MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1873 ワクチンの職域接種は「不公平」か?

2021年06月09日 | 社会・経済


 企業や大学の主導で実施できる新型コロナウイルスワクチンの「職域接種」が、政府の推奨の下で6月21日にも本格始動する見込みです。

 当面は、余裕のあるモデルナ製のワクチンを使用し、約1000人分(1人2回)を接種できる企業や大学から始め、自治体における一般接種の状況を見ながら順次対象を拡大していくということです。
 経団連の十倉雅和会長は記者会見で「日本全体で一気呵成に進めようという動きが加速している」とし、こうした動きを歓迎する姿勢を見せています。実際、政府がインターネットを通じて受付を始めた6月8日一日で、414会場の申請があったと報じられています。

 政府のこうした(民間企業等を巻き込む)方針変更によって、これまで遅れていたワクチン接種の加速が期待されるところです。しかしその一方で、政府の(ある意味)なりふり構わないこのような姿勢は、オリンピック・パラリンピックの開催などを強行するためのものではないかと、反発する報道なども続いています。

 不慣れな業務に戸惑う企業も多いなか、産業医の主導で事前の問診やアナフィラキシーなどへの対応を適切に行うことができるのか。接種に向けた従業員の不安にきちんと応えられるのか。経営サイドからの摂取要請により職場に強い同調圧が働き、接種したくない人まで受けさせられたりしないか。また、接種を拒否した従業員に対し不当な扱いがされるようなケースは生じないか等々。
 このような様々な問題が予見される以上、これらの論点にそれぞれ基準が設けられ、対応が整理されるまでは接種に踏み切るべきではないという主張も相次いでいるところです。

 中でも(朝日新聞をはじめとした)多くのメディアが指摘しているのが「公平性の確保」の問題です。新型コロナを前では「命の重さ」は変わらない。にもかかわらず、接種機会を確保することが可能な大企業の従業員ばかりが、(政府が税金で確保したワクチンを)優先的に摂取できることは「不公平」ではないか。同じ職場で仕事をしていても、(会社の考え方ひとつで)役員や正社員などが優先され非正規や派遣などで働く者が対象にならなかったりするのは、人権上問題ではないかといった主張です。

 そういえば、政府による高齢者向けワクチンの配分に当たっても、「感染者が多いからといって都市部を優先するのは不公平だ」「都道府県内の市町村には公平にワクチンを割り振るべきだ」といった横並びの意見を優先した結果、(全国で見ると)効率的な接種に支障が生じる場面が多々見られました。
 ワクチン接種の問題を個人の「権利」とみなし、「不公平だから(公平になるまで)認めるべきではない」という主張に対する違和感は、私としても以前から感じていたところです。公共的な意義として何よりもスピードが優先されるべきワクチン接種に対し、個人間の公平性を優先する姿勢は、一見「リベラル」なようで実は不合理な大衆心理を煽り、それに迎合する態度のようにも思えます。

 在京ラジオキー局のニッポン放送(6月2日「飯田浩司のOK! Cozy up!」)においてジャーナリストの佐々木俊尚氏は、6月2日の朝日新聞の記事『職場接種、人員確保や公平性に課題』に対し以下のように話しています。

 朝日新聞はこの記事で「接種するのが、大企業の正社員に偏ってしまうのは公平ではなくなる、不公平感が高まる恐れがある」と指摘しているのだけれども、朝日はワクチンをまったく理解していない。「自分が打てば自分だけが得をする」のではなく、誰かが打つと、日本全体の集団免疫は一歩進む。逆に言えば、自分が打っていなくても、他の人が打ってくれれば必ず得をするのがワクチンだと、この放送で氏は指摘しています。

 反ワクチンの人がワクチンを打たないのは個人の自由だれけど、周りの人が全員ワクチンを打ってくれたら、反ワクチンの人も感染しなくなるのだから、実は反ワクチンの人は、一種のフリーライダーだと、(つまり)自らはリスクを取らず「利益にタダ乗りしている」という見方もできる。
 周りの人が打ってくれれば、自分のワクチン接種が遅れたとしてもそれは自分にとって得になる。だから「ワクチンは公平性など考えずに、打てるところから積極的に打ちまくって、とにかく早く打つことが大事なのだ」ということは、ここ数ヵ月、医療関係者が声を大にして言い続けているということです。

 全体最適化と部分最適化という言葉があるが、朝日の視点には、個々の利益に注目するあまり「全体最適でいかに被害を減らすか」という視点が致命的に欠けているというのが氏の指摘するところです。
 公平性をあまりに重視すると(一部の自治体で実際にあったように)「余ったものを一般接種に回すと不公平だから廃棄する」という状況まで生まれてしまう。「公平さ」を打ち出し過ぎると接種が遅れて社会の迷惑になるので、そうした状況を助長するような態度は公共的なメディアとしていかがなものかということです。

 一方、河野大臣が先行して接種率が上がって来ている5県ほどに対して「優先的に傾斜配分をする」ということを打ち出していることに関し、佐々木氏は「必要があれば政策にこうした「競争原理を持ち込む」というのも、行動経済学的な発想で面白いのではないかと」話しています。
 企業ごとに競争させたり、自治体ごとに競争させたりしながら政策目的に向けて誘導していく。コロナで混乱するこの1年の中で、行政もそういうやり方を学んで来ているという状況は(率直に)「面白い」と思うということです。

 さて、私自身は(競争でもなんでも煽って)「何よりも早ければそれでよい」とは思いませんが、本質的な部分で「今必要なもの」を見失わないように注意したり、方向づけていくことは(政策決定上)極めて重要な要素だと考えています。
 ただし、必要なのは、(急ぐあまり)国民にきちんと説明し、理解してもらうための努力を惜しまないこと。配慮すべきことには(それぞれ)気にかけつつも、優先すべきは何なのかを見据えた骨太な覚悟が政府には求められていると、私もこうした報道から改めて感じるところです。



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