新型コロナ感染症がパンデミックとなって世界を覆う中で、欧米先進各国のようにロックダウン(都市封鎖)や罰則を伴う外出禁止などの厳しい規制措置をとっていないにもかかわらず、(国民への自粛の呼びかけなどだけで)死者などの深刻な被害の拡大を何とか食い止めている日本には、世界から驚きの視線が投げかけられています。
一方、その日本では、(他国よりも被害が一桁以上少ないにもかかわらず)国内世論は総じて経済活動の再開に極めて慎重で、国民の一部で「自粛疲れ」による健康被害の拡大や自殺の増加なども懸念されている状況が続いています。
街かどを見渡せば、普段なら買い物客でにぎわう繁華街に人影は少なく、緊急事態宣言下の都内の飲食店も開店休業の状態です。また、1年間、開催を遅らせた東京でのオリンピックに関しても、その中止を口にしない菅総理には、野党やメディアなどから強い批判の声が浴びせかけられています。
とはいうものの、コロナへの認識は(同じ日本人でも)世代や置かれた環境で大きく異なっているのもまた事実のようです。「コロナなんて俺には関係ないよ」とばかり夜の駅前公園で飲んで騒いでいる若者のグループを見かけることも多くなりました。新規感染者を見ても、10~30代の若い世代に大きく偏っているのが現状のようです。
こうした日本の状況に関し、6月10日の日本経済新聞の紙面では、京都大学教授の依田高典(いだ・たかのり)氏が「認知バイアス、政策に生かせ コロナに経済学の知見」と題する論考を寄せ、行動経済学の立場から興味深い視点を提供しています。
緊急事態宣言などが発令された昨年4月の第1波において指摘されたのは、検査体制が不十分なため検査を受けられない人が続出するという「PCR検査の目詰まり」の問題だったと、氏はこの論考に綴っています。マスコミを中心に「なぜ検査が受けられない」「全員検査を行うべきだ」といった声が高まり、準備が整わない自治体や保健所がその矢面に立たされたのも記憶に新しいところです。
その際、「PCR検査をして感染者を洗い出し隔離すれば事足りる」と考えた人も多かったようだが、検査には誤りが付きものなのもまた事実。PCRは遺伝子検出を用いた検査なので(それなりに)正確なはずだが、体内のウイルス量が少なかったり検査時にウイルスが混入したりすると、慎重に取り扱っていてもときに間違いが生じるというのが氏の認識です。
依田氏はここで、PCR検査の計画差を測る ①感度、②特異度、③陽性的中率の3つについて解説を行っています。
まず①の「感度」とは、病気に感染している人で、検査で陽性になった人の割合のこと。1から感度を引いた数値が偽陰性率となるということです。
次の②「特異度」とは、病気に感染していない人で、検査で陰性になった人の割合を指すもの。1から特異度を引いた数値が偽陽性率となるとされています。
そして③の「陽性的中率」は、検査で陽性の人の中で、本当に病気に感染している人の割合だと氏は説明しています。
PCR検査の先行研究を参考にすると、現在一般的に行われているPCR検査の感度は約80%、特異度は99.9%程度だと氏はしています。そして、こうした前提に立ち、さらに市民の0.1%(1千人に1人)が市中感染していると仮定すると、「ある人がPCR検査で陽性の判定を受けたが、この人が実際に感染している確率はどの程度か」という質問に答えが出せるということです。
「ベイズの定理」を用いてこの解を導いていくと、検査を受ける1千人のうち感染者は1人とすれば、感染者のうち陽性となるのは1人×感度0.8=0.8人になる。一方、非感染者が陽性となるのは999人×(1-0.999)=0.999人で、この場合、陽性的中率は0.8÷(0.8+0.999)=0.44となると氏は言います。
つまり、非感染者が擬陽性となる確率は低くても、非感染者の数の方が圧倒的に多いので、1000人検査すれば擬陽性者がもう1人くらいは出てしまう。
結果、検査で陽性判定を受けた人が感染している確率は44%となり、事前確率を無視して(症状のない人も含め)やみくもに全員検査をしてしまうと、いたずらに偽陽性者を出しかねないというのが氏の見解です。
さて、感染者を隔離する目的で無症状の人を含め一律に市民を検査しても、陽性となった人の半数以上が実際は感染していなかったというのでは対策としては話になりません。集団隔離することで逆に感染が広がったり、非感染者を隔離することによって行動の自由を妨げたりすれば公益上も人権上の問題も大きいでしょう。
東京都をはじめとした首都圏における感染拡大が問題化した当初、ほとんどの地域で検査体制が整っていない状況にもかかわらず、(たとえ症状がなくとも)安心のために国民全員へのPCR検査を実施すべきだ強く主張した野党がありました。
しかしそこには、(国民感情に乗っかるだけではない)現実にしっかりと向き合った冷静な視線が欠けていたと言えるのかもしれません。
ともすれば「ゼロリスク」を目指しがちな我々日本人は、危機管理に当たりしばしば集団的な感情の高まりに任せて大きな失敗を重ねてきました。同じ間違いを同じように繰り返さないためにも、科学的なエビデンスに基づくしっかりした政策検討が必要だと、氏のこうした指摘から私も改めて感じたところです。
(「♯1875 新型コロナと認知バイアス(その2)」につづく)
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