉五山として名高い臨済宗の円覚寺、建長寺を回って鶴岡八幡宮へと蝉時雨の中を歩けば、夏の木立を抜ける海風にどこか涼やかさを感じようというものです。

 また、大正ロマンの小説から石原裕次郎の映画に至るまで、和服姿の文人のきれいな奥様や深窓のお嬢様などが日傘を差して「大磯のおじさまの所までちょっとお遣いに…」といったそんな風情が似合う街でもあります。

 もののふの歴史はもちろんですが、湘南の海もまた鎌倉の夏の顔です。逗子からつながる材木座、由比ヶ浜、稲村ヶ崎を挟んで七里ヶ浜、江ノ島、片瀬、鵠沼、辻堂と、若大将シリーズやサザンのヒット曲でも有名な、日本の名だたるビーチが並びます。サーファーのヤンキー兄さんやビキニのお姉様たちが織りなす現代の青春群像も、コパートーンの香りと相まってそれはそれで風情があるというものです。

 さて、そんな鎌倉で、外国人の観光客や修学旅行の中学生に人気なのが長谷の高徳院、いわゆる鎌倉の大仏様です。「鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな…」与謝野晶子が詠ったこの大仏様。なかなかのイケメンですが、実は結構な苦労人でもあります。

 現在の大仏様の造立は鎌倉時代中期の1250年前後と伝えられています。これは思ったよりも昔です。

 この青銅製の阿弥陀仏も当時は金箔を全身にまとい、豪華な大仏殿の中に鎮座するインドア派のビジュアル系だったと伝えられています。

 しかし、大仏殿はその後2度にわたって大風により倒壊。さらに約二世紀後の1498年には地震(今、話題の南海トラフ大地震です)により鎌倉にも津波が押し寄せ、大仏殿は跡形もなく押し流されてしまいます(大仏が押し流されなくてよかったですね)。

 以来、露天の大仏様としてずいぶんと庶民的な親しみやすいお姿で、雨の日も風の日も炎天下でも、頭の上で遊ぶ鳩も気にせずに長谷のお山のふもとにもう500年以上座り続けています。大切な「国宝」の割にはずいぶん邪険に扱われている印象ですが、文句を言うそぶりも見せません。

 大きさは台座を入れないと座高で11.312メートル。奈良の大仏が14.98メートルですからひとまわり小ぶりな弟分といったところ。実物はもっと大きさが違うように見えるのですが、やはり大空の下にいると小さく感じてしまうようです。よく見れば、お顔の右ほほ辺りに造立当時の金箔の跡が残っているというのですが、残念ながら下からはよくわかりません。

 さて、鎌倉の素晴らしいところは、歩いても1日で回れる程度の狭いエリアの中に、こうした質実剛健の鎌倉武士の文化を色濃く残す寺社を数多く配し、統一感のある雰囲気をそのままの形で現代まで伝えていることです。

 「よくぞ残ってくれた」と、先人に感謝しなければならない大切な日本の文化遺産です。そうしたものを壊すことなく走る江ノ電の素朴な味わいも含めて、多くの日本人にもう一度訪れてもらいたい街のひとつだと思います。



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