MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯325 『進撃の巨人』が共感を呼ぶ理由(ワケ)

2015年03月31日 | うんちく・小ネタ


 3月2日のWeb経済誌「ダイヤモンド・オンライン」では、ゴールドマン・サックスやメリル・リンチのトレーダーなどとして活躍した松村嘉浩(むらまつ・よしひろ)氏が、「『進撃の巨人』がなぜ売れたのか」と題する(面白い)コラムを掲載しています。

 松村氏は、紙とペンさえあれば描けるマンガはアニメと違って制作コストが低く、いろいろな人が幅広く参入できるので、新しい才能が生まれやすいとしています。

 失敗したら損失が大きい映画やアニメではそう冒険はできませんが、マンガ業界には新人がどんどん出てくるし、そうした才能が過去に大きな社会現象を引き起こした例を挙げればきりがない。

 言い方を変えれば、売れるマンガはその時代を生きる人々の心理を映す鏡であり、そのトレンドを追えば人々の目に見えない意識の変化や社会の動きを読み取ることも可能だと、この論評で松村氏は指摘しています。

 例えば、『鉄腕アトム』が流行った1950年代から60年代の日本は高度経済成長期の只中にあり、アトムというロボットの活躍は、科学技術の発展が人類に明るい未来をもたらすという信憑を自明としていた当時の社会風潮をストレートに反映していたと松村氏は言います。

 70年代後半には、『サーキットの狼』というポルシェやランボルギーニなどのスポーツカーに暴走族が乗って公道レースを行うというマンガが流行しました。

 当時の日本は工業化による高度成長を既に成し遂げていましたが、一方で高級品に関してはまだ競争力がなく、ポルシェやフェラーリといった外車は庶民の手の届かないあこがれの存在だったということです。そしてこのマンガをきっかけとして少年の間に巻き起こったスーパーカーブームの背景には、このような日本人の意識が垣間見えると松村氏は指摘しています。

 それでは、日本ばかりでなく、現代に生きる世界各国の若者の心を鷲掴みにしている『進撃の巨人』は、いったい現代人のどのような意識を反映していると言えるのでしょうか。

 このマンガが若者に受け入れられたヒントは、主人公による「100年壁が壊されなかったからといって、今日壊されない保証なんか、どこにもないのに…」というセリフに象徴されていると松村氏は説明しています。

 人類を巨人の進撃から守るため、主人公らの住む世界は三重の城壁に守られています。そして彼らの暮らすそうした世界観には、不安におびえる現代社会が色濃く投影されているのではないかと、松村氏はここで指摘をしています。

 現代社会にはモノにあふれていて、贅沢さえ言わなければ平和に暮らしていけるだけの豊かさがあります。しかし、本当にこのままで大丈夫なのだろうか?例え今は大丈夫でも、自分たちが戦っても歯が立たない巨人のような存在がいずれ襲ってくるのではないのか?…こうした漠然とした不安が、このマンガには上手く表現されているように思えるということです。

 『進撃の巨人』の主題歌は、「家畜の安寧 虚偽の繁栄」です。実は三重の壁に守られた中心部の安全な「ウォール・シーナ」には王政府や裕福な人間が住んでいて、主人公たち貧しい若者はいちばん外側のいちばん危険な「ウォール・マリア」という地区に暮らしています。そしてこの設定こそが、現在の格差や既得権益に不満を覚える、現代の若者の潜在意識をとらえているのではないかと松村氏はこの論評で指摘しています。

 現時点だけを考えれば、モノには不自由していないし、なんとなく暮らせている。でも、このままで本当に大丈夫なのか。こうしたいわゆる「肌感覚」から、世界の若者は『進撃の巨人』に共感しているのではないかというのが松村氏の見解です。

 そして氏はさらに続けます。それでは、なぜ皆が「漠然と不安」なのか?

 その答えを松村氏は、現代が全く「新しい時代」を迎えているにもかかわらず、今までどおりに生きようとする「既得権益層」が世の中を歪めていると、心のどこかで感じているからではないかと考えています。

 現在の若者たちは、過去とはまったく違う「新しい時代」に生きていると松村氏は言います。それは、もしかしたら500年に一度、数千年に一度という人類が初めて経験する時代だということです。

 氏によれば、その一番わかりやすい事実は、いずれ世界が人口減少に入っていくことだとしています。少なくとも今後数十年間において人口が減っていくことは、逃れられない日本の未来の姿です。これは、疫病の流行とか自然災害以外では、人類にとって初めての経験だと松村氏は説明しています。

 そして、それは成長を前提として数百年にわたり発展してきた「資本主義」にとってはとてつもなく大きな脅威であり、『進撃の巨人』に例えれば、人口減少という未知の「巨人」に襲われるようなものかもしれないと、松村氏は評しています。

 そもそも、技術が進歩して養える人の数は増えているはずなのに、どうして人口は増えていないのか。

 産業が高度化すると、教育コストをかけなければ子どもはきちんとした生産ができるまでに育たない。つまり、子どもを生み育てることを「投資」と「リターン」という経済的視点で捉えれば、経済が高度化に伴って投資に要する負担が大きくなるため「ワリ」に合わなくなる。そう考えれば、少子化が進むことはある意味「歴史の必然」に他ならないということです。

 さらに言えば、経済的な理由から少子化を起こす原因になっているのが「年金制度」だと、松村氏は指摘しています。

 年金制度は、言わば国家が家族に代わって国民の老後の面倒をみる制度です。しかし、子どもを産んで育てるコストを負担しなくてもよいのであれば、そこに子どもを持たない方が経済的に有利になるという、いわゆる「フリーライダー」の発想が生まれてくるというのが、この問題に対する松村氏の指摘です。

 格差社会という現実を目の前にして、未知なる時代への不安におびえる若者が『進撃の巨人』を支持する基盤になっていると、松村氏は考えています。

 松村氏の主張を整理すれば、現代の若者の意識の中には既存の仕組みと未知なるものから与えられるプレッシャーが強く存在し、そうした中で苦しみ、戦う主人公らの姿が、現代の若者の共感を集めているということになるでしょう。

 迫りくる巨人は、実は今後予想される超高齢化社会や既得権益であり、そうした危機に果敢に立ち向かう調査兵団に、若者たちは一種の「カタルシス」を覚えているのではないかとする松村氏の指摘を、私も現代の若者文化を読み解く新しい視点として大変興味深く読んだところです。





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