1月11日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」は、各国の新型コロナのパンデミックへの対応状況を踏まえ、「民主主義は専制主義など他の政治体制と比べて、本当に社会に大きな利益をもたらすのか?」と改めて問いかけています。
まず、パンデミック発生当初は、民主主義国家ほど感染が拡大し、多くの尊い人命が失われた。国内総生産(GDP)が歴史的な落ち込みを記録した国も少なくなかったが、政府が行動を規制しようとしても従わない人々が現れ、現場はしばしば大混乱に陥ったと筆者はしています。
一方、専制主義国家では、政府が人々の行動を厳格に管理し、感染拡大を未然に防ぐことに成功するところが多かった。現場の混乱も少なく、経済の落ち込みも最小限に抑える国が大半であったということです。
しかし、ワクチン接種が進み治療薬が普及するにつれ、多くの民主主義国家では状況が大きく好転した。GDPがコロナ前を大きく上回り、パンデミックも過去のものとなりつつある国が多いと筆者は言います。
他方、専制主義国家では、依然として感染拡大のリスクから抜け出せず、それに伴う経済の停滞も深刻になりつつあるところが少なくない。初期の成功体験から発想の転換が遅れ、指導者の対応が後手に回る傾向があらわになっているということです。
いまや世界では、民主主義と専制主義に関する評価は、パンデミック発生当初とは大きく様変わりしつつあるというのが筆者の認識です。
足元でも多くの民主主義国家で、感染症とどのように向き合って経済活動の再開を本格化させるかに関して、さまざまな意見が存在する。しかし民主主義には、多様な意見のぶつかり合いが新たな知恵を生み出し、未来志向の解決策を導くという強みがあると筆者はしています。
様々な主体による自由な議論こそが民主主義を活性化させ、その強みを発揮させる源泉となる。わが国でも、多様な意見をぶつかり合わせ、新時代に向けた解決策につながる新たな知恵を共有することが強く求められているというのが、このコラムで筆者の指摘するところです。
一方、同紙は同1月11日の社説に「米議会の機能不全を懸念する」との社説を掲げ、民主主義国のリーダーともいうべき米国議会の機能不全に強い懸念を表しています。
米連邦議会の下院で議長の選出が混乱し、15回の投票の末にようやく決着した。下院議長は大統領職の継承順位が副大統領に次ぐ2位の要職であるが、共和党内の一部のグループの動きによって4日間にわたって政策の議論が停滞し、時間を空費する失態を演じたと記事はしています。
混乱の原因は、党下院トップである院内総務のマッカーシー議員の議長選出に保守強硬派を中心とする20人ほどが反対したことにある。強硬派にはトランプ前大統領に近い議員も多く、事態の収拾にあたって(彼らの要求に応じ)議長の解任動議を提出しやすくするなどの譲歩を迫られたということです。
今回の混乱を通じて共和党のごく一部のグループが発言力を高め、合意形成の道筋は一段と狭まった。この先、政府支出やウクライナ支援の縮小を唱える彼らの主張に振り回されれば、影響は計り知れないというのが社説の懸念するところです。
バイデン大統領が、「共和党と協力する用意がある」と声明で呼びかけたのは当然だが、その民主党も人ごとではない。バイデン政権発足からほぼ2年間、中道派の一部の上院議員は政権が目玉に据えた気候変動対策などに反対し、政策実現が滞ってきたのは周知の事実だと社説は指摘しています。
民主主義国家のリーダーである米国で内向きの政争が激しくなり機能不全が常態化すれば、(分断による「民主主義の機能不全」を主張する)中国やロシアといった権威主義国家を一方的に利することになる。民主、共和の両党は、世界の安定への影響を考慮のうえ立場の違いを乗り越えて真摯に議論し、合意点を見いだすよう努めてほしいというのが社説の訴えるところです。
イギリスの首相だったウインストン・チャーチルは、1947年の英下院における演説で「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。(もちろん)これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば…だが。」と話したと伝えられています。
「民主主義」のベースはあくまで「議論」にある。民主主義という器があれば全てが上手くいくというわけではなく、民主主義がその機能を発揮していくためには自由闊達な議論が保障されていなければならないということでしょう。
民主主義を標榜しているから良い政治というわけではない。民主主義の名を借りた権威主義に陥らないためには、まずは民主主義の基本をしっかりと思い出す必要があるのだろうと、私も改めて感じたところです。
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