MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯967 太郎の屋根に雪降りつむ

2018年01月14日 | アート・文化


 冬型の気圧配置が続き、東北から北陸にかけての各地が例年の何倍という大雪に見舞われています。
 
 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 深々と雪の降り積もる静かな冬の旅の夜などに、ふと胸をよぎるこのフレーズ。真っ白い雪を載せた民家の屋根の下で布団を襟までかけ、すうすうと寝息を立てながら眠りに落ちていく幼子の姿が目に浮かぶようです。

 「雪」と題されたこの詩は、精神性の高い多くの叙情詩を残した昭和の詩人、三好達治(1900~1964年)の初期の作品のひとつです。東京帝大在学中に梶井基次郎らが主宰した同人誌「青空」に発表され、三好の第1詩集「測量船」(1930年)に収録されたものだということです。

 たった2行だけの本当に短い言の葉で紡がれながらも、日本人の心の奥底に深く入り込む独特のリズムと情景感が極めて印象深く脳裏に残る作品と言えるでしょう。

 私自身は三好の詩集などを改めて手にした記憶がないのですが、この詩は(以前は)現代国語の教科書などにも採録されていたということですから、おそらくそうした機会に接していたのだと思います。

 この言葉の繰り返しが何を意味しているのか、この次に、どんな言葉が続くべきなのかが(空中に放り出されたまま)一瞬では判断できない。それでも、閉塞的な静寂の中にある少しホッとする情景だけが鮮やかに浮かぶ、そんなシュールで不思議なイメージをこの詩は(人の心に)もたらすような気がします。

 太郎と次郎は兄弟なのか、友達なのかは分かりません。いずれにしても、静かな雪の降り積む夜、子らはそれぞれ別々の屋根の下でひとり夜具にくるまっている。

 子供ならではの日中のただ無邪気で幸せな時間があるばかりではなく、(子供であればこその)自分の力ではどうしようもない様々な事情がもたらした、親への思慕や孤独、無力感のようなものをそこに感じるのは私だけではないでしょう。

 そんな、遍く小さき者の上に、寂しさも悲しみも包み込むように雪が厚く降り積もっていく。雪は白く暖かく彼らの屋根を埋めていき、そしてそんな中での静かな眠りは、彼らにとって限りない慰めとなっていることでしょう。

 三好はこの「雪」のほかにも、いくつもの(日本人の心に届く)抒情的な詩を残しています。

 母を思慕した「乳母車」では
「時はたそがれ、母よ私の乳母車を押せ。 泣きぬれる夕陽にむかって、轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ。」と声を上げて詠っています。

 また、広く知られる「わが名を呼びて」では
「わが名をよびてたまはれ。いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ。幼き日、 母のよびたまいしわが名もてわれをよびたまはれ。」と、母に残された幼き者の悲しみを(繰り返す)言葉に込めています。

 一方、その繊細さが故に、彼の人生は決して幸せに満ちた順風満帆なものではなかったと言われています。

 子供のころから神経衰弱に苦しんだ末、期待を背負って(ようやく)入った陸軍士官学校は自ら脱走し退校になりました。その後、帝国大学に入学したものの貧乏文士として赤貧に喘ぎ、離婚と再婚、復縁などを繰り返す中で、彼の純粋さはしばしば周囲の誤解を生み、人に傷つき、また人を傷つけることも多かったようです。

 少なくとも、器用に頑健に生きられる心や体(そして親の愛)を、彼は持ち合わせていなかった。そうした彼の弱さに由来する孤独感や頼りなさのようなものが、(太郎や次郎とともに)深々と降り積もる雪の下で暖かくるまれたいと願っていたのかもしれません。




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