別冊少年マガジン」に連載され、テレビアニメとしても放映されている人気漫画『進撃の巨人』(作:諫山創、講談社)。
単行本の発行部数は今年4月までの累計で3600万部を超え、世界各国の若者にも注目される大ヒット作となっています。アメリカでは、「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーコーナーに掲載される週間マンガランキング(2013年10月第2週)で1巻が1位になったほか、2巻が2位、7巻が4位、3巻が5位と、ベスト5のうちのうち4冊をこの『進撃の巨人』が占める結果となったということです。
このように海外で広く読まれている『進撃の巨人』ですが、特にアジア圏における人気は「絶大」と言えます。中でも韓国では、2011年以降正式に翻訳出版されているコミックスだけでも35万部以上の売り上げを記録(2013年8月時点)しており、日本と同時期にアニメもテレビ放送され、人気の拡大に伴って放送日時が変更されたり、主題歌やオリジナルサウンドトラックが日本と同時に発売されるなど異例のブームを呼んでいるということです。
このような世界的な「『進撃の巨人』ブーム」に関連して、6月5日にWeb上に配信された「週刊プレ(イボーイ)ニュース」では、「韓国人が『進撃の巨人』に投影している世界とは?」と題する記事(コラム)を掲載し、特に韓国における『進撃の巨人』の人気の理由を読み説いています。
『進撃の巨人』は、ストーリー全体に流れる(いわゆる「ダーク・ファンタジー」としての)独特な世界観が特徴です。繁栄を築き上げた人類が、突如出現した「巨人」により滅亡の淵に立たされる。生き残った人類は、三重に築かれた巨大な城壁の内側に生活圏を確保し何とかその命脈を保っていた。しかしこうして平和を得てから約100年が経過し城壁の中の人類が巨人の脅威を忘れかけた頃、巨人たちは再びその壁を壊して人類の居住区に侵入し、人間を捉えては「貪り食う」という凄まじい恐怖へと人々を陥れます。
そんな中、人類は若者たちを中心に巨人掃討軍としての「調査兵団」を組織し、壁の外に打って出て巨人たちに最終決戦を挑むというストーリーです。感情も痛みも感じない東洋的な姿の裸の姿の巨人たちの存在は、例え「人」の姿をしていたとしても人類には理解しがたい、人類とは違う決して「分かりあえない」存在として描かれており、ただ強烈な存在感とともに一種独特の「ざわついた」肌触りをこの作品に与えています。
人類と巨人との戦いを描いた息詰まるストーリーや、キャラクターたちの繊細な心理描写。国境を越えて支持される理由は、純粋に漫画として「面白いから」にほかならないと記事はしています。韓国では、あまりのヒットに『進撃の○○』という流行語ができたといい、一時は日本文化がもたらした適切とは言えない一種の「社会現象」として、韓国メディアでも様々な批判や論評が行われていたようです。
「『壁』が象徴するのは、韓国社会そのものかもしれない。上下関係が厳しすぎる儒教的な人間関係のプレッシャー、政界と財閥の癒着、経済格差の拡大、徴兵制……。韓国の若者の閉塞(へいそく)感はとても大きい。この社会から脱出して、『壁』の外の自由な世界で生きたいという気持ちが、『進撃』のキャラクターたちに通じるのではないか」。「韓国の若者たちは、抑圧的な社会のイメージを『進撃』の世界に投影しているようだ。」と、韓国の国内事情を踏まえ、記事ではこのブームを説明しています。
一方、記事によれば、韓国の世論にはこの『進撃の巨人』の内容を、「壁=日米安保、専守防衛政策」、「壁の外に出たがる主人公=再軍備を望む日本人」として捉え、日本人の右傾化心理の反映であると考える解釈も存在するということです。
日本人からすればかなり穿ち過ぎた分析のように感じられるこうした視点ですが、中国のネット世論や台湾の親中派メディア『中天ニュース』などでも同様の見解が示されている。実は、こうした解釈は東アジア圏ではなかなかポピュラーな視点だと記事は述べています。いずれにしても、安全を犠牲にしてでも「壁」の外に出て自由を手にするために「巨人」と戦う――そこにあるのは、アジア各地の若い世代は『進撃の巨人』のこのテーゼに自身の境遇を重ね合わせ、発奮の材料にしているのではないかという指摘です。
日本人としてはどうも腑に落ちないこうした指摘に対し、分かりあえない「巨人」という存在からはどうしても「中国」を思い浮かべる(連想する)人も多いかもしれません。
5月23日の国内主要紙の紙面に、5月15日の朝鮮日報が、中国高官が韓国の政府関係者に対し「朝貢外交に戻ったらどうか」と探りを入れる発言をしたと報じたとの記事が掲載されていました。朝貢とは、中国周辺の国々が中国皇帝に定期的に使節を送り貢物を納める代わりに、中国から施政権を承認され貿易を行うという、言わば中国との「属国関係」を基調とした国際関係を指す言葉です。
韓国ドラマの時代劇にもあるように、朝鮮の王は2000年以上の昔から中国の歴代王朝と朝貢関係にあり、その認証を受けることで施政者としての正統性を確保してきたという歴史があります。壁(国境)の向こうに確かに存在している「巨人」である中国を常に意識し、嫌も応もなくその強大な力と向き合ってこざるを得なかったという中国との(地政学的な)関係性が、朝鮮半島の歴史そのものであると言っても過言ではないかもしれません。
「壁」の向こうにいたはずの(しばらく忘れかけていた)巨人が力をつけ、こうして壁を越えようとしている中、つかの間の自由を享受していた韓国の若者たちは何を恐れ、何に立ち向かっていこうとしているのか。韓国の「『進撃の巨人』ブームには、様々な思いが重なっていると言うことができるのかも知れません。
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