MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯353 トリックスター

2015年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム


 5月19日の読売新聞1面のコラム『編集手帳』では、大阪都構想に対する住民投票に敗れテレビカメラの前で、まさに「さらっと」政界引退を表明する橋下徹大阪市長の様子を、「これまでのケレン味あふれる挑発調は鳴りを潜め、反省と感謝を口にする姿に敗者のリアリズムを感じた方は多かろう」と評しています。

 記事は、これまでの橋下氏の政治活動における暴れん坊ぶりや、その人柄からくる人気をいわゆる「トリックスター」に例え、「好き嫌いはあったとしても、その発信力は誰もが認めるところだろう」と述べています。

 ここで言う「トリックスター (trickster)」 とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、トリック (詐術) を駆使して物語を引っかき回す「いたずら好き」として描かれる、ある種の型破りな登場人物を指す言葉です。

 ネットでググってみたところ、トリックスターの特徴は、善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など全く異なる二面性を併せ持つところにあり、時には愚かな失敗をして自らを破滅に追いこんだり、また時には詐術的知恵や身体的敏捷性をもって神や王など秩序の体現者や既存の権力を翻弄し、社会の秩序を混乱させたりするということです。

 具体的なイメージとしては、シェークスピアの喜劇『夏の夜の夢』に登場する妖精パックやギリシア神話のオデュッセウスなどが有名なようです。また日本人に良く知られる例としては、古事記に現れる乱暴者のスサノウ尊や西遊記の孫悟空などが挙げられています。

 最近の物語では、映画「パーレーツ・オブ・カリビアン」に登場するジョニー・ディップ扮するジャック・スパローや、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男、アニメ「Dr.スランプ」のアラレちゃんなどがそれに当たるかもしれません。

 芸能界で言えば北野武(ビートたけし)、政治の世界で言えば小泉純一郎などという強い個性も、もしかしたらそうしたカテゴリーに入るものなのかもしれません。

 トリックスターが人の心を惹きつけてやまないのは、彼らに共通する個性的な風貌ばかりでなく、現状や権力に従属することなく、かえってこれらを翻弄する無定形で意表を突いた言動の自由奔放さにあると言えます。

 振り返れば、橋下氏は今から10年と少し前の2003年頃、ゴシップから政治批判まで何でもこなす茶髪、サングラスの軟派弁護士として、情報番組などを通じ在京テレビ局などのメディアにさっそうと登場しました。5年後の2008年には、その存在感を背景に政界に転じ、大阪府知事、大阪市長、そして大阪維新の会、維新の党の代表などとして、8年間にわたり日本の政治にある意味大きな「刺激」を与え続けてきました。

 橋下氏の武器は、言うまでもなく自身の持つ強烈なアジテーター(扇動者)としての発信力に他なりません。メディアを通じ印象的なワーディングで有権者に直接訴えるその政治手法については、「ハシズム」(橋下的独裁主義)と揶揄する向きもありますが、そういう意味では、戦後の日本において時代の寵児として一世を風靡した「太陽族」の石原慎太郎氏や、「燃える闘魂」アントニオ猪木氏と一時期タッグを組んだのも、時代をつなぐ「歴史の必然」であったのかもしれません。

 トリックスターの魅力は、何と言っても既存の秩序に対するデストロイヤーとしての破壊力と、その強引さ、大胆さとは対照的な無邪気な「可愛げ」にあることは論を待ちません。

 橋下氏は、「独裁ではないか」という指摘に対し、「こんなキュートな独裁者いますか?」と、しばしば笑顔で言い返していたということです。

 人の心を引き付け、時代の舞台回しを担うのがトリックスター。

 政治家としての橋下氏については、当然様々な評価があるでしょう。しかしその一方で、現代のトリックスターを体現する橋下氏が持つ稀代のアジテーターとしての資質については、確かに誰もが強く認めるところではないでしょうか。
 


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