いわゆる「集団的自衛権」に関して、憲法解釈の見直しに対する政府・与党内の議論が本格化しています。そして、これに歩調を合わせるかのように、集団的自衛権の行使容認に向けた国内制度の改正にむけた手続きも、いよいよ具体的に進められる段階に来ているようです。
自民、公明両党は、5月20日午前に「安全保障法制整備に関する与党協議会」の初会合を国会内で開き、集団的自衛権行使の憲法解釈見直しなどを巡る議論をスタートさせています。
報道によれば、政府・自民党は、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しを夏までに閣議決定したい考え(←読売新聞5/20)とのことですが、連立を組む公明党は、グレーゾーン事態や駆けつけ警護などに関する法改正には前向きな姿勢を示す一方で、解釈見直しを伴う集団的自衛権行使の限定容認については慎重な姿勢を見せています。
こうした状況を背景に、日本経済新聞では5月21日から23日にかけ、「集団的自衛権を考える」と題し、この問題が国際社会に与える影響について国内3人の識者による寄稿を掲載しています。
5月23日には、この連載の最後の寄稿者として、千葉大学教授の酒井啓子氏が「政権の『現状変革』に危うさ」というタイトルで、今回の議論が(国民が意図しない)国際的な反響を産み国際社会に誤ったメッセージを伝える可能性があるという視点から興味深い論説を行っています。
現在、国際社会においては、世界で最も戦争の危険性が高い地域として東アジアが特に注目されていることは国内でも広く知られています。酒井氏はこうした状況に関し、イギリスの安全保障研究の第一人者であるローレンス・フリードマン氏の、「これからの1年の間この地域(東シナ海、南シナ海海域)で偶発的な事件が起きなかったとしらそれは幸運に恵まれたということだ。」というコメントを紹介し、海外識者がこの地域の「衝突リスク」の高さを如何に懸念しているかを改めて指摘しています。
最近の海外における報道を見る限り、特に注目すべきは、緊張の原因を「中国の軍事的脅威」にあるとしつつも、日本がそれに呼応する形で防衛力を増強し東アジアにおける緊張増大の一端を担っているという批判的な論調が少なくないことだと酒井氏は述べています。集団的自衛権の行使容認に向けた動きを強める安倍政権に対し国際社会は強い懸念を示しており、そのことが日本の政治上のポジションに与える影響は(日本人が考えている以上に)大きいという見解です。
中国、韓国ばかりでなく、広く欧米においても日本の対外政策に対する危惧が報じられていることを、「単なる『誤解』や『認識不足』として軽視することは賢明ではない」と酒井氏はしています。実際、歴史上の幾多の戦争の背景にはこうした「誤認」の存在が認められる。相手国の意図を正確に把握できないことが相手の軍事力への過度な恐怖心につながり、自衛のためと称してさらなる軍事力の強化に走ることになる。そしてその結果として、当事者国同士の間には意図せぬ衝突の危機が訪れることになるという指摘です。
こうした国家間の緊張をもたらす悪循環を回避するためには、相互の意思疎通を密にした極めて高度な外交努力(や外交技術)が必要になると酒井氏は言います。しかしながら2012年夏以降の日本外交においては、日中はおろか日韓関係においてですら外交的なチャンネルが途絶えていることを、酒井氏は大きな不安材料としています。こうした中で相互のスタンスへの誤認が重なれば些細な衝突が本格的な紛争に発展する可能性が高くなる。海外メディアが懸念しているのは「まさにこの点にある」というのが酒井氏の見解です。
酒井氏は、現在、米国のオバマ政権が一方で中国を警戒しつつも、最終的には中国との共存関係を求めていることは明らかだとしています。そうした状況において、集団的自衛権の行使容認が周辺国家に「日本の軍事力増強」「軍国主義の復活」として受け止められ、相手国を必要以上に挑発する結果となることを米国政府は心配しているというのが氏のこの問題に対する認識です。とりわけ米国政府や欧米諸国が疑問視するのは、安倍政権が標榜する「戦後レジームからの脱却」が、どこまで現状変更の意図を持つものなのかという現実的な部分にあると酒井氏は指摘しています。
欧米諸国の報道ぶりを見る限り、そこで懸念されるのは欧米のメディアが安倍政権を形容して「現状変更主義者(リビジョニスト)」という表現をとることがあると酒井氏は言います。氏によれば、この「リビジョニスト」という用語はこれまで主に中国やロシア、イランなどの西側政治秩序に変更を求める勢力に対して用いられてきた形容詞だということです。そして、この用語を欧米メディアが安倍政権に対して使用していることの意味を、私たちはもっと深刻に捉らえるべきだとしています。
従来、日本が対外的に供与してきた安心感の源泉は、先の大戦の反省の上に立った日本社会の戦後経験と、他国を攻撃することがないという法的制約にあったというのが酒井氏の見解です。そんな中、氏が危惧しているのは、安倍政権の政策を現状変更と見なす動きが広まれば、国際社会はこれまで日本が築き上げてきた「信頼」を持ち得なくなるのではないかという一点にあります。
重要なことは、これまでの日本が理念においては西側政治秩序に属しそれを維持しながらも、手段としては欧米諸国のような「力による強制」をとらない国として国際社会の信頼を獲得してきたところにあるというのが酒井氏の認識です。
大国になり得るパワーを持ちながら、安全保障上は敢えて「自己抑制」的に西側の政治秩序に組み込まれているという安心感。日本のそのような「性格」が西側政治秩序に安定をもたらす要因として認められてきたのであれば、その日本が自己抑制を解くことは、西側政治秩序から日本が「こぼれ落ちる」ことを意味するのではないかと酒井氏は主張しています。
今から70年以上も前の話ではありますが、自らの立場を上手にアピールできず、そうとは意図しないまま諸外国に誤解され国際社会から孤立する道を歩んでいったという過去の苦い記憶を、日本人はもう一度思い出してみる必要があるのかしれません。
(中国の)露骨な政治権力の台頭に直面し受け身で対応してきたつもりが、(そうとは意図しないうちに)気が付けば現状変更を求める地政学的な権力抗争の「トップランナー」とみなされていたなどという笑えない状況を生み出すことのないよう、政府には十分な配慮が必要だとする酒井氏の指摘を、現在の国際情勢を捉えるひとつの視点として興味深く読んだところです。
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