MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1896 「人様に迷惑をかけてはいけない」の呪縛 ①

2021年07月06日 | 社会・経済


 6月19日の東洋経済ONLINEに、コミュニケーション・ストラテジストとして知られる岡本純子氏が「日本人はなぜ、ベビーカー運びを手伝えないか」と題する興味深い話題を提供しています。

 岡本氏はニューヨークで子育てをしていた頃、エレベーターのない階段などで、何度となく見知らぬ人にベビーカーの上げ下げを手伝ってもらったということです。
 一般に怖い場所として恐れられているニューヨークの地下鉄でも、通りがかりの人が「May I help you? 」とごく自然に声をかけてくれる。「困っている人がいたら、助けてあげる」という当たり前のことを、当たり前にしてくれる人がこの街には大勢いたと氏はこの一文に綴っています。

 一方、帰国してショックだったのは、そういう日本人の姿をあまり見かけないことだった。重い荷物をもった人や高齢者など街中で「困っていそうな人」がいても、声をかける人は極めて少なかったと氏は言います。

 テレビドラマやコマーシャルでは、よくお年寄りをおんぶしている若者の姿などが描かれますが、確かにそんな様子を私も街中で見た覚えはありません。(おんぶとまでは言わなくとも)この少子高齢化の御時世に、なぜ、もっと気軽に誰もが助けたり、助けられたりできないのか。

 そこには、「拒絶されたり、嫌がられたりするのが嫌だ」「突然声を掛けたら不審がられるのではないか」「事故などがあった場合のリスクがある」など様々な言い訳があるのでしょう。また、「人様に迷惑をかけない」ことを第一に育てられた日本人の心の中には、(基本的には)「自分で何とかすべきだ」「できないのであれば出かけるべきではない」といった心持ちが浮かんでも不思議ではありません。

 何しろ、日本は「自己責任」と「迷惑」の国。「誰かに頼るな」ということを刷り込まれ、人の厚意を素直に受け取ることができない人も少なくないと氏もこの論考で指摘しています。
 さらに、「声をかけるのは迷惑に違いない」と思い込み、または断られた際に傷つくプライドが邪魔して、声をかけられない人も多いかもしれない。こうした日本人の「極端なリスク回避志向」が、行動を思いとどまらせている側面もあるというのが氏の見解です。

 つまり、(いずれにしても)日本人は「鈍感だから助けない」のではなく、「相手の気持ちをおもんぱかりすぎ、傷つくことを恐れる」という「繊細さ」ゆえに行動しない(できない)。四方八方に気を遣いすぎて、「自ら生きづらく」しているのが現在の日本人の姿なのではないかということです。

 実際、日本人は、「ちょっとした声掛け」にすら躊躇するようになっていると氏は言います。大手旅行サイトExpediaの調査では、飛行機の中で頭上の棚に荷物を入れるのを手伝う人の割合は日本人は24%と世界最低で、オーストラリアやドイツ、スイス、オーストリア、アメリカのほぼ半数の人が「手伝う」と回答していたのとは対照的だということです。

 また、機内で知らない人に話しかける割合でも、トップのインド(60%)、メキシコ(59%)、ブラジル(51%)、タイ(47%)、スペイン(46%)と比べ、日本人はたった15%で、堂々のワースト1位だったとされています。
 一方、同調査では、機内の迷惑行為に対し「何も言わずに黙っている」と答えた人の割合が39%と、日本人が世界一「我慢強い」一面も明らかになっていると氏は説明しています。

 これはつまり、「助けたい」と思っても声に出せないし、「迷惑だな」と思っても声にできないということ。四方八方に気を使いすぎ、言いたいことがあっても何も言えないのが日本人だということでしょう。

 しかし、この「他人恐怖症」は、全日本人共通のということではないようにも感じると氏はこの論考で指摘しています。
 たとえば、大阪などでは、ぐいぐいと他人に話しかけてくる人も決して少なくはない。地方や下町では、あまり警戒感なく人と話す人も多いというのが氏の印象だということです。

 「コミュ力」つまり「人とつながる力」は、「生来の才能や特質」というよりは、「環境や慣れ」による影響が非常に大きいものだと、氏は(コミュニケーションの)専門家として話しています。
 たとえば、知らない人だらけの環境である都会では、人は自分の身を守ろうと、自然と他人に対する警戒心が強くなる。また、祖父や祖母、親戚、地域など異なる世代の共生する環境で、人間関係のノウハウを学ぶ機会も減っているということです。

 今後も、人口の都市集中や核家族化が進む中で、「他人との基本的なコミュニケーションの方法がわからない」と自分の殻にこもり、「やどかり化」する人が増えていくような気がすると氏はここで指摘しています。

 もとより、こうした(コミュニケーションに消極的な)日本人の傾向があったからこそ、新型コロナの感染拡大が抑制された側面があったのかもしれません。
 一方、新型コロナの下で人と人とが対面でコミュニケーションを図る機会がさらに減っていけば、現実の人間関係の中で、日本人は身動きの取れないさらに不自由な状況に陥っていく可能性も十分にあるということでしょう。

 そうして日本は、(誰もベビーカー運びに手を貸さないような)さらに暮らしにくい国になっていくのか。

 一生涯を、自分一人の力で暮らしていける人や社会などはそうそうあるものではありません。「何かお手伝いすることはありませんか?」「ありがとうございます」。そんな小さなつながりが「誰かの生きる力」になることもあると記すこのコラムにおける岡本氏のメッセージを、私も改めて重く受け止めたところです。


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