年明けの1月8日に東京都と埼玉・千葉・神奈川の各県に、また6日後の1月14日には京都・大阪の各府と栃木・岐阜・愛知・兵庫・福岡の各県に、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態が再び宣言されました。
Goto事業を始め経済と感染防止対策の(適度な)バランスを模索していた政府も、新型コロナウイルスの新規感染者数が過去最多を更新し続け医療体制がひっ迫している現状に歯止めをかけるため、大きくハンドルを切らざるを得ないフェーズに入ったということでしょう。
こうした政府の判断を受け、各都府県の知事は「不要不急」の外出を徹底して自粛するよう強く呼びかけています。
感染拡大を食い止めるためには、まずは人と人との接触を徹底的に抑えていく必要があり、重症者や死者の急増など感染拡大が深刻な状況にあることを(子供から高齢者まで)1人1人が強く認識することが求められているところです。
しかしそうした中、メディアも指摘しているように、都内の状況を見る限り「大きく人が減ったな」という実感があまり持てないのが現実です。
携帯電話の位置情報の解析したところでは、1月18日21時台の1都3県の人出を緊急事態宣言発令前の昨年12月と比べると、渋谷駅で40.4パーセント、横浜駅で31.8パーセントなど、人出の多かった年末との比較であることを考慮しても一定の減少が確認できるとされています。
一方、緊急事態宣言が拡大されて初めての日常日となった1月17日の対象地域内の人出を前回4月に全国で出された「宣言」直後の日曜日と比べると、東京の銀座や大阪のなんばで3倍以上、福岡の天神でおよそ2.8倍、名古屋の栄と京都の河原町でおよそ2.4倍など、各地で軒並み大きく増加しているとの報道もあるようです。
私の個人的な感覚でも、都内の朝夕の通勤電車の混雑はそれまでとあまり変化はなく、政府の「7割削減」の呼びかけの効果はあまり感じられません。昨年春のガラガラの車内とは打って変わった、普段通りの日常が繰り返されているという印象です。
テレビニュースなどでは、東京・渋谷駅前のスクランブル交差点を埋め尽くす若者の姿が映し出されていますが、確かに休日の都心のターミナル駅の人出を見ても、(さすがに高齢者の姿はほとんど見かけませんが)若者を中心に(まさに)「不要不急の外出」と見られてもおかしくないようなカップルやグループの姿をたくさん見かけるところです。
こうした状況を裏付けるように、実際の東京都内の感染者数を見ても、日々公表される新規感染者の6~7割を20から30代が占めているのが現状です。
なぜ日本では、(特に今回の緊急事態宣言において)若者を中心に感染防止対策への意識が薄い状況となっているのか。
慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏は1月16日の「東洋経済オンライン」に寄稿した「2021年はどうやら最悪の年になりそうだ」と題する論考の中で、こうした疑問に興味深い回答を示しています。
欧州では新型コロナによる再度のロックダウンが各国で行われ、アメリカではトランプ政権のコロナ対応の不徹底もあって各地で死者が増え続けている。
日本はそうした欧米に比べればましだが、インドを除くアジアでは最悪で、所得水準も医療レベルもカバレッジも最高レベルであるにもかかわらず死者の増加ペースが加速していると氏はこの論考に記しています。
(なぜ、アジアが欧米に比べてましなのかははっきりしないが)少なくとも日本は、その恵まれた状況にもかかわらず、無駄に感染を拡大し無駄に犠牲者を出している。それは、政治、政策の混乱というよりは「稚拙さ」によるものと考えられ、悲観的な見通しを持たざるを得ないというのが氏の見解です。
感染の第3波が訪れている現在も、日本では4月の第1回目の非常事態宣言時の経験を活かせないどころか、事態を大きく悪化させてしまっていると氏は言います。
前回、人々の恐怖心から来る自粛に頼った解決をしたために、2度目となるとどんなに自粛を求めても効果は限られる。すでに自粛をしている慎重な人や高齢者たちは、さらに恐怖におののき、過剰な自粛というよりは恐怖の萎縮となるということです。
また、形式的にしっかりしている大企業や古い組織は、緊急事態宣言にはルールを遵守するという行動パターンから、すでに対策が十分なところも自粛を行うと考えられる。
しかしその一方で、昨年4月に、世の中の雰囲気に乗せられて自粛した人々、特に若い世代は、自粛やコロナというものにすっかり「飽きてしまった」というのが氏の指摘するところです。
もはや危機だろうが、そうでなかろうが、もうそれらにはかかわわらない。「コロナ」という流行の「イベント」は消費しつくしてしまい、過去にバズったものには、もはや関心もなく反応すらしないということです。
そうした彼らにとっては、菅偉義首相が会食しようがしまいが、関係ない。「東京都が国のせいにばかりして、何も対応しない」とか「官邸がだめだ」とか、そういうことに(こうした若者たちは)まったく関心がないと、氏は説明しています。
「政治家たちの会食」や「首相の記者会見での言葉遣い」だって、そんなことは何の関係もなく、ミスにも罪にもならない絶望的な状況。ここでは、今までの日本的な手段、自粛、要請、脅しなどはまったく通用せず、手段がないというのが氏の認識です。
こうして、コロナに恐怖心を抱くグループは過剰な行動制限を行い、経済を悪化させ、別のグループはまったく無反応になり、社会的な感染拡大リスクをさらに高めていく。日本は感染者数が少ないにもかかわらず、こうした状況が続けば欧米よりもアフター・コロナが訪れにくくなる危険性があると氏はこの論考で述べています。
さて、コロナを恐れ過剰に意識しすぎる層と、コロナなんて全く気にならない層の乖離がどんどん大きくなっているという小幡氏の指摘には、私も頷けるところが数多くあります。
コロナが怖くてほとんど家から出られなくなりフレイルに陥ってしまうお年寄りの声が、夜の街に集まり自由にふるまっているヤンチャな若者たちの耳に響く機会は(おそらく)ほとんどないでしょう。
「自分には関係ない」そう感じている人々に行動変容を促すため、政府としてどのように対策を講じていくのか。
埼玉県の大野元裕知事は1月19日の記者会見で「最初の感染確認から1年が経ち、県民が自粛にあきあきしているのもしかたがないとは思うが、(現在は)今まで以上に感染が広がっている状況であり、特に今まで自粛に協力していただいていない方に協力をお願いしたい」と話しています。
政府や自治体には、部活がなくて体力が余っている高校生や遠隔授業などで時間を持て余している大学生、飲食店の営業自粛でアルバイト先のなくなったフリーターなどを破格の高い賃金で雇いあげ、医療・介護の現場や保健所などで感染防止対策に当たらせるくらいの大胆さがあってもいいのではないと思うのですが、果たしていかがでしょうか。
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