MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2399 あなたの中のモンスター

2023年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 去る2月1日、回転ずしチェーンの大手「スシロー」の店内で、醬油差しや湯飲みをなめるといった迷惑行為をした若者に対し、同社は「刑事、民事の両面から厳正に対処」すると発表し、警察に被害届を提出しました。スシローによれば、迷惑動画によって株価が一時大幅に下落し、時価総額が一時168億円下がるなどの被害があったということです。 

 報道によれば、こうした迷惑動画をSNSなどに挙げたのは地元に暮らす高校生とのこと。当人は通っていた高校も退学したと伝えられており、本人にとってもその代償は大きかったようです。

 とは言え、(自分の若い頃を考えれば)どれだけの損害を企業に与えるかなどには考えが及ばないまま、その場のノリで犯行に及び、友人たちなどと「盛り上がる」ためにネット上に公開したという(ような)経緯も想像に難くありません。

 こうした秩序を軽んじた軽率な行為が社会で許されるはずはなく、消費者の信用を失った企業側の怒りや対処の方針も分からないではありません。しかしそうした中、「炎上」の名のもとに、例えば通学する学校名や住所や氏名、卒業アルバムの写真などをネットにさらしたり、親兄弟のプライバシーを公開したりといった「私刑」が横行している様子には、生筋が寒くなる感覚を覚えるのもまた事実です。

 もしかしたら自分も被害者だったかもしれないと、心のうちに処罰感情が起こるのはやむを得ないとしても、こうした「集団リンチ」とも言うべき一方的な状況はなぜ生まれてくるのか。

 昨年11月26日の総合情報サイト「現代ビジネス」に、テレビなどでも活躍する脳科学者の中野信子氏が、『「ルールを犯した者は苦しんで当然だ」…なぜ、バッシングは過激化していくのか?』と題する論考を寄せているので、この機会に一部を紹介しておきたいと思います。

 例えば不倫騒動が明るみに出た政治家や芸能人。現代の日本では、この人たちには「攻撃を加えてもよい人」という烙印が押され、(ストレスのはけ口として)サンドバッグのように扱われることになると氏はこの論考に記しています。

 いわゆる「サイコパス」とは、(アメリカ精神医学学会による診断・統計マニュアルによれば)「反社会性パーソナリティ」に分類される。「反社会性パーソナリティ」とは、社会の規範を破り、他人を欺いたり権利を侵害したりすることに罪悪感を持たない感性を持つ人のことで、社会の規範を軽視ことにその特徴があるとされています。

 一方、この「反社会性」の対義語となるのが「向社会性」というもの。今回、注目したいのは、この「向社会性」による攻撃、向社会性によって犠牲になる人々のことだと氏はこの論考に記しています。

 (話は戻って)サイコパスのような反社会的な人物が、もちろん警戒しなければならない相手であるのは間違いないと氏は言います。

 少なくとも人間は複数の個体で群れを形成し、複雑な構成を持った共同体の中でその寿命のうちの大半の時間を送り、そこに依存せざるを得ない生物である。そこでは、共同体を維持するための性質である「社会性」に反する個体というのは、仔細な吟味なしにつきあうことのできる、信頼できる相手である可能性は低いということです。

 しかし、印刷技術が進み放送技術が発達してマスメディアが登場し、さらにはITに支えられたSNSという大衆の声が認知構造を支配する時代となった今、状況は少しずつ変わってきている。場合によっては、向社会性を維持しようとする大多数の人々のほうが、少数の反社会性パーソナリティの個体よりもずっと恐ろしいという現象が周期的に起こるようになったと氏は話しています。

 むしろ、社会や正義という大義名分を持っている分だけ、向社会性を重視する普通の、良心的な人々の行動のほうが、より無意識的で余計に取り扱いが難しく、恐れなくてはならないものになる。その傾向は、メタバース、ウェブ3など(呼び名は何でもよいが)市井の一個人が情報を容易に発信できる技術が発達すればするほど、強まっていくのではないかというのが氏の懸念するところです。

 「正義」という武器を持って誰かを断罪することは、時代が下れば下るほど、今よりずっと未来のほうが容易になっていくだろうと氏は言います。

 糾弾の対象となった人物が苦しんでいることがわかっているのに、「ルールを破ったのだから苦しんで当然」という大義名分さえ整えば、大衆はその人の苦しむ姿をむしろ見たくなる。わざわざ高いお金をかけて週刊誌を買うという行為にも、われわれが反社会性に対して強い嫌悪感を持ち、向社会的に振る舞いたい、また、その人間がいつまでも許されることなく、正当に罰され続けていてほしいという願いがそのまま反映されているということです。

 向社会性を重視する普通の良心的な人々の方が、(反社会的な人よりも)より恐ろしい時代になりつつあると氏はこの論考の最後に(改めて)指摘しています。情報技術の発達が、「正しさ」に人を傷つけるための凄まじい力を与えてしまう。秩序ある現代社会では、誰もが心の中に「正義」という名のモンスターを飼っていることをわすれてはならないと話すこの論考における中野氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。

 



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