毎日新聞社が6月21日に実施した全国世論調査では、自民党が、GDPの2%を念頭に増額を政府に求めている防衛費について、「大幅に増やすべきだ」との回答が26%、「ある程度は増やすべきだ」は50%で、合わせて8割弱が防衛費を増やすべきだと答えています。一方、「増やす必要はない」は17%、「減らすべきだ」は6%にとどまり、ロシアのウクライナ侵攻を受け、世論の中に防衛力の増強を求める声が高まっている状況が伺えます。
また、NHKが7月10日に投開票予定の参議院議員選挙の全候補者に対して行ったアンケート調査では、今後は防衛費を「大幅に増やすべき」との回答が28%、「ある程度増やすべき」が38%を占め、立候補者の7割近くが防衛費の増額に積極的なスタンスを示していることが判ります。一方、「ある程度減らすべき」との回答は6%、「大幅に減らすべき」を含めても全体の2割に届かず、安全保障への懸念の高まりは直近の国政選挙にも大きな影響を与えているようです。
また、6月に行われた読売新聞の世論調査でも、「日本が防衛力を強化すること」への賛成意見が全体の72%を占め、防衛費増額にも半数以上が賛意を示しています。
一方に、隣国ロシアが、実際に東側の国境を破り戦闘を続けているという現実があり、そしてまた一方には、こちらも隣国である中国が、香港の住民を蹂躙し被害シナ海や南シナ海において力による現状変更を試みているという国際情勢が伺える。
さらに、日本海をはさんだ専制国家である北朝鮮は、この機に乗じ、ICBMを含む数多くのミサイルを、日本海に向け威嚇発射しており、ウクライナにかかりきりの米軍は(それほどには)あてにならない。国民の間に安全保障への不安が広がっているのは、 こうした状況をリアルに受け止めていることの証左ということもできるでしょう。
国民のそうした「揺れる気持ち」を踏まえ、6月25日の総合経済誌『週刊東洋経済』の6月25日号に、英オックスフォード大学教授の刈谷剛彦氏(かりや・たけひこ)氏が「不安が政治的決定に入り込む危うさ」と題する一文を寄せていたので、参考までにここで紹介しておきたいと思います。
遠い欧州での戦争が、毎日のようにテレビで生々しく伝えられる。しかも、報道の立場は、侵略するロシアと自国防衛に当たるウクライナとの関係を、専制主義対民主主義の戦いとして描き出し煽り立ててくる。
このような枠組みの下では、専制国家の指導者たちの恣意的な、それゆえ予測のできない判断や行動が脅威を倍加する。いわば、(この)不確実性が挿入されることで、「脅威」は社会的な「不安」に変換され、日本の防衛力強化の政策選択を後押ししていると、刈谷氏はこの論考に綴っています。
実際、科学技術に依拠し、社会が合理的に編成されていることを前提に生きる私たちが予測困難なリスクに直面した際に、不安が頭をもたげるのはコロナ禍で皆の知るところとなったということです。
一般的な話として、科学的に判断できるとされる安全については「安全基準」などというものが作られ、それに従っていることを前提に安全が保障される。建物や交通機関、食品や薬品、ワクチンなどがその典型だと氏は言います。
ここで重要なのは、客観的に保証される安全が、主観的な安心を生むということ。しかし、科学的知見に基づく確率論が通用しない事態に対しては、安全を合理的に判断すること自体が困難になり、それが社会の不安を生み出すというのが氏の指摘するところです。
これこそが、不確実性の認識がもたらす不安が「近代社会の不安」と呼ばれる所以だと氏はしています。ただし、社会学者は、不確実性の認識やそれが不安に転じる仕組みには、社会や文化により差異が生じるとも指摘する。コロナ対応への違いは、その顕著な一例だということです、
このような違いが生じるのは、リスクの認識や、それが不安に転換される際に、社会に共有された「主観」が介在するからだと氏は言います。人々の認識は、提供される情報によって左右される。社会の状態(豊かさや格差、知識の普及度など)によっても、同じリスクが大きな不安に転換されることもあれば、冷静に対処されることもあるということです。
いずれにしても、合理性と非合理性の狭間で、時に私たちは大きな(政治的)判断を迫られる。不安が煽られやすいのは、そこに不確実性が介在するからだというのがこの論考における氏の認識です。
私たちはその不確実性≒リスクに、いかに冷静に正対することができるのか。不安におびえた目には、子犬が狼に見えたり、木陰がお化けに映ったりすることもきっとあることでしょう。一方、メディアやリーダーたちは、(自らの利益に沿った形で)そうした大衆の不安を利用し、時に煽りたてがちなことは歴史が証明しています。
社会のネガティブな空気や感情に惑わされることなく、客観的な視点を忘れないこと。どんな決断をすえるにせよ、勢いに任せた判断の危うさの根源が、ここにあることを忘れてはいけないとこの論考を結ぶ刈谷氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。
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