煙草を吸わない人が、煙草の煙による健康被害を防止するため他者の喫煙の規制を管理者等に請求する権利を「嫌煙権」と呼んでいます。
今ではもう当たり前すぎて「権利」とすら認識されていないこの「嫌煙権」ですが、実はその歴史はそれほど古いものではなく、1978年に発足した「嫌煙権確立を目指す人びとの会」の共同代表でコピーライターの中田みどりが提唱して広まったmade in Japanの言葉である由。1978年(昭和53)2月28日、東京に「嫌煙権確立をめざす人々の会」が、同年4月4日「嫌煙権確立をめざす法律家の会」が誕生し、日本の嫌煙権運動は初めて日の目を見たということです。
と、いうことは、それまでの日本は、煙草はどこで吸っても自由、吸い殻をどこへ捨ててもおかまいなしの「喫煙放任社会」であったということ。確かに私の記憶でも、(バブル崩壊前のこの日本では)飲食店の店内はもちろん、電車の中、さらにはジャンボジェットの中でさえ煙草は吸い放題。職場のデスクだろうが子供の前だろうが、妊婦がいようがお構いなく、オジサンたちはプカプカと煙草の煙を吐き出していました。
おかげで駅前の路上は吸い殻だらけ。職場のデスクは煙草の灰でベタベタで、会議室の壁はヤニでまっ茶色というのが(どこでも)当たり前の景色でした。
それからおよそ40年。2005年にはWHOのたばこの規制に関する枠組条約が発効し、2002年には日本でも健康増進法が施行。2010年の神奈川県を皮切りに、日本の各都道府県で受動喫煙防止条例が施行されるに至っています。
時代が変わったと言えばそれまでですが、今や喫煙者は少数派の日陰者。駅の敷地の隅っこにある喫煙所で、嫌われ者らしく背中を丸め電子タバコをスース―しているサラリーマンのお父さんたちに、日本経済を担う豪快さは(微塵も)感じられません。
別に喫煙者を擁護するつもりもありませんが、煙草の煙の中で育った昭和生まれの世代としては、「何もそこまで嫌わなくても…」と思わないでもありませんが、時代は喫煙という習慣や行為、文化自体を許すつもりはないようです。実際、テレビなどで1980年代のトレンディドラマの再放送などを見かけると、私自身、場所やタイミングを問わない喫煙シーンの多さに強い違和感を感じたりもしているところです。
ネットなどを覗くと、喫煙者を叩くことが「正義」とでも言いたげな極端なたばこ嫌いの論者の意見なども数多く挙げられており、これもまああんまりだなと思っていたところ、7月29日のPRESIDENT ONLINEに『バカほど「タバコは絶対ダメ」と言いたがる…本質を見抜ける人、そうでない人の決定的な差』と題する一文が掲載されていたので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。(タバコが死ぬほど嫌いな人には申し訳ありません)
「頭がいい人」がものごとを広く俯瞰的に捉えることができるのに対して、「頭が悪い人」は一元的に捉えてしまいがち。たとえば、タバコは健康に悪いので、がんになると思えば徹底的に排除したがると、医師で作家の和田秀樹氏はその冒頭に記しています。
日本人全員が「頭が悪い」とは思わないが、タバコと喫煙する人たちに対する厳しさは、タバコを吸わない私から見ても少し気の毒になるほどだと氏は言います。その一例が、2020年4月1日に改正健康増進法が全面施行され、世の中の多くの場所(飲食店、会社などの事務所、娯楽施設、体育施設、宿泊施設など)が原則禁煙になったこと。その後、コロナ禍を機に数少ない喫煙所もどんどん閉鎖され、もはや街中に喫煙者の居場所はなくなっているということです。
タバコが体に害を与えることは明らかだが、受動喫煙まで極端に危険なものとして扱うというのはいささかバランスを欠いていると、氏は(医師の一人として)この論考で指摘しています。
実際、喫煙率は以前の3分の1に下がっているのに、肺がんはむしろ増えている。かつて日本人の肺がんは、ほとんどが「扁平上皮がん」だったが、喫煙率が下がってから、およそ10~15年後に扁平上皮がんは減っているとのこと。現在は扁平上皮がんが3割ほどで、6割くらいが「腺がん」へと変化しているということです。
両者は、顕微鏡で見たときの組織型で区別されるが、一般的に(前者の)扁平上皮がんは太い気管支に発生する、肺のなかでも入口(つまり、口や鼻)から近い部位にできるがんだと氏は説明しています。一方の腺がんの特徴は、肺の奥に発生するケースが多いこと。おそらく原因物質として、粒子の大きいものが気管支で引っかかって扁平上皮がんとなり、粒子の小さいものが肺の奥まで運ばれて腺がんを引き起こしていると考えられているということです。
氏によれば、(前者の)扁平上皮がんの発症要因のほとんどはタバコとされているとのこと。ヘビースモーカーに多かったものが、喫煙率の低下とともに、減少する傾向が表れているということです。
一方、これに対し、腺がんの発症要因の多くは、粒子の小さな大気汚染と考えられると氏はしています。工場からの煤煙などが以前よりずっときれいになっている中、考えられるのは、大陸から飛んでくるPM2.5と呼ばれる微粒子のほか、身近なところではやはり自動車の排ガスなどが主要な要因になっている可能性が高いというのが氏の見解です。
走行している車の数が増えているとは思わないが、この日本で都市部を中心に道路工事によってひどい渋滞が起きているのは事実。景気が悪いから道路工事が増えているというのなら、(日本人の肺がん予防のためにも)渋滞の起こらない時間帯に工事をすべきだと氏は話しています。
工事が行われている期間は、周辺の信号機のタイミングも変更して、渋滞が極力起こらないようにすることもできるはず。警察の眼中には「安全」しかないようだが、違反を見つけて取り締まるばかりでなく、円滑な交通を助ける人になってほしいということです。
いずれにしても、受動喫煙の原因をつくっている喫煙者にこれだけ厳しい対応をするのであれば、(行政機関は)道路工事を渋滞が起こらない時間帯に行うとか、渋滞の回避を義務づけるとかして、排ガスを減らすための柔軟で総合的な施策を打ち出すべきだというのが氏の認識です。
タバコをこてんぱんに叩きのめして、扁平上皮がんの減少という一定の成果が出た今、さらに肺がんを減らそうとするならば、(受動喫煙を槍玉にあげるより)自動車の排ガスが減る方法を考えたほうが実効性が高いはず。煙草嫌いが高じて感情的に喫煙習慣、喫煙文化の撲滅を目指しても、ただ単に反発や対立を生むだけだということです。
個人の健康法であれ、行政や政治上の事案であれ、データに基づいて合理的かつ柔軟に判断することは、当たり前のようでいて苦手とする人は案外多いと氏はこの論考の最後に綴っています。少なくとも行政に携わる人々には、(強い言葉に反応するばかりでなく)エビデンスが重要になるということでしょう。
(ともあれ)必要なのが、データに基づき合理的に考えることであるのは間違いない。こうした思考ができるかどうかにも「頭がいい人」と「頭が悪い人」の違いが表れると話す和田氏の指摘を、(まあ何というか)私も興味深く読んだところです。
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