MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1895 将来世代への付け回し

2021年07月05日 | 社会・経済


 5月11日、財務省は政府が発行した国債の残高に、借入金、政府短期証券などを加えた「国の借金」の合計額が、2020年度末で過去最大の1216兆4634億円に達したと発表しました。
 昨年度は、新型コロナウイルスの感染拡大を背景に3度にわたり大型補正予算を編成したことなどにより、前年度末との比較で101兆9234億円の増額となり、1年間の増加額も過去最大となりました。

 1216兆円と一口に言っても規模感はなかなか伝わりませんが、例えば2020年(11月1日)時点の日本の推計人口1億2320万人で単純に割り込むと、1人当たりの借金は約987万円と、赤ん坊からお年寄りまで約1000万円の借金を背負っている計算です。
 この状況を家計に例えると、月収が40万円しかないにもかかわらず月に75万円ものお金を使っていることになり、結果、毎月35万円の借金が積もり積もって、6,000万円ものローンを抱えている状況ということにもなるようです。

 もともと、バブル経済の崩壊に端を発する「失われた20年」などと称される低迷の時代を経て、日本経済は世界的に見ても異様なほどの政府債務を積み上げてきました。さらに、日本の債務残高は、アベノミクスによる金融緩和や消費税増税の延期、国民医療費の増大などの資金需要が重なって、ここ10年で約1.5倍に急増しています。

 対GDP比で見た日本の政府総債務残高は、コロナ前の2019年度の時点で既に237.96%。これは、チャベス独裁政権を経て経済が破綻したベネズエラの232.79%よりも高く、EUの問題児とされるギリシャの180.92%やイタリアの134.80%が子供のように見える数字です。

 現在、世界広しといえども1000兆円以上の借金を抱えているのは日本とアメリカくらいのもので、世界経済への影響も懸念されるようになっています。
 そこで心配となるのは、(当面はこれで乗り切るとしても)この先本当に借金を返済できるのかということ。メディアや野党などはよく「将来世代への付け回し」という表現をよく使いますが、こうした分かりやすい言葉を聞くと、多くの人が(居ても立ってもいられないような)不安な気分に襲われることでしょう。

 「日本はもう駄目なんじゃないか」…そう思わせるのに十分なインパクトを持ったこのような数字に対し、6月4日の日本経済新聞にみずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミストの門間一夫氏が、「国債は将来世代の負担なのか」と題する興味深い論考を掲載しているので、ここで紹介しておきたいと思います。

 私には以前から気になっていることがある。それは国債残高が積み上がっていることへの批判として、「将来世代に負担を先送りするな」と言われる点についだと門間氏はこの論考の冒頭に綴っています。
 氏がなぜこの言い方に違和感を覚えるのか、その理由は大きく3つあるということです。

 第1に、この言い方には「今の国債残高は必ず減らさなければならない」という大前提があることだと氏は言います。
 結局のところ「今増税する」か「後で増税する」かしかないので、今増税しなければ将来の増税が重くなるという話である。しかし、今の国債残高を減らさなければならないかどうかは、実はそれほど自明なことではないというのが氏の認識です。

 日本の国債残高が過去最大で他の国よりも大きいのは事実だが、(もちろん)その裏には民間では満たすことが難しい国民のニーズ、大規模な資金偏在、民間需要の弱さなど様々な要因があってのこと。少なくとも現時点では(これまで積み上げてきた景気対策もあって)景気の過熱や金利の上昇、民間企業の資金調達の圧迫などといった、国家財政の破綻を示す兆候は見られないということです。

 第2の理由は、日本の国債残高は確かに膨大だが、民間金融資産の残高はそれ以上に膨大なところにあると氏はしています。
 将来世代には多額の国債が引き継がれていくであろうが、同時に多額の民間金融資産も引き継がれていく。差し引きで見れば、将来世代の手元へ渡るのは債務ではなく財産になるというのが氏の見解です。

 そして、第3の理由として氏は、「それでもやはり国債残高は減らすべきだ」という判断があってもよいとは思うが、それをあたかも「世代間の負担の押し付け合い」のように捉えてしまうと、「世代内の公平性」という重要な論点が見えにくくなることを挙げています。

 財政や社会保障の議論は、高齢世代が勝ち組で若年世代が負け組というざっくりした前提で語られることが多い。しかし高齢世代ほど資産、所得、健康の格差は大きく、将来不安は多くの中高年が直面している問題でもあると氏は説明しています。
 逆に、若年世代でも裕福な親を持てば生まれながらにして勝ち組である。世代内の格差を是正することや、それが次世代に引き継がれる傾向を是正することも、(現在の)財政に課された重要な使命の一つであるということです。

 さて、低金利の長期化が見込まれるとはいえ、国債残高を無限に増やせるという楽観論を戒めるべきなのは言うまでもないし、また、現状の残高に問題はないとしても、さらに増やせるペースや限度はわからないのだから、国債の発行圧力をコントロールする努力は必要だと氏は言います。
 しかし、老いも若きもそれぞれに痛みや不安を抱える現実がある以上、ひとまとめにして「現在世代に罪の意識を負わせる」というレトリックでは、負担の公平性を巡る国民の納得感は得られにくいというのが氏の指摘するところです。

 低成長でパイが増えにくい時代となり、分配の公平性は重要さを増している。そうした中、例えば消費税率をさらに引き上げるなら、給付付き税額控除のように逆進性を弱める措置は不可欠だろうし、その点も含め、負担能力に応じた公正な負担のあり方を、きめ細かく議論する必要があると氏は話しています。

 さて、財源の議論は当然必要だとしても、緊急の要請があって対策を打つのであれば、国債の発行も一つの選択肢であることは間違いありません。また、国内経済の全体で見れば、国債の発行が単なる借金にとどまらず、民間の金融資産として蓄積されていることも確かに忘れるわけにはいかないでしょう。

 さらに、(今、行うべき)格差の是正と再配分に納得感を得るためには、負担の公平性の議論が欠かせないのも事実です。
 とりあえず、今の日本の経済はそれなりに回っている。で、あれば、そこをスタートラインにして、国民の間に蓄積された富を有効に使い、国民総力で稼いでいく方法を探ることが未来につながる唯一の道だということでしょう。

 そうした視点に立ち、所得や資産を的確に把握する体制の整備や、そこで得られたデータを学術研究や政策論議で活用できるようにしていくことが、財政の持続性を確保するための足腰の強化として優先度の高い課題となると考えるこの論考における門間氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。


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